喘息

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喘息

「あんたまた自分見てんの?」  学校から帰ってきた姉が、こちらが驚くような大声を出して言った。集中して気がつかないとでも思ったのだろうか。確かに集中すると人の声が耳に入らないことはよくある。だいたい、自分見てんの?とか、僕がナルシストみたいに思える発言やめてほしいが、事実だから言い返せない。  姉は高校二年生で文芸部に入っていたが、たいした活動もないようで早めの帰宅が多かった。だが彼女だって中学時代はソフトボール部に所属し、夏には駅伝部にも入っていた。運動部はたいてい強制的に入らされるため、やらざるをえなかった状況ともいえるが、とりあえずは僕の先輩に当たる。  ただし、長距離は苦手なようで駅伝の試合は万年補欠。ソフトボールではまあまあ活躍するような選手だったが、いてもいなくても変わらないそんな選手。いてもいなくても変わらないけど僕は僕なりに姉を認めていた。毎日毎日部活に行く姿を見ていたし、帰宅してからも今の僕のように放心して着替えもせずジャージのままごろごろと寝転がっていたのを思い出す。姉も同じように疲れきっていたのだ。適当に部活をやっている人間がこうはならない。   めったに勝たない試合に勝ったときは本当にうれしそうだった。小学生だった僕にはあまり語らなかったが、また明日も試合ができる、とにやけ顔で言った姉の瞳はギラギラしていた。  その日の夜はバットを持ち、窓に映る自分の全身、つまり素振りのフォームを見つめながら遅くまで練習していた。  自分の練習している姿を見るほど勉強になることはない。普段からこれくらい熱心だったらもう少し何とかなっていたかもしれないが、こういうことは直前になって焦りが出てくるものなのだ、特に僕の姉は……。 「自分の走りなんて見てて楽しい?」 「うん」  僕は素直に答えた。楽しい、楽しいから見ている。楽しいが苦しくもある。もう昔のフォームで走る僕はいないから。 「姉ちゃん、この人の走りどう?」  僕は尊敬する川上さんの走りを姉に見せた。 「う~ん、特に。とりわけ言うことがない」  癖のないフォームだから当然だろう。 「じゃあ、これは?」  僕は最近の自分の走りを姉に見せた。このときは息が苦しくてろくな走りができなかったが、今自分で見たり姉に見せたりして研究するにはちょうどよくもあった。 「ああ~、肩に力が入ってる。あと苦しそう。あんたこのとき調子悪かったの?」 「うん、悪かったね」 「喘息だもんね。昔はもっと軽やかに走ってたのに」 「そう?」  誰が見てもわかるのだと思った。つらいのは本人だけれど、他人にもわかるくらい外見(そとみ)に現れてしまっているということだ。 「そんな気はする。喘息って走っても大丈夫なの?でも野球も普通にしてるか……」 「喘息だからっていつも苦しいわけじゃないよ。発作が出たときが苦しいんだ」 「ああ……そう」  姉はよくわからないようだった。心配はしているが特に病気について調べるようなことはなかったし、でもそれが僕の姉という感じで嫌いではなかった。実際に喘息にならないとこの感じはわからないだろうし、姉を攻める気にはならない。
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