二枚目 「最初の記憶」

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初めて目覚めた日から、二十日間が経った。 スケッチブックは一枚も描けていない。 記憶なんか、一つも戻ってこない。 わかっているのは、 僕が「ニィ」、彼が「イチ」。 女は「エヌ」さん、 男は「先生」、というだけだ。 目が覚めると、必ず右眼から涙が、 イチの左眼から涙が零れている。 何の意味があるのか。 朝は合唱が、 昼は誰かのお喋りが、 夜は静寂が外部から漏れている。 ここはどこなのか。 その合間に三度、エヌさんがやってくる。 僕達を監視するために。 僕は、さっきめくった「六月三十日」の紙を丸めて、 排水溝のほうに投げた。 イチは、そんな僕を、 あいかわらず無表情で見ている。 「0815室、回診」 今日もエヌさんがやってきた。 朝の回診時だけ、体温計とタオルと着替えの服を差し出される。 僕達はそれを自分で正しく扱わないといけない。 体温計を腋にはさんでピピッと鳴るまで待つこと。 タオルで汗や汚れを拭き取ること。 服は前と後ろを間違わないように着用すること。 とエヌさんに説明されたものの、 最初はイチの行動を見よう見まねで覚えた。 イチはどんなことでも慌てずに器用にこなす。 羨ましいと思う。 部屋の隅に転がった紙切れを一瞥し、 エヌさんは事務的に問うた。 「昨日は六月二十九日、本日は七月一日となっていますが、 許可なしに日めくりを更新したのはどちらですか? 点数を下げます」 イチが僕を一瞥したが、 僕は皆から目を逸らしてそっぽを向いた。 「正直に申告しなければ、 更に点数を下げる仕組みになっていますが、 かまわないのですね?」 〈自分がやりました。〉 と挙手したのはイチだった。 「良いでしょう。しかるべき点数処理をしておきます。 ちなみにこの部屋は外からのモニターで常に監視されています。 隠し事は無用と知っておいて下さい。 それでは本日は『七月一日』として朝の回診を行いました。 失礼します」
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