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 だが、その悩みは無駄に終わった。振り返った風見は、笑顔だった。桃子に対して向けていたものとはまるで真逆の、悪意に満ちていると言ってもいいほどの、表情だ。 (違う)  風見のその表情を見た瞬間、ヒカルは自分の勘違いに気がついた。  彼は、桃子の婚約者ではない。彼女への好意よりも、自分への敵愾心の方が強い。自分の女に手を出す男への怒りではなく、もっと別の、底知れない悪意を覚える。 「あんた……」  声が掠れた。咄嗟に胸ポケットを押さえる。そこには、ロープを隠してある。銃の携帯は、現地の警察にばれるとこちらが捕まってしまうという理由で、許されていない。ナイフなどの、直接相手に危害を加えるようなものもだ。一見すれば、武器には見えないもので、ヒカルたち正史課の人間は、戦う訓練をしてきている。  この男は、敵だ。本能がそう告げている。思い返せば、桃子は、風見が父の顧問弁護士になったのは最近のことだと言っていた。  ピース・ゼロの人間が、歴史改変のために未来からやってきて、龍神之業の教祖に接触したと考えるのが、妥当だ。  緊張を破ったのは、風見だった。彼は両手を挙げて、降参の意を示す。虚を突かれた形になったヒカルだったが、すぐに男の魂胆はわかった。 (こいつ!)  敵意がないことを示した相手に、ヒカルたちは実力を行使することができない。こちらから先制攻撃をしかけることは、違法。風見はわかっていて、攻撃の意志がないことを示しているのだ。 「……何が目的だ」  お前は誰だ、という問いはもはや無意味だ。お互いにわかっている。風見はピース・ゼロの一員で、ヒカルは時間犯罪対策部の捜査員である。 「わかっているくせに」 「違う。俺に話って、なんだ」  歴史の流れを変え、自分たちの描いた未来へ舵を取ることが、ピース・ゼロの目的なのはわかりきっている。相反する存在なのに、風見は自分から、ヒカルに近づいてきた。 「いいや? うちのお嬢様と、末永く仲良くしていただければと思いまして」  風見は凶悪な本性を押し隠して、慇懃に振る舞う。 「それだけですよ」  彼はヒカルのことを、鼻で笑ってあしらった。自分の言葉を、ヒカルが理解できないと思っているのだろう。事実、ヒカルは風見の意図を、掴めずにいた。 「それじゃあ、私も帰りますね」 「待てよ!」  一瞬考え込んでしまったヒカルは、はっと我に返って叫ぶ。手首を掴もうとしたが、ひょいと逃げられてしまう。彼はクッ、と喉の奥でヒカルを嘲笑う。 「俺は何もしていないのに、暴力沙汰か?」 「!」 「通報されたら捕まるのは、この時代では、お前の方なんだよ。時空警察さん?」  ぐうの音も出ずに、ヒカルは歯ぎしりした。風見は、今度は声を上げて笑った。 「せいぜい楽しめばいいさ」  捨て台詞を残す風見の名を呼ぶと、彼は一度立ち止まり、訂正した。 「カイ、だ。風見なんて奴は、どこにもいない。覚えておけ」  またもやヒカルには、風見……カイの意図がわからなかった。わざわざ本当の名前を、自分に告げたのには、何か裏があるのではないか。カイは自分の名前を通して、ヒカルに何を伝えたかったのか。 (ただの気まぐれならいいけど……)  釈然としないものを抱えたまま、ヒカルはしばらく、その場に立ち尽くしていた。
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