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 予約していた美容院で、親にばれないよう、長さをほとんど変えずに整えてもらった。コテで巻かれていく自分の髪の毛を、鏡越しに桃子は見つめている。お喋りな美容師が話しかけても、桃子は反応しない。 「大丈夫だって。強いスタイリング剤は使ってないし、このくらいなら、学校で友達にやられたって言い訳ができるくらい」  ヒカルの説得に耳を傾け、彼女は「うん」と小さく頷いた。美容師とのトークもスムーズに行われるようになって、ヒカルも安心して、ソファに腰を下ろして、セットが終わるのを待った。  そして一時間後。 「ど、どうかな?」  ヒカルの前にいるのは、いつもの制服姿よりも、三歳は大人びてみえる桃子だった。買ったばかりの洋服は、春を先取りしている。軽くメイクもしてもらって、彼女も気分が高揚し、落ち着かない様子であった。  反応のないヒカルに、「ヒカルくん?」と首を傾げる桃子の破壊力といったら。 「か……可愛い、というか、うん」 「なに?」 「……きれいだよ」  言ってから、照れくさくて俯いた。初めての形容に、桃子も無言で視線を下に向けている。担当した美容師だけが、ムフフ、と楽しそうに含み笑いをしていた。  会計を済ませて外へ出る。慣れないヒールのパンプスに、桃子は足をもつれさせる。 「ちゃんと捕まって」 「うん」  一人で歩くのは、危なっかしい。桃子も慣れてきたのか、ヒカルが捕まるように指示した腕に、大人しく手を添えてそっと体重を乗せた。  それからクレープを食べたり、パンケーキの行列に並んだりした。この時代はパンケーキが流行しているのだということを、ヒカルは初めて知った。二人で歓談していると、一時間の待ち時間も、そう長くは感じなかった。  その帰り道のことだった。 「あのぉ、すいません」  後ろから声をかけてきたのは、眼鏡をかけたパンツスーツの女性だった。パリッと皺ひとつないストライプのパンツスーツに、フリルのついたブラウスは洗練された都会の働く女、という雰囲気だ。コートの丈も計算されており、ストールと鞄、パンプスの色がリンクしているのもファッショナブルだった。  ただの会社員ではなさそうだ。女性の服装もそうだが、それ以上に、後ろに着き従う男が、専門性の高いカメラを首から下げているのを見て、ヒカルは「なんですか」と警戒を解かずに返す。  怪しい連中から、桃子を守らなければならない。ぎゅ、と彼女の肩を抱き寄せた。  眼鏡の女性は、「怪しい者じゃないわ」と言って、名刺を取り出して、桃子に手渡した。彼女はそこに書かれている女の肩書を見て、「えっ」と声を上げた。 「らぶ、てぃーん……の、編集さん?」 「そう。片桐といいます」  名刺を渡されても、桃子は片桐の意図がまるでわからず、呆然としていた。名前は、年は、と矢継ぎ早に問いかけられて、桃子は聞かれるがままに回答していく。 「ちょ、ちょっと! あの、本当に何の用っすか?」  流されて、個人情報をすべて開示してしまいそうな勢いの桃子を止める。片桐は、「あら、説明してなかったわ」と、うっかりした性格を露呈すると、ようやく説明を始めた。 「『LoveTEEN』は読んでくれてるのよね? じゃあ、スナップコーナーもご存じ?」  編集部員たちが原宿や渋谷などの、若者たちが集まる街へ飛び出し、気になるファッション、スタイルの女子(時には男子)の写真を撮影する。ティーンズ誌売り上げナンバーワンということもあり、『LoveTEEN』の街角スナップに掲載されることは、おしゃれに敏感な少女たちのステータスである。 「え、ええ、わ、私が、ですか?」  寝耳に水だった。頬を紅潮させて、桃子は信じられない、と身を震わせる。 「夢みたい……!」  流行の最先端である街に遊びに来るための、洋服も持っていなかった。雑誌を眺めて、憧れの溜息をつくだけで、諦めていた自分が、記事を暗記するほどに夢中になった『LoveTEEN』の誌面に出られるなんて、思わなかった。桃子は片桐に、早口で思いのたけを語った。  片桐は、嫌な顔ひとつせずに、桃子の話に相槌を打った。 「そんなにうちの雑誌を愛してくれて、私も嬉しいわ」 「ほ、本当に私でいいんですか? ここにはもっと、おしゃれな人も、可愛い人もいるのに」  道の端によって、実際に写真を撮影するという段階になっても、桃子はまだ信じられない。 「そうかもしれないわね」  片桐は一度、桃子の言葉を肯定した。個性的なファッションの少年少女たちは、街のそこかしこに溢れている。 「でも、あなたが新しい服を着て、とても幸せそうだったから。うちの雑誌は、ラブ&ピースがテーマなのよ」  狭い価値観の家に閉じ込められていた桃子が、好きな服を着て憧れの街を歩く喜びを、全身で表現していたのが、片桐の目に留まったのだ。  カメラを向けられて、桃子は笑みを浮かべたが、どこか緊張して、硬いものだった。カメラマンの後ろに立ったヒカルは、両手の指で口の端を上げて、「笑って」と伝える。それでも、彼女の表情はぎこちない。  ヒカルは少し考えた結果、後ろを向いた。指を目元に持って行くと、思い切り引っ張った。ヒカルの大きな目が、細い線のようになる。さらに、口を思い切りすぼめて、頬を内側に引っ込めて、変な顔を作ってから、振り返った。  何事だろう、とヒカルの動きを見守っていた桃子は、渾身の変顔を直視してしまう。声を上げた彼女の笑顔は、とても自然なものだった。肩の力が抜け、カメラマンの指示に従って、ポーズを取る。 「彼氏さんも、一緒にスナップに載ってみない?」  片桐の提案に、ヒカルは慌てて首を横に振った。この時代に存在しないヒカルの写真が、雑誌に掲載されるのはまずい。エリーに絶対にバレる。 「ヒカルくんも、一緒がいいな」  桃子まで言い始める。そしてヒカルは、彼女のおねだりにとても弱い。ウッ、と言葉を詰まらせた後、写真を絶対に掲載しないことを条件に、桃子の隣に立った。  桃子がヒカルの腕を組む。ふわりと巻いた髪の毛が揺れて、サロンのシャンプーの香りが立つ。ドキっとして、横顔を拝む。幼い少女とばかり思っていたのに、大人の女性の色気が滲み出している。 「彼氏さん、こっち向いて」  カメラマンの指示に、慌ててヒカルは向き直る。 「ありがとう」  撮影音にかき消されるほど小さな声で、桃子は呟く。わがままを聞いてくれて、ありがとう。彼女はヒカルに感謝する。 (思い出作りに付き合ってくれて……か)  ヒカルの中に、やり場のない憤りが渦巻く。最初で最後の機会だからと、桃子ははしゃぎつくした。けれどそれは、結局のところ、諦めの域を出ない。  桃子の肩を、ヒカルは強引に引き寄せた。バランスを崩した彼女は、全体重をヒカルにかける形でもたれてくる。 「ヒカルくん?」 「笑って、桃子」  言いながら、ヒカルは内心では、泣きそうだった。自分の力では、桃子の考えを変えることはできない。  せめて、今日一日を切り取る写真だけは、最高の表情で。  ヒカルも、自分の唇に鞭打って、最大限に楽しそうな笑顔を作った。
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