きれいすぎる男

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白い光が頭の隅にあふれて、鋭いニードルでその光ごと脳みそをぐちゃぐちゃにかき回されている。 そんな激しい頭痛に呻き、その自分の声で目が覚めた。 最悪な目覚めに「くそっ」と毒づいてへたりかけたマットレスから身を起こした。 折れ曲がったブラインドの隙間からこぼれる昼の光に目を慣らしながらはだけていた薄手の毛布を引っ張り上げた。 なぜか重い。 ぐっと力を入れて引っ張った。 同時に、自分のものではない呻き声がした。 さらに毛布を思い切り引っ張ると、頭痛が増した。気がした。 「お前なあ……」 フローリングの床に上半身裸の男が寝ていた。 「おい」と足で男の背中を蹴った。 「って……」 呻きながら、華奢な背中がゆるゆると動いた。 「ジュリんとこ行ったんじゃねえのかよ」 目をこすりながら上半身を起こした春の背中を再度足でどついた。 寝起きの春は、「あー……」と呻くようにして、今度は空いたマットレスによじのぼるとそのまま眠ろうとした。 「ガッコ遅刻してんじゃねえ」 潜り込もうとした毛布を引っ剥がした。 さすがに剣呑とした表情で春が目を開けた。 「寝る」 寝る、じゃねえ。 思わずイラッとして、毛布を丸めてマットレスの隅に放り投げた。 床には昨日着ていた白いシャツがしわくちゃになって落ちている。 それを拾い、自分の洗濯物と一緒に洗濯機にぶちこんだ。 それから猫の額ほどの小さなキッチンに立った。 頭痛はおさまらない。 冷蔵庫の上から頭痛薬をとり、キッチンの水道から直接水を飲んだ。 薬を飲み込み、その蛇口から激しく出る水に顔を突っ込むようにして洗った。 タオルで顔を拭いながら、なけなしの一人暮らし用冷蔵庫を開けた。 賞味期限が切れた卵。まだ2週間なら火を通せばいけるだろう。 固くなりつつあるベーコンの切れ端。 パサパサになってしまった食パン。 それから牛乳。 シリアルばかりは冷蔵庫の上にたくさんあった。 卵とベーコンをとり、1口しかないガスコンロにかかったままのフライパンにいれた。 油が音をたてた。 手早く目玉焼きを作っていると、背後に気配を感じて振り返った。 冷蔵庫を開けた春が眠そうに2リットルペットボトルの水を取り出して、直接飲み始めた。 「お前は?」 聞くと、春は頭を振った。 口を拭って、「シリアルオンリー」と言いながら牛乳を取り出した。 適当に深皿を2つ渡すと、春はシリアルをざらざらといれ、牛乳とともに部屋の方へもっていった。 カリカリに焼いたベーコンと目玉焼きを皿にのせると、すでにシリアルを食っている春の脇を過ぎ、マットレスを背もたれ代わりに座った。 春のそばに置いてあるもう一つの深皿を引き寄せ、牛乳を注いだ。 「ジュリは?」 「知らね」 「泊まりじゃなかったの?」 「追い出された」 「マジ?」 シリアルが牛乳でふやけるのを待つ間、スマホをいじりながらスプーンを口に運ぶ春の横顔をなんとはなしに眺めた。 同じ男の目から見ても、美しいと表現されるのが納得できる顔だちだ。 「また何やったわけ?」 「乳以外興味ないって言った」 思わず「ぶはっ」と吹き出した。 シリアルを口にいれる前でよかった。 「そりゃさあ、まあ正しいけどさー。あのジュリでもキレるんだな、さすがに」 笑いながら、シリアルをスプーンで突いてふやかす。 クラブでも巨乳で数々の男を落としてきたジュリは、男にちやほやされるのがなによりの好物だ。 しかも並の男ではなく、自分のプライドを満たすモテる男限定で。 そのために、キレるなど自分をマイナスに見せるような感情を表に出すことはめったにない。 内心おもしろくないことや怒りたいことがあっても、それなりに大人の対応でするりと交わしてきた。 そんなジュリに追い出されるほどとは。 「かわいいとかきれいとか言え言えうざくてつい」 春は淡々とそう言って、食べ終わった深皿にスプーンをいれて寝転がった。 「ヤることヤッたんだろ。口だけテキトーに合わせときゃいいじゃん」 「めんどくせ」 「なら最初っから相手すんなよ」 ふやけきったシリアルを口に運んだ。 それを春が寝転がったまま見て、かすかに眉をひそめた。 シリアルをふやかして食べる、というのが春には信じられないらしい。 初めてそれを見た春は、人の食べ方を「サイテー」と言っていたっけ。 「別に、他もあるし」 また吹きそうになった。 「サイテーだわ。それでよくお前モテるよ」 呆れた声を出すと、春は乾いた笑いをもらした。 望んじゃいない。 そう言いたいのだろう。 でもその見た目が今の春の生活を支えている部分だってある。 それは、本人も分かってはいるが。 「今日はあそこのクラブやめとくんだな。マジで、ジュリファンに背中狙われんぞ。それでなくても憎まれてんのに」 「……どうでもいーし」 言いながら、春がこっちに視線を寄越すのがわかった。 何を言いたいのかも。 「だな」 どうせ、何か、など起きはしない。 起きても、力とコネと、時にカネで握りつぶす。 春の手も、この自分の手も、見た目よりは弱くない。 ただそれも、すべてが自分たちだけで築いたものだと錯覚するほどバカでもないが。 それに。 それに、春は命に代えても守ると決めている。 誰よりも、自分が。 喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、シリアルをスプーンでかき混ぜ、皿に口をつけると一気に牛乳ごと飲み干した。 春の皿を拾い、キッチンに向かった。 背中の方から聞こえた「サンキュ」という声は、いったい何に対しての礼か。 聞くまでもなかった。
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