100日目の朝

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100日目の朝

 この村に来て100日目です。  朝、目覚めてベッドから身体を起こすと、ドアの下の隙間からこう書かれた紙が差し込まれていることに気付いた。  この村に来て10日目の朝にもこんな紙が差し込まれていたような気がする。10日目だけでなく、20日目や30日目もだ。90日目の朝も差し込まれていたから、節目のような日を迎えた時に、この紙は差し込まれるのだろう。  僕は「100日目」と書かれた紙を見つめながら、しばらくベッドの上でぼんやりとしていた。  昨日は遅くまで村の酒場で飲んでいて、ベッドにもぐったのは明け方近くだったような気がする。かなり酔ってしまったからなのか、10日目の朝のことだけでなく、90日目の朝のことも遥か昔のことのように思えて来る。  今日が100日目ということは、明日、僕はこの村を出て行くのだ。  村での生活はなかなか快適だったが、日が経つに連れて、やはり生まれ故郷の街が懐かしくなって来た。  明日、村を出て生まれ故郷の街に帰れば、僕の恋人もじきに帰ってくる。久しぶりに会う恋人にどんな言葉を掛けてやろうかと、僕は恋人の笑顔を思い浮かべながら考えた。  * * *   僕がこの村に来たのは、正直成り行きみたいなものだった。  僕は生まれ育った街で大工の見習いをしていた。仕事は特に面白くもなかったがつまらなくもなかった。毎日、(つつが)なく過ごしていたが、ある日、親方が事件を起こしてしまい、番人に連れて行かれてしまったのだ。  突然仕事が無くなってしまった僕は、何か新しい仕事場はないかと街をブラブラとあてもなく歩いていた。  すると、そんな僕に一人の老人が声を掛けて来たのだ。 「――そこの若い者、仕事を探しているのか?」  振り返ると、見たこともないような不思議な模様の服を着た老人が立っている。 「どうして僕が仕事を探しているとわかったんですか?」  僕が尋ねると、老人はただニコリと笑みを浮かべ、僕の質問に答えようとしなかった。  僕は僕の生まれ育った街のことしか知らないが、他の街や村には未来のことを予言したり、ただの鉛を金に変えてしまう不思議な人がいると言う。もしかすると、この老人もそんな不思議な人の類なのかもしれない。 「仕事を探しているのであれば、わしの村に来るが良い」 「あなたの村に、ですか?」 「ああ、わしの村なら、働かなくても食っていけるぞ」 「でも……」  僕は口ごもった。  老人の「働かなくても食っていける」という言葉は非常に魅力的だった。僕は両親を早くに亡くして特に親せきなどの縁者もいないから、行こうと思えば老人の村へ行ける。でも、やっぱり生まれ故郷のこの街を出て行くのには抵抗があった。  僕はこの街で結婚を約束している恋人を待っているのだ。  恋人は都へ女官として奉公に行っていた。結婚資金を貯めるためだ。僕も大工の見習いをしながら金を貯めていて、僕の分はそれなりに溜まっていた。後は4ヶ月後に奉公を終えた恋人が戻って来たら、恋人の家族がいるこの街で新居を購入して結婚式を挙げるだけだった。  僕は老人の話を断る口実を考えるのも面倒なので、素直に自分が老人の国へ行かない理由を説明した。  老人は笑みを浮かべたまま黙って僕の話を聞いていた。 「お前さんの事情はよく分かった。でも、仕事が見つかるまで、その大切な結婚資金で食い繋いでいくと言うのか? 勿体(もったい)ないんじゃないのか?」 「まあ、確かにそうですけど……」  確かに僕は老人が言った通りのことを心配している。  せっかく良い金額まで結婚資金を貯めたのに、仕事が見つかるまでその資金で食い繋いでいくのは惜しい。  恋人がいる都にでも行こうとも思ったが、都へ行く資格を得るには手続きに時間がかかる。その手続きをしている間にも、結婚資金は消えていくだろう。 「だったら、100日間だけわしの村へ来れば良い。