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「あいつの顔見ました? まさかこっちがあいつのムショ暮らし知ってるなんて思ってもなかったんじゃないすか? めっちゃごまかしてましたけど、動揺してんのバレバレだったすよね?」
タケの明るく弾んだ声に、舌打ちしそうになった。
さきほどからの苦々しい気分が増した。
自分の仕事相手は必ずしも清廉潔白な者たちばかりではない。
むしろ社会の底辺にすぐ転落しかねないスネに傷もつ者たちばかりだ。
それは誰あろう自分も、仕事の成功に浮ついているタケも、だ。
頭痛が激しくなるのをこらえながら、駐車場に停めていたハイエースのドアを開けた。
いい加減、分かってもらわねばならない。
相手の弱味含めた情報を掴んでいるのはいい。
それ自体は仕事を円滑に進めたり、イニシアチブをとるために、必要になるときもある。
でも使いどころを間違えれば、それは即すべてを失いかねない諸刃の刃となる。
しかも今回は、出し抜けだった。
虎視眈々と自分と相手の話の間合いが切れるのを待っていたのだろう。
取引が長引いたわけでもない。
つまずきかけたわけでもない。
ただタケは、こちらがうまい汁を吸うためだけに突然、切り札として取引先にとって脅しにもなる情報をぶちあけた。
相手のことを全く考えず。
そんなやり方は、いずれ破滅につながる。
相手とフィフティーフィフティーでなければ、この限りなく黒に近いことをしている便利屋の世界では潰される。
タケはしきりに、相手がいかにバカであり、せしめた金の分け前を想像して滔々と語っている。
さすがにやまないおしゃべりに苛立ちが募った。
「タケ、お前さあ、いつからオレの取引に口出しできるほど偉くなったの?」
車のドアを乱暴に締めた。
その瞬間、一気にタケの顔が目に見えて青ざめ、情けないほどにオロオロし始めた。
「い、いやっ、オレは別にその、ただボスが喜ぶかと」
「ボスとか言うなって言ったろうがよ。それに喜ぶわけねえじゃん」
斬るように吐き捨てた。
「1回こっきりの相手ならまだしも、この先のつきあいもある相手にあんな脅すようなマネしてさあ、逃げるに決まってんだろうが。なあ? 勝手にさ、どうしてくれんだよ?」
単純なタケのことだ。
おそらく取引がどうとかいうよりも、ただ相手の弱味を握っていることをひけらかしたかったのだろう。
春がアホだと言っていたのは分かる。
いやアホならまだ救いようがある。
でもタケは。
「なあタケ。お前、このままじゃヤバイって分かってんの?」
ドアに寄りかかって、キャップの下からタケの顔を睨めつけるように見た。
タケは怯えているように見えるが、それもこの時だけだ。
1時間もすればケロっとしているだろう。
バカでもアホでもいい。
怒られたり注意されたりしたことをその場限りとして忘れさえしなければ。
学習能力がない人間が、一番使い物にならない。
性格に難があれど、仕事さえできればいい。
むしろ仕事ができなければ、この世界ではやっていけない。
腰巾着になって生き残るすべもなくはないが、少なくとも自分にそうされるのはごめんだった。
「お前のやり方を否定はしない。でもオレとは合わないわ。もしそのやり方でいきたいんなら、自分の身の振り方考えろ」
そう言って、車のドアを開けた。
「あ、ヒロパイセン……」
パイセンもやめろと言ったはずだった。
呼びかける声を断ち切るように無言で運転席のドアを閉め、エンジンをかけた。
窓を少しだけ開けて、「考えろ。いい加減、オレにも面倒見切れなくなってきてるからさあ」と言い捨てざま車を出した。
途方に暮れた顔で、タケが呆然と立ち尽くしているのがバックミラーに映った。
それもあっという間に小さくなった。
タケに春ほどのスキルを求めているわけではない。
だいたい春の代わりなど、他の誰にもできない。
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