碧翼~ぼくのたからもの~

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1. 万引きと言うものをしてしまった。 いや、意図してやったことではなかった。 お金を払わずに店を出てしまったのだ。  その日、ぼくは欲しいCDがあったのでショッピングモールのATMからまっすぐCDショップへ行った。  発売日の前日だったのでフラゲ出来ると思った。生憎ぼくのご贔屓バンドはマイナーなので新曲でも店頭の目立つ場所には無い。ぼくは店の片隅のミュージシャン名が50音順に並んでいる棚でお目当てのCDを見つけた。 「あった」 嬉しくて小さく口にした。早速レジに向かおうと財布を出しかけて気づいた。財布がない。さっきのATMに置いてきたんだ!ぼくは反射的に店を走り出た。 ピリリリリリ…けたたましいアラーム音が響く。しまった。手にさっきのCDを握ったままだった。 慌てて立ち止まる。頭の中が真っ白。 店員が数名走り寄って来る。一人が腕をつかんで「何しようとしたんですか?!」とか聞いてくる。 「あ…違うんです…ぼくは」 否定しようとしてもうまく言葉が出てこない。 「ましろ!」 ふと名前を呼ばれた。店員もぼくも一斉にそちらの方を向く。 エスカレーターから背の高い男性が、走って来る。知らない、この人。 「すみません、彼女、ATMに財布忘れて。ほら、ましろ、これだろ?」 知らない男の人がぼくの名前を言いながら、デニムの二つ折り財布を右手で持ち上げてぼくに見せる。 「…すみません、ぼく、それ忘れたのに気づいて慌ててしまって、ついCD持ったまま、店出ちゃって…」 店員は「わかりました。レジにどうぞ」とぼくを誘導し、CDの清算を済ますと、 「ありがとうございます。これからは気を付けてくださいよ」 と冷たく言った。 ぺこりとお辞儀をして、(もうこの店には来れないなあ)と思いながら店の出入り口の方を振り向くと、さっきの男の人が、両手をポケットに入れて立っていた。ウェーブした前髪が長い。片方の目がきらりと光ったと思ったら、ニッと笑った。手招きして口の形だけで(来イヨ)と言った。 反射的に彼の方へ歩き出した。 背中でさっきの店員たちが話してるのが聞こえる。 「さっきの客、女なのにぼくって言ってなかったっけ?」 「さあ、世間にはそーいう類の人間もいるんだろ?」 「へえ。…変な女」 ぼくは振り切るように彼の方に走った。ロングスカートが嵩張る。 「おいで、ましろ」 彼は声に出してぼくの名を呼んだ。 CDショップを出た瞬間、手首をつかまれて「つかまえた」と呟かれた。 「あの、何でぼくの名前…」 と聞くと、 「お前、財布の中にキャッシュカード入れる習慣、やめた方がいいぞ」 「中、見たの?」 すると彼はニヤッと笑って、キャッシュカードをポケットからひらりと出して見せた。 ノノムラ マシロ。表面にぼくの名前が浮き出ている。青い鳥がオリーブの葉を加えているイラストのデザインのやつ。 「返してください」 「隙だらけだなーまったく。財布だって、こうやって持ってきてくれるヤツの方が珍しいんだから。金だけ抜かれてる場合だってあるんだぞ。おまけに万引き疑惑までかけられて。ホント気をつけろよ」 キャッシュカードをぼくにあっさり手渡してくれた。 「今後気をつけます」 「それで何だ、お前の場合はLGBTの一種か?」 慌てて財布をしまっていると、いきなりそう聞かれた。 その尋ね方が、乱暴ではなくとても普通だったので、まともに答えることにした。たぶんこの人、いい人だ。 「…トランスジェンダー、ともちょっと違う。ぼくは女で、"ぼく"って言ってるけど男になりたいわけじゃない。でも、子供の時にいつの間にかぼくって言ってて、"私"にどうしても直せなかった。何かすごい違和感があって」 「話し方も女々してないようだ。いろんな場合があるんだな。でも本当に初めて見た、自分のことをぼくって呼ぶ女」 にこにこしてぼくの頭をポンとたたく。 「…馴れ馴れしい」 たたかれたところに触れ、小さな声で呟くと、 「ごめんごめん、お前面白いなって思って。隙だらけだけど」 ぱあっと笑って、またぼくの頭に触れ、わしわしと撫でる。髪がくしゃくしゃになるよ。 「お前、守ってやるよ。ボディーガードっていうか。ほっとけない」 「何だよーそれ」 「まあ、新手のナンパってことで」 くすくす、笑いながら。 「俺の名前はジウ。耳の雨って書いてジウって読むんだ」 「耳雨…?本名?」 「んー、まあ、源氏名かな」 「怪しい」 警戒すると、 「大丈夫。俺、怪しいヤツだけど悪人じゃないから。これからなるべく、そばにいろよ。でないとお前、危なっかしい。ボーっとして何しでかすかわからない」 この人、何か変だ。初対面にしては当たり前のように距離を詰めてくる。 でも、本当に悪い人じゃないように思う。 「守ってやるから、信じてごらん?」 うん。うなずいたら、よーし、って言って、頭からやっと手を離した。 「ましろ。お前も変わった名前だな。耳雨って呼んでみて」 「耳雨さん?」 「呼び捨てでいいよ。ましろ」 LINEのIDを交換して別れた。 我ながら無防備すぎると思う。でも、なんて言うか、存在感が強烈で、それでいて自然で、好感が持てた。 実はぼく以上にへんてこりんな秘密を持っていた耳雨との、それが初対面だった。
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