わしの村にくれば、特に働かなくても、家も食べ物も服も与えてやる。お前さんは仕事をしなくても結婚資金に手を付けずに生きて行けるし、100日経ってまたこの街に戻って来たら、無事に恋人と結婚することができる。仕事は戻って来てから探しても良いのではないか?」 「まあ、確かにそうですけど……」  僕はまた口ごもった。  老人の申し出はありがたいが、こんなにも上手い話が世の中にあるのだろうか。  働かなくても良い、と言いながら村に行った途端にひどい仕事をやらされてしまうのではないか。  いや、仕事をやらされるだけならまだ良い。村に連れて行かれた途端に監禁されて……。  僕がいろいろと考えている間も、老人は笑みを絶やさなかった。 「お前さんの考えていることはわかる。村に行った途端にひどい仕事をやらされたり、どこかに閉じ込められてひどい目に遭うとでも思っているのだろう?」 「どうして、僕の考えていることがわかったんですか?」  やっぱりこの老人は不思議な人の類なのだろうか。だとしたら、ますます老人の村に行かない方が良いのではないだろうか、と僕は一歩後退りした。 「お前さんの顔を見ればわかるよ。でも、お前さんの心配していることは何も起こらない。村に来ても仕事をさせられることはないし、ひどい目に遭うこともない。わしたちはお前さんが村に来てくれるだけで助かるんだ。――何せ、村には若い人間がほとんどおらなくてな、村に若い人間がいるだけで助かるんだよ」 「それって、どういう意味ですか?」  僕が言い終わらないうちに、老人は真顔になると突然年齢にしては信じられないような早さで僕の腕をつかんで引っ張った。  僕はびっくりして、咄嗟(とっさ)に目を閉じた。  そして、次に目を開けた時、周りの風景はガラリと変わっていた。  さっきまでレンガ造りの建物が並ぶ、見慣れた生まれ故郷の街の中にいたと言うのに、突然山の奥の一本道の中に立っていたのだ。  僕が突然のことに呆然と立ちすくんでいると、老人は僕の手を離して、また笑顔を見せた。 「ようこそ、我が村へ」  * * *  こうして僕は村の住人になった。  最初は「いつひどい仕事をやらされるのだろうか」「いつどこかに監禁されるのだろうか」とビクビクしながら過ごしていたが、何日かこの村で過ごすうちに、老人が最初に言った言葉にウソがないことがわかった。  僕は丘の上にある小さいがこぎれいな家を与えられて、本当に食料や服などもどこからともなく支給されて来た。  家や食料や服だけではない。僕が村にある店や酒場に行くと、ただで何かを分けてもらえたし、ただでお酒や料理を出してもらえた。  どうしてこんなに優遇されるのかはよくわからないが、僕は村では特別な扱いを受けられたのだ。  気になることと言えば、二つくらいだった。  一つは老人が言った通り、村には若い人間がほとんどいなかったこと。老人は「ほとんど」と言ったが、ほとんどどころか若い人間は誰もいない。  そして、もう一つ、これが一番気になることだった。  村に住む人々は最初に僕が会った老人と同じように歳をとった人間ばかりだったが、村の老人に会うたびに、まるで何かを抜き取られてしまったかのように身体から力が抜けてしまって、鳥肌が立つようなゾッとするものを感じるのだ。  ただ、それ以外には特に不快なことをされたことはない。身体の力が抜けたような感覚も寝て起きてしまうと、何事もなかったようになくなっている。  そうこうしているうちに、ドアの下の隙間に「この村に来て10日目です」という紙が差し込まれた。  僕は「10日目」と書かれた紙を見つめながら、ベッドの上でぼんやりと「この村に来て、もう10日も経ったのか」と思った。  20日目の朝も同じようなことを思った。  それが、30日・40日と続き、そしてとうとう今日は100日目の朝になったのだ。  僕はベッドから降りると、身支度を整えて階下へ降りた。  階下へ行くと玄関のドアが「ガチャ」と開いて、近所に住むおばあちゃんが入って来た。 