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 この動画を何回、何十回、何百回と巻き戻しては再生して確認したが、当時のタイムに戻ることはなかった。目に焼きついた自分のフォームが頭からも胸からも足からも離れない。離れないはずなのに、目にも頭にも焼きついた同じフォームで走っているつもりなのに、あのころのようにタイムが伸びないのは一体なぜなのか。それは似たようなフォームであって同じではないからだ。  あのころより身長も伸び、体重も増え、野球部で培(つちか)った鎧のような筋肉も纏い、そして一番は持病の喘息が再発して、僕の体の形を変えてしまったような気がしていた。もう僕の体ではない感覚。僕の指示通りにも動けない人形以下の様な感覚。何度問いかけたかも忘れたくらいに問いかけた。一体僕の体はどこへ行った?  しばらく喘息の症状などはほとんどなかったのに、さすがに運動を始めると発作まで出始めるようになってしまった。今までは薬など使用していなかったが、最近ではパルミタールを常用。一日二回吸入している。喉の炎症を抑え、発作の発生頻度を減らしてくれるらしいのだが、相変わらず発作は起きているので本当に効いてるのかはよくわからない。  さらに、発作が発生してしまったときのために、サルタノールの吸入器も持ち歩いている。確かに持っているだけで安心はするが、口から吸入して発作が収まっても苦しいことに変わりはない。しかし、あるとないとでは格段に心の持ちようが違うので常備携帯はしているというわけだ。  喘息が再発したからといって僕は何を心配するでもなかった。喘息は物心ついたときからの付き合いであるし、喘息だから野球をしてはいけない、走ってはいけないという規則もない。駅伝をしてはいけないとも、タイムが伸びるわけないとも自分自身一度だって思ったこともない。タイムが伸びるわけないと誰かに言われたことだってない。  要は、病気との付き合い方が大事なのだ。そして体格に関しては、伸びた身長を縮めることはできないが、体重は調整がきくしまだまだこれから絞ることも可能だ。つまり、記録が伸びる可能性は無限に広がっているといえる。    ところが残念なことにここ最近、僕の思考とは裏腹な結果ばかりが表に出ていた。駅伝部の大会はこの中学三年生の夏が最後だったが、未だに中学一年生のころのベストタイムを上回ることができなかった。二年生に進級して以降はタイムが落ちる一方で、自分は何のために走っているのか、目的さえ見失いかけていた。  三年生の夏が最後だったが、最後だから、という考えは単なる甘えだ。甘えだとわかっているがそれでも最後だからあえて言わせてほしい。最後だからもう一度、どうしてもあのころのベストタイム、いやそこまではいかなくてもそれなりのフォームでそれなりの走りがしたかった。自分の満足のいく走りというやつだ。  自分がどれくらいの走りを見せたら納得できるのかはわからなかったが、昔の僕にできたことが今の僕にできないなんて考えたくもない。僕は、今も昔も変わらず常に当たり前に僕であるから。
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