兆しはじめた変化

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その女の姿を見たのは、それから間もなくのことだった。 いつものように仕事終わりにクラブで遊び、帰ろうとした時に春が俯き加減にふらりと入ってきた。 「遅えよ」 軽く肩を小突きかけて、ふとその表情のかたさに気づいた。 「春?」 どうしたのかと問う間もなく、マサやミツキたちがわっと近づいてきた。 「おっそい、何してたのー!」 「もう次行くべー」 「春、朝までコースだろ?」 一番年下になる春は、マサやミッチに頭を撫でくりまわされている。 嫌がりながらも波に攫われるように、入ってきたクラブから外にまろびだした。 春は伸びてくる仲間の手から逃れるように一足先に外に飛び出し、そして一瞬身を強張らせたように見えた。 様子がおかしい。 さりげなくぎゃあぎゃあ笑い騒ぐ仲間の間を縫って近づいた。 その時、名前を呼んだ自分の声に誰かの声が重なった。 「月島くん」 少し低めの凛とした女の声。 その声に、春がかすかに肩を震わせた。 月島、という名前が、春の本名だと気づくのに数秒を要したその間に、さらに大きな声が真っ直ぐに届いた。 「月島くん!」 声の持ち主は、どうやら少し離れたところに立つパンツスーツを着たスレンダーな女のものらしい。 黒い髪をひとつ縛りにして化粧っ気もあまりない。 品のある美人だが、陰を含んだ色気を感じた。 「あっれ、誰か、春呼んでね?」 ミッチがきょろきょろと周りを見回した。 「気のせいだろ」 低い声で吐き捨てた春に、女たちが黄色い悲鳴をあげた。 なんだかんだべったりのジュリが春の腕に「好き」と甘えてしなだれかかった。 「好きぃ、じゃねーよ」 モーションをかけるジュリに、春は無表情のままだ。 「ね、このまま2人ではけちゃわない? うちであんなことしようよー」 思わず呆れて突っ込んでも、当のジュリはどこ吹く風でさらにモーションをかけている。 でも春が離れたところに立つ女を意識したのはなんとなく気づいていた。 「春、知り合いじゃねーの?」 「さあ?」 渇いた笑いとともに投げやりを装ってはいるが。 「前にヤッた女じゃねーの?」 「知らね。そんなんいちいち覚えてねーし」 春の言葉に周りの仲間が悲喜こもごもの反応を示した。 その楽しい騒がしさにクラブからまた何人か知り合いの顔が誘われるようにして出てきた。 マサがふざけてシナを作る姿に爆笑が起きた。 呆れた春と思わず一緒になって笑っていた時だった。 「あそこにH高の生徒がいんの?」 男の声がした。 そこに含まれていた高校の名前に、何人かの顔色が変わった。 なかには、春と同様高校生も混じっていたせいだ。 さすがに具体的な高校名を出され、とりあえず自分が一歩、その男女の方に足を踏み出した。 補導員なら問答無用で踏み込んでくるだろう。 そうしないということは、そこまでの権限はないのかもしれない。 とはいえ、春にこんなところで周りの注目を浴びさせたくもなかった。 「月島くん、こんなところで何をしているの。家に帰るべき時間でしょう?」 春に視線を走らせると、当の本人は無視を決め込むことにしたらしい。 それでも女の言い方といい、春の頑なな態度といい、思い当たる節はひとつ。 「なあ、春。あのきれーなおねーさん、センセー?」 あえて話を振ると、剣呑とした顔で春が睨んだ。 お前が変な女、そう言った相手だろ? 言外に含ませた意味に気づいたらしい。 ニヤついたオレに、春は「どうでもいいし」と言って女の方に背を向けて歩き出した。 なんとなく周りを囲む仲間たちの輪が崩れ、てんでばらばらの動きを始めた。 少し白けたムードが漂っている。 今日はここでお開きだろう。 その原因となった女をもう一度見た。 置いてきぼりにされて、途方に暮れたような顔をしている。 これまで春に近づいてきた数多の女と何が違うのだろう。 超絶美人かというとそうでもなさそうだ。 あれ以上のいい女が、どれだけ春の愛が欲しいとねだってきたことか。 その女たちに比べたら、正直なところはてなマークがつく。 ただ、何かが引っかかった。 どこかで見たような、顔だと思った。
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