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 事前に通達されていた集合時刻の五分前に、ヒカルは重い扉の前に辿り着いた。緊張に弾む心臓を、少しでも落ち着けるべく、深呼吸した。ノックするために拳を握ったことで、手汗に気づいた。  握手を求められることもあるかもしれない。そう考えて、制服で掌を拭う。  唇を湿らせてから、ヒカルは思い切って、扉を三回叩いた。 「入りたまえ」  部屋の中からは、感情の窺えない声がした。機嫌がいいのか悪いのか、ヒカルには皆目見当がつかない。  だからといって、入らないわけにはいかない。失礼します、と短く言いながら、扉を開ける。  手を組んだ上に、顎を乗せた壮年男性が、ヒカルを見つめている。柔和な雰囲気を身に纏っているが、その眼光は鋭く、ヒカルはびしっと背筋を伸ばして、敬礼した。指の先の先まで、気を張り巡らせる。 「奥沢光琉(おくさわひかる)巡査、本日付で警視庁時間犯罪対策部正史課に配属されました」  新人は、警察学校で訓練を受けたとはいえ、素人とほぼ同義。ヒカルができることといえば、一生懸命になんでもやり遂げようと努力することと、大きな声を出すことくらいだ。  元気が取り柄だと全面に押し出したヒカルに、男は一瞬目を大きくしたかと思うと、すぐに細めた。 「楽にしていい」 「はっ」  短く言ったヒカルは、休めの体勢を取り、園田部長を見据えた。  普通、新人巡査であるヒカルが、警視正である園田と直接対話する機会など、この一回限りだろう。だが、ヒカルの配属された時間犯罪対策部は、「普通」の部署ではなかった。  二十一世紀の半ば頃から、世界各国で超能力研究が進んだ。サイコキネシスにサイコメトリー、テレパスなどの能力の他、自由自在に時間跳躍をすることのできる超能力に注目が集まった。  事故によるものと区別して、タイムスキップと称するその力を開花させた人間は、善良な人間ばかりではなかった。そうした連中は、極悪非道な犯行を繰り返しては、別の時代に跳ぶということを繰り返していた。  後手に回ったが、警察もまた、そうした犯罪者たちに対抗すべく、能力者たちを集めた。  それが、時間犯罪対策部である。  国民の不安を無用に煽らないように、その存在は極秘とされている。警視庁の地下深くに存在し、ほぼ能力者で構成されている。 「正史課は、時対の捜査一課と言われるほどの、花形だ。だが、その分、責任と重圧を伴い、過酷な部署でもある」  立ち上がった園田は、コツコツと足音を立てながら、ゆっくりとヒカルに近づいてくる。  正史課は、他の課とは異なる。別の時代へと逃げおおせた犯罪者を追うのでもなく、隠滅された証拠を、現在まで残る遺物からサイコメトリーして、未解決事件を解決に導くのでもない。  その名の通り、歴史そのものに対する犯罪を取り締まり、正しい歴史を守るための部署である。その分、犯罪者たちも狡猾であり、厳しい戦いが強いられることは、事前の説明で言い渡されていた。  もしも君が、話だけで辛いと思うのならば、辞退するのならば、これが最後のチャンスだ。  ヒカルは首を横に振り、辞令を受け取った。「正史課」という文字列に、ヒカルは胸の高鳴りを感じた。辛くたって、構わない。テンションだけではなく、しっかりと考えた末の結論でもあった。  ようやく、この力を役立てられる時が来たのだ。  タイムスキップ能力の強さには、個人差がある。過去と未来、どちらにでもいける者もいれば、過去にしか行けない者もいる。跳べる時間の絶対値も違う。また、跳んだ先で滞在できる時間も、能力者それぞれによる。  ヒカルの力は、強大であった。それゆえに、精神のバランスを崩すと、すぐに不安定になる。狙った時代に跳べなかったり、そもそもスキップできなかったりした。  超能力研究所の訓練を真面目に受けて、ようやく安定したのは、高校に入学してからだった。周囲の人々に迷惑をかけ、持て余していた能力を、ヒカルは新人捜査官として、発揮しなければならない。  興奮と緊張に、鼻息を荒くしたヒカルの肩を、園田は叩いた。力強く、励ます。 「気負うことはない。まずはできることを、ひとつひとつだ」 「はい!」  それから園田は、警察官としての心構えをいくつか言って聞かせた後に、今日の業務について指示をした。 「医務室へ行きなさい」 「医務室……ですか」  体調は万全だから、現状、用のない部屋だ。もしかして健康診断だろうか、と口にすると、園田は笑った。 「まぁ、それもある。が、そこに君の仕事のパートナーがいる」  違う時代に跳んでの任務は、危険を伴う。実際の捜査活動にあたるのは能力者のヒカルだが、それをフォローする、バディが存在するのだ。 「はい! それでは、失礼いたします!」  再度びしっと敬礼を決めて、ヒカルは退室した。 (き、緊張した~……!)  ほっと肩から力を抜いて、ヒカルは廊下に出て、自由に空気が吸えることに気がついた。呼吸が楽だ。素晴らしい。一度背伸びをして、凝りをほぐすと、「よし!」と再び気合いを入れて、園田に言われたとおりに、医務室へと向かった。
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