いけすかないガキ

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いけすかないガキ

初めて春の存在を認識したのは、16歳の時。 定時制の高校に入ったものの、すでに学校生活をおくることに意味が見いだせず嫌気が差し始めた頃だった。 高校に入ってからは控えていたのに、しだいに昼間の仕事を終えると、学校に向かわずに渋谷に出ることが多くなった。 そこに、中学生の頃からよくつるむ仲間がいたからだ。 夜になると渋谷は、いつも昼とは違う顔を見せた。 行き場所を失った自分のような人間たちが自然とたむろって、夜の隙間を埋めた。 得体のしれないアメーバのように確かな形をもたないままで。 どこそこのクラブには誰が、どこそこの路上には誰が、どこそこの建物裏には誰が、いた、いなかった、消えた、消された、現れた、パクられた。 そんな噂とともに、なんとなくウマが合う世代の近い人間同士で自然とグループができたり、あるいはそういうグループに属したり。 でもそうなると、グループ同士で反目し合うところも出てくる。 そしていつのまにか自分が渋谷の中でも大きなグループをまとめあげるようになっていた。 自分が渋谷界隈に入り浸っていたというのもあるだろう。 長く密にいれば、知りたくないことも耳に入る。 重なる情報が網の目のように繋がり、事情に精通するようになって、気づけばいつだって周りに誰かがいて、誰かが相談ごとをもちこんだ。 そのうちリーダーだのボスだの呼ばれ、悪い気はしなかった。 春の噂を持ち込んだのは、今はもう名も思い出せないその取り巻きの1人だった。 めちゃくちゃ綺麗なガキがいる。 女みたいなツラしてるけど、こええほど頭がキレる。 だからなんだと、その時は流した。 でも歯牙にもかけていなかった弱小グループが急にシマを荒らし始めた。 周りをどんどん傘下におさめて増長しているらしい。 うちの誰それが見た。 やられた。やった。 やった。やられた。 そんな言葉が飛び交う頃には、無視しろという命令さえも効かないほどに一触即発状態になっていた。 面倒だと静観を決め込んでいた自分が重い腰をあげたのは、仕事仲間でもあったミッチら複数名がぼこぼこにやられたからだった。 男のくせに女みてえにキレイなガキがいた。 まだ中坊らしい。 そいつが、リーダーだと思う。 そう、ミッチがもたらした情報に、興味が惹かれた。 おもしろい。 ションベンくせえクソガキが生半可にでけえツラ下げてのし歩けるようなとこじゃねえんだよ。 そういう気持ちもあった。 腰をあげた自分に、周りのテンションは否応なくあがった。 潰す。再起不能。殺れ。二度とここの敷居またがせんな。ここはオレらのシマだってことを分からせてやんよ。 そう意気がるのは10代ばかりで、結局はたいしてそこらのクソガキと大差ない奴らばかりだった。 でもその頃はそんなことなど関係なかった。 そんなにこっちを排除したいなら、受けて立ってやろうじゃないか。 周りの熱気に煽られるように、相手のグループがよく根城にしているらしいクラブにあえて姿を見せた。 重低音が鼓膜を突き破りそうなフロアで、客の間に緊張感が走った。 その空気などものともせず、件のガキはカウンターに寄りかかって退屈そうにしていた。 遠目にも、その端整な顔立ちはひどく冷たく醒めていた。 近づこうとしたその動線を塞いだのは、自分とたいして年齢のかわらなそうな1人のインテリ風青年だった。 メガネをかけ、いわゆるストリートらしくない風貌。 「なにか用ですか? ヒロさん、ですよね?」 ガキを目の前にして立ち塞がったその男は、片頬を緩めながら自分の名前を名乗ったが、もう覚えていない。 身の程知らずにガキーそれが春だったが、その手の上で踊らされているとも知らない愚かな大学生。 春の傀儡でしかないのに、それに気づけない、インテリ気取りの。 でも操るには、プライドが高い方がいいのだと後々になって春は笑って言ったが。 「ここはオネショも治らねえガキを連れ込めるんだ?」 ミッチの投げつけた言葉にも、ガキはピクリとも反応しなかった。 ただつまらなそうにフロアを眺めている。 その横顔は冴えた月のように整っていた。 「彼は誰かが連れてきた普通のお客です。へんな言いがかりはよしてくださいよ」 「てめえの出る幕じゃねえんだよ。引っ込んでろ。なあ、おい、そこのガキ。おめえだよおめえ」 マサがドスを効かせた声で怒鳴った。 その声の太さに、周りがざわめき、さらに空気が張りつめた。 不穏な店内の様子にバックヤードから出てきた店員がオマワリを呼ぶかどうか視線を走らせてくる。 「おおげさにすんな」 ため息とともに注意すると、マサが「さーせん」と言いながら舌打ちした。 言ってることと顔に出た不機嫌とのギャップに思わず笑いがもれた。 よけいに不機嫌になったマサの肩をたたきながら、前に出た。 「ダチがそっちに世話になったようだから挨拶しとこうと思って」 言いながら、キャップのつばをわずかにあげて、目の前の傀儡リーダーから奥のガキに目を移した。 ガキはちょうどカウンターから身を起こしたところだった。 そしてオレをしっかりと見据えながら、まっすぐ向かって歩いてきた。 リーダーの脇を過ぎ、立ち止まる気配はなかった。 まっすぐな、何者にも屈しないという孤高の眼。 華奢な女の子とさえ見紛う姿に、似つかわしくないほどに猛々しい強さが見え隠れする。 ぞくりとした。 中坊のガキで、しかも野郎だ。 春は、動揺を殺したオレをもきれいに無視してそのまま出口に向かおうとした。 背後のミッチとマサの気配に殺気が混じった。 2人のその分かりやすさは時に命取りになりかねないと常日頃たしなめてはきたが、10代では仕方ない。 そう内心苦笑した時、春が一瞬、小さく笑ったようだった。 「躾、なってないじゃん。分かりやすすぎ」 脇を通り抜けざまに、ほとんど自分にしか聞こえないほどの囁きだった。 ひやり、とした。 「よく見てる」 ひどく喉が干上がり、渇いて、掠れた声しか出なかった。 それが腹立たしい。 「別に」 別に、か。 そのふてぶてしさがなぜか痛快にさえ感じた。 春はなにものにも興味をもたない風でふらりと通り過ぎようとした。 「ガキぃっ」 「やめろ!」 瞬時に逃すまいと動きかけたミッチとマサを鋭く制止した。 その隙に春はふらりとクラブの出口に向かった。 「なんで止めんだよ!?」 納得いかないと怒りをあらわにするマサを抑えた。 同時に、何か、違和感があった。 その正体を探り頭を回転させていると、足が何かを踏んだ。 シルバーアクセブランドのレザーブレスレット。 それを見て違和感の正体に気づいた。 「つかヒロ、お前なんで笑ってんの?」 ミッチの怪訝な言葉に、堪えきれなくなって吹き出した。 年上のがん首を4つも前にして動じないそのタマ。 そして自分の腕につけていたはずのレザーブレスレット。 そこそこ値も張ったし、気に入っていたそのレザーの部分はすっぱりと切られているようだった。 そういうことか。 ガキはガキなりに、かわいい意思表示をした。 そう思うとしょうもなく笑えてきて、そのまま腹を折り曲げて爆笑した。 「いいわ、あのガキ」 あいつがいれば、これからが、もっとおもしろくなる。 今よりももっと、もっと。 その直感に、1人でその時は震えるように笑い続けた。
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