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五
桃子の通う学校は女子校だ。ヒカルが周辺をうろちょろするのは、通報される可能性が高いと見て、学校周辺の監視はエリーに免除された。その代わり、放課後は毎日、通学路で桃子の帰りを待つ。
待ち伏せしている気持ち悪い男だと思われても仕方がないところだが、桃子はいつも、ヒカルと顔を合わせると、嬉しそうに笑う。そして帰らなければならない時間になると、平日であれば、「また明日」と手を振る。
道端で立ち話をするのも限界があって、二人の逢瀬は近所の公園のブランコへと、場所を移した。寂れた公園には遊んでいる子供たちの姿はなく、気兼ねなく椅子代わりにブランコを使用することができた。
会話が途切れると、手持無沙汰になったヒカルは、全力でブランコを漕ぎ始める。足を折り曲げ、伸ばしを繰り返すと、次第にふりこ運動は激しくなり、高いところに到達する。
その様子を見ていた桃子は、くすくすと笑った。
「ヒカルくん、本当にブランコ乗るの好きだね」
敬語は薄れていて、彼女はヒカルに気を許していた。
子供っぽいとからかわれた気がして、ヒカルは頬を膨らませる。
「そういうのが子供みたいって言うんだよ」
「どうせ俺は、年相応に見てもらえないですよ~、だ」
こうして桃子と話をしていても、どちらが年上なのかわからない。鞄の中でじっと耳を澄ませているだろうウサギが、馬鹿にしている気がした。スポーツバッグのファスナーは閉めたままだ。エリーの存在を意識すると、桃子とちゃんと話ができなくなる。
足の運動を止めると、振れ幅は小さくなっていく。やがて足が地面に着くと、ヒカルはブレーキをかけて、ブランコを完全に止めた。
その様子を、姉のように慈愛の目をもって見守っていた桃子に、ヒカルは目を向けた。じっと見つめられて、桃子はヒカルの意図がわからず、首を傾げた。
学校でのいじめは、相変わらずのようだった。今日も、ヒカルに心配させまいとしているが、制服が汚れていた。突き飛ばされ、転ばされたときに打ったのだろう膝も、青くなっている。
(肉体派の暴力はないんじゃなかったのかよ)
指摘したところで、「どうせあと一ヶ月もないんだし」と桃子は笑ってはぐらかすに決まっている。
あとひと月という刻限を、ヒカルは納得できないでいる。
十六歳になったら、結婚をする。
衝撃的な告白の後、黒田の家に戻ったヒカルは、エリーと口論になった。
桃子の婚約者はどんな男なのか、望まぬ結婚をさせることは、虐待ではないのかと主張したヒカルを、エリーは一蹴した。
『それは、今回の捜査には関係ない』
『なんでそんなことわかんだよ。もしかしたら、結婚することによって、歴史が変わるかもしんないじゃん』
ヒートアップするヒカルを止めたのは、黒田だった。
彼は龍神之業の集会に参加して、信者たちの会話を聞き、おかしな点がないかを探っている。桃子の結婚の話は、つい最近の話ではなく、彼女が生まれたときから決まっていたのだという。ようやく、という言葉で安堵の表情を浮かべていた信者女性のことを、黒田は話した。
『だから、桃子さんの結婚は、歴史改変には関係がない。むしろ、彼女の婚約を駄目にすることが、改変に繋がるかもしれない』
彼女のことを救ってやりたい一心だった。ヒカルは自分の思想や行為が、どれほどの危険を孕んだものであるのかを知り、やりきれない思いで「でも」と反論を試みた。
しかし、「でも」以上の何も出てこない。
『自分自身の職務をわきまえることだな』
クールな声音に、ヒカルはぐうの音も出なかった。
こうして目の前で桃子を見ていると、彼女が来月には、誰かの元に嫁いでしまうというのが信じられなかった。
ヒカルは溜息をついて首を横に振ると、ポケットから飴を取り出して、彼女に差し出した。ぱっと桃子の顔が幼い喜びに咲く。
「ありがとう」
口の中に入れると、「変な味」と彼女は苦笑した。何の変哲もないコーラ味のキャンディだが、教祖の娘として育てられた桃子は、コーラを飲んだことがない。
最初のうちは、ヒカルが与えるコンビニ菓子の類を、「食べちゃダメって言われてるから」と拒絶していた桃子だったが、甘い誘惑には勝てずに、今や虜になっている。
(可愛いな)
口いっぱいに大きな飴玉を頬張る桃子は、リスに似ている。この顔をずっと見ていたいな、とヒカルは叶わぬ願いを胸中に抱いた。
「あ」
しばらく黙って初めてのコーラ味を堪能していた桃子だったが、ヒカルに向かって目を瞬かせて叫ぶ。
「何これ! 酸っぱい! しゅわしゅわしてる!」
「炭酸パウダー入りだからな」
未知の感覚に慌てふためいている桃子に、ヒカルは「してやったり」と笑みを浮かべた。「わぁ」とか「うぅ」と声を上げて、はじめは戸惑うだけだった桃子も、慣れてくるとパチパチと弾ける楽しさに目覚めたようだ。
「もう一個、ある?」
あるよ、とヒカルは彼女の手にキャンディの包みを一つ渡した。慎み深い彼女が、おかわりを要求してくるのは、とても珍しいことだった。一つと言わず、二つでも三つでも、袋丸ごとあげてもいいや、と思った。
「ありがとう!」
そう言って、包みを開けようとした桃子だったが、それは叶わなかった。
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