引き裂かれるのは

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引き裂かれるのは

暗いフロントガラスを涙のように落ちていく流れを嫌な雨だと思った。 どんどん激しくなって、ワイパーを最大限にしても視界はみごとに悪い。 打ち付ける風の音も耳障りなほど、不安を掻き立てた。 暴風雨なのだから仕方ないが、できれば早く部屋に帰りたかった。 最近、仕事に力をいれるのが億劫になっていた。 年齢と経験がましていくほどに稼ぎも増え、ミッチやマサとだけでは手が回らなくなった分、他の人間を使ったり、部下レベルに近いほど仕事を頼む人間も多くなった。 裏稼業の人間たちと一緒に動くことも多いせいで、しがらみもできてきている。 若い頃の勢いのままで仕事をしていくには、危険の伴う仕事だとも分かっている。 下手すれば自分の足元をすくわれ、裏社会の闇の中に葬り去りかねないことも。 いつまでも危ない橋を渡り続けることはできない。 いっそのこと、まともな道をもう一度探り、やりなおすか。 それとも、このままずぶずぶと裏稼業の世界にどんどん近づいて、抜け出せない代わりに常に死や暴力と隣り合わせの世界で生きていくか。 そこまで思って、自嘲気味に笑った。 どうしてまっとうな世界に戻れるだろう。 学歴もなければ、頼れる身内もない。 しかも、自分は20歳を過ぎた。 成人として、仕事をしてきた。 いまさら後ろを振り返ったところで、それなりのネットワークと仲間と。 いまさら抜け出すことなどできない。 ウィンカーを出して、右車線に入った。 明治通りはあいかわらず車の交通量が多い。 ステレオから流れる音楽も心底癒やしにはならない。 無意識のうちにハンドルを指先で軽く叩いていた時だった。 スマホがバイブ音をたてた。 メールかメッセージか、後でいいだろうと軽く無視していたものの、鳴り続けている。 思わず舌打ちして、助手席に放り投げてあるスマホに手を伸ばした。 いったん、バイブ音がとまった。 そしてすぐに鳴り出した。 さすがに緊急性を帯びているのだと気づいて、信号が赤になったのを横目で確かめながらスマホを拾い上げた。 画面に、春の名前。 慌てて、スピーカーでの通話に切り替えた。 「どうした?」 「ヒロ!」 切羽詰まった声に、瞬時にして緊張が走った。 「何があった?」 「ヒロ、車回して! 頼むから!」 「どこだよ? 部屋?!」 思わずこちらの声にも切迫感が増した。 「違う、そっちじゃなくて! 学校! オレの!」 H高か。 すぐに自分の位置と学校までの距離を頭の中で算段した。 「頼む、ヒロ……!」 「わかった」 「このままじゃ、浅葱が」 その名前を聞いても、気持ちはほんの少しだけさざなみだったものの、いつものようには荒れなかった。 何か、あったのだ。 こんな台風時に。 ハンドルを切って、左車線に入り、明治通りから路地に入った。 抜け道でも使わないと、いつまでもこの悪天候による渋滞で時間ばかりかかる。 「落ち着けよ。どうしたんだよ」 「浅葱がこの雨ん中閉じ込められて、ぐったりしてて、すげえ体も熱いし、苦しそうで」 「じゃあ救急車呼べよ!」 「呼ぶなって! 生徒を巻き込めねえからって!」 「はあ!?」 舌打ちした。 意味わかんねえ。 彼女の状態など知るべくもないが、自分の体より他人のことを優先するなど、バカだ。 それでも一刻を争うとでもいいたい春の泣き出しそうな声に抜け道である生活道路でアクセルを踏み込んだ。
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