「朝食持って来ましたよ」 「ありがとうございます」  おばあちゃんはトレイに乗ったパンやらスープやらをテーブルの上に置いた。  僕は相変わらず何か身体の力が抜けるようなゾッとする感覚を覚えたが、この感覚も今日までだと思って、朝食を食べ始めた。  そうだ、僕は明日にはこの村を出て行くのだ。そして、この村や村にいる老人たちともお別れなのだ。  そう思うと、淋しい気持ちもしたが、清々しい気持ちにもなった。周りが老人だけだからかもしれないが、ここに100日間しかいなかったというのに、十年くらいいたのではないかと思う程、身体が急に老けたというかそんな感じがするからだ。  まあ、良い。こんなことを思うのも今日までだ。  夜になって、村の酒場へ行ってみると、そこにはいつもの通り、村の住人全員が集合しているのではないかと思う程の大人数の老人が、小さな酒場にひしめき合っていた。 「ああ、若いの、こんばんは」 「今日も元気だね」  老人が声を掛けて来る度に、あの身体の力を抜けるような感覚が襲って来る。  すっかり疲れを感じてしまった僕は、酒場の奥へ隠れるように移動した。  酒場の奥には、僕をこの村に連れて来た例のあの老人がいた。老人は相当お酒を飲んでいるらしく、僕と同じように赤い顔をしていた。 「こんばんは、色々とお世話になりましてありがとうございました」  僕が丁寧に頭を下げると、老人は「何のことだ?」という表情をした。 「ほら、今日で僕がこの村に来て100日目じゃないですが、明日、僕はこの村を出て行くので、そのお礼です」 「ああ、そうだった……。まあ、とりあえず飲みなさい」  老人は後ろ手に持っていたボトルを取り出した。 「ありがとうございます。そう言えば、明日はどうやって街に戻れば良いのでしょうか? ここに来たときは、その、いつの間にかこの村に来ていたので……」 「まあ、とりあえず飲みなさい。この酒は美味しいぞ」  僕は持っていたグラスで老人のボトルの酒を飲んでみた。何の酒かはわからないが、確かにものすごく美味しい。 「美味しいですね。それで、明日はどうやって……」  その時、僕はめまいに襲われた。  酒を飲み過ぎたせいなのだろうか、僕は頭を押さえながら、意識が遠のいて行くのを感じた。   * * *  気が付くと、僕はベッドの上にいた。  目の前が明るく、窓の外からは鳥の鳴き声が聞こえて来る。  もう、朝が来ているようだった。  昨日は遅くまで村の酒場で飲んでいたはずだ。僕をこの村に連れて来た老人の酒を飲んだところまでは覚えているが、ベッドにもぐった記憶がない。ずいぶん酔ってしまっていたから、酔いつぶれた僕を誰かが部屋まで運んで来てくれたのだろう。  ベッドから身体を起こすと、ドアの下の隙間から何か文字が書いてある紙が差し込まれていることに気付いた。    この村に来て100日目です。  昨日もこんな紙が差し込まれていて「100日目」と書かれていたような気がするが、僕の気のせいだろうか。  それとも僕は、10日前に差し込まれた「90日目」の紙と勘違いしているのだろうか。  どちらにしても、寝起きのせいなのかハッキリと思い出すことができない……。  僕は「100日目」と書かれた紙を見つめながら、しばらくベッドの上でぼんやりとしていた。 「――おはようございます」  玄関のドアが開く音に続いて、階下から声が聞こえて来た。いつも僕に朝食を持ってきてくれるおばあさんの声だ。  僕は慌ててベッドから起きると、身支度を始めた。    今日が100日目ということは、明日、僕はこの村を出て行くということになる。  明日、この村を出て生まれ故郷の街に帰れば、僕の恋人もじきに帰ってくるだろう。  久しぶりに会う恋人にどんな言葉を掛けてやろうかと、僕は恋人の笑顔を思い浮かべながら考えていた。   【了】
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