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 月曜日。珍しく桃子の方が先に、公園に来ていた。先日の風見の件もあって、ヒカルはしばらく、声をかけずに離れたところから見ていた。  彼女は鞄から取り出したのは冊子だった。教科書やノート、参考書の類ではない。桃子と同じ年頃の少女が表紙で笑っている、ファッション誌だった。  放課後の公園で会って話すだけのヒカルは、桃子の私服を一度も見たことがなかった。黒田なら、何度も集会で見ているだろうが、尋ねたところで、「どうしてそんなことを?」と、余計な疑問を抱かせる結果になるだけだろう。  それにしても、熱心に記事を読み込んでいる。時折、溜息をついているのもわかった。  いつまでも眺めているわけにもいかず、ヒカルは近づいて、「よ」と軽い調子で声をかけた。すると、桃子は雑誌を慌てて隠そうとして、失敗する。  地面に落ちた雑誌を拾ったのは、ヒカルだった。返して、と必死になる桃子に、抵抗せずに渡す。いそいそと彼女は、鞄の中にしまった。  ヒカルはブランコに腰を下ろす。しばらくの間、会話はなかった。ヒカルは桃子が話してくれるのを待った。 「に、似合わないって思ったでしょ?」 「何が?」  すらっとぼけて、ヒカルは彼女の顔を見る。目を合わせようとしない桃子の耳は、赤く染まっている。白い肌に赤が透けるのに、ヒカルはドキリとした。 「私に、ああいう洋服」 「ああいうって?」  今度はとぼけたわけではない。裸眼でそこそこの視力を誇るヒカルであっても、アフリカのどこかの部族のように、地平線の向こうまで見渡せるような能力は持っていない。  桃子が熟読していたのが、ファッション誌であることはわかっても、どういう系統のファッションを扱っているのか、というところまではわからない。  誌名を見ても、ここから一世紀隔てた未来、「個性」を押しつぶすことを選んだ時代で生きてきたヒカルにとっては、判断材料にならない。  邪気のない笑みを浮かべるヒカルに、桃子は小さく溜息をついて、隠した雑誌をおずおずと取り出した。 「『LoveTEEN』?」  はい、と渡されたそれを、ヒカルは捲る。女子高生でも買いやすい価格帯の、様々なテイストのファッションが掲載されている。あまり女性と関わってくることのなかったヒカルのイメージでは、女性の好むファッションというのは、ピンク色で、ふわふわで……という画一的なものだった。  だが、桃子の秘密の愛読書の中のモデルたちは、様々なカラーとスタイルの洋服を纏い、メイクもそれぞれ違う。しかも、別の特集記事の中では前の記事とは異なる人間に見えるほど、ガラッと変わるものだから恐れ入る。  思わずヒカルは、まじまじと熟読してしまった。その間、桃子はこちらをじっと見ていた。不安な色に濡れた目を見つめ返して、ヒカルはなんとなく、照れくさい気持ちになる。 「べ、別に、似合わないなんてことはないんじゃないか?」  パラパラパラ、と再度雑誌を捲り、「これとか!」と、「いいな」と思った服を着たモデルを指した。 「こ、これ……?」  桃子の声がひっくり返る。 「うう、うん。似合うと思う、うん。似合う」  ヒカルは胸を張るが、心の中で「たぶん」とか「思う」と付け足した。  よくよく見れば、自分が示したのは自分の欲望を丸出しにしたものだった。ノースリーブの白いニットは、ぴったりサイズで女性のウエストラインを美しく演出し、小花柄のロングスカートは、ふわりと風に揺れているのが、写真からも伝わってくる。  桃子はじっと写真を見つめると、真っ赤になる。 「そ、その。これはちょっと、季節が早いと思う……!」  確かに、ファッション誌の季節は先取りで、春の喜びと華やかさに溢れている。現在二月の半ば過ぎ、一番寒い時期ということもあって、「ノースリーブは、ちょっと」と桃子は顔を顰めている。 「じゃあ桃子は、どういうのが着たいの?」 「わ、私は」  もじもじと、彼女はスカートを弄る。ヒカルがゆっくりと彼女に向けて捲るページを、ちらっと横目で見ていた彼女だったが、「これ」と控えめに指さしたのは、パステルイエローのロングカーディガンだった。 「いいじゃん。似合うと思うよ」  本心からの言葉だった。桃子の穏やかな雰囲気に、春らしさと爽やかさと備えた淡い黄色はしっくりくる。嘘、と疑う彼女に「嘘じゃないって」と証明すべく、ヒカルは雑誌に目を落とす。 「ほら、こういうふわっとしたトップス着るだろ? で、下は……ショートパンツとか? お、これとかいいんじゃね?」  トップスは花柄のシフォンブラウスでもいいな、と桃子の顔と雑誌に掲載された洋服を見比べて検討したヒカルは、「……見てみたいな」と本音を漏らした。 「え?」 「っ! あ、あー……」  怪訝そうな桃子の声に、ごまかしてみても仕方がない。ヒカルは自分の頬が熱くなるのを漢字ながら、彼女に自分の正直な思いを告げた。 「私服も、見てみたいなって。いや別に、制服姿は飽きたとかそういうんじゃなくってさ」  放課後の制服姿は勿論、彼女の清楚さを引き立てていて、とても似合っている。真冬のダッフルコートも、チェックのマフラーもいい。  本心は、「私服を見たい」というのとは、少し違う。 「……学校休みの日も、会いたいし、ここじゃなくて、もっと他の場所に、遊びに行きたい」  消え入りそうな声になったのは、エリーを警戒してのことだった。鞄の中に入れて、蓋を締めているからカメラの方は無効化しても、マイクの集音能力は生きている。黒田から借りたタオルの類を詰めて、さらには音楽プレイヤーをウサギの耳に突っ込んでという対策は取っているが、聞かれているかもしれない。 「それって、まるでデートに誘われてるみたいに聞こえる」  真っ赤な顔をして、桃子は唇をきゅっと引き結んでいた。ヒカルは心臓が破裂しそうなくらい弾んでいるのを気取られないように、あっさりと、「みたい、じゃなくて誘ってんだよ」とぶっきらぼうに言った。 「でもっ、私、家の手伝いが……」 「桃子」  ヒカルは彼女の手に、自分の手を重ねる。夢を見てはいけないと自分に言い聞かせている、頑固な握りこぶしを、自分の手の内に包んでやると、桃子は泣きそうな目をこちらに向けた。 (ああ、好きだ)  写真を見たときには得られなかった感情は、実際に会ってみて、すぐに胸の内から湧いた。  子供は、生まれ落ちる家を選べない。宗教家の家に生まれた桃子は、神のために生きることを最初から決められていて、諦めの境地にいた。だから、望まぬ婚姻を結ばれそうになっても、「それが私の運命」と言い聞かせている。  虐められても顔を上げ、前を向いているのは強さでもなんでもなく、「どうせあと一ヶ月なのだから」と、やはり諦めの感情が根底にあることは否めない。  職務を忘れるなと、エリーは言う。自分たちが、元々の歴史を変えるようなことをしてはならないことは、ヒカルだって、重々承知している。  でもすでに、ヒカルは桃子と関わってしまった。年上の、ただの友人というには、彼女の内面を知りすぎてしまった。ならば、龍神之業と関係のない面で、桃子の今後の人生を変えることくらい、誤差の範囲ではないか。  どうせヒカルは、彼女とずっと一緒にいられるわけではない。
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