電車、オフィス、そして家

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電車、オフィス、そして家

 営業で城西地区の顧客を訪問した帰り、(ひろし)は、オレンジ色の電車で新宿のオフィスに戻ろうとしていた。昼下がりの中央線特快は空いていて、座ることができたし、背中に春の日差しが優しく感じていると、ついつい眠くなってしまう。  ウトウトして少し寝てしまった。ハッと目を開けたその時だった。停車したドアからバタバタと音をたてて白い割烹着のようなものを着たおばさんが入って来て、空席だった浩の隣にドッカと腰を下ろした。彼女は、膝の上に柔らかい生地の布袋を置いて、不安定で今にも中に入っているものが床に落っこちそうなのを左手で何とか抑えながら、右手で中から小さい白い紙を(にわ)かに一枚取り出して、何が書いてあるか点検し始めた。凝視したわけではないが、右目の端の方で浩がそっと覗き見たところ、それはスーパーのレジで貰うようなレシートに見えた。    おばさんは、そのうち、右手で布袋の中をまさぐりがら、一枚レシートを出して眺めては元に戻す動作を何度も繰り返し始める。最初は、ゆっくりしていたが、だんだん動作が速くなり、次から次へとレシートを取り出してもの凄いスピードでチェックして行く。  浩は、不思議に思った。既に見たレシートと未だ見ていないレシートをどうやって区別しているのか、動作の具合からして、見終わったものを片方に寄せている風にはどうも見えないから。それにしても、次から次へとレシートは取り出されていく。いったい全部で何枚のレシートがその布袋に入っているのか見当もつかない。  ちょっと怖くなって、おばさんの方を見ないように、浩は目を瞑ったが、妙な緊張感とともに縦の細かい振動が伝わってきて、一寝入りするような状況ではなかった。隣の女性は、そのめまぐるしい動作とともに、ものすごい勢いで貧乏ゆすりをしていたのだ。  はあ、と溜息をつきたくなった浩だったが、暫く我慢してその席に座り続けていた。でも、なんか落ち着かない。スマホでニュースを見ようとしてみたが、息を止めて訳の分からない作業に集中している隣の女性のことが気になって仕方がない。  そして、とうとう電車が中野駅に到着するや席を立ち、別の車輛に移動することにした。でも、あの徒労とも言える作業を繰り返す動作、どこかで見たことがある。何だったっけ、よく思い出せない。浩は、靴の上から足を掻いているようなもどかしさを感じながら、帰社の(みち)を辿るのだった。  
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