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プロローグ 吟遊詩人の昔語り
まるで鈴の音のように、澄み渡る声だった。
老人は思わず、戸口に立つ旅人の声に聞きほれてしまった。
「どうかなさいましたか?」
声をかけられ、ようやく我にかえる。
「……あ、いや、宿をお探しでしたな。うちで良ければ、泊まってくだされ。この子も喜びます」
老人の背に隠れるようにして、少女が旅人を伺っている。旅人が手を振ると、嬉しそうに手を振りかえした。
「助かります。この寒さでは、野宿はこたえますから」
「さぁ、どうぞ。奥へ入って暖炉のそばへ」
旅人が外套を脱ぐと、フードの中でまとめていた長髪が流れるようにほどけた。腰まで伸びる金髪を首筋でまとめ直すと、尖った耳先があらわになった。
「あんた、エルフじゃったか……」
驚きに目を見張る老人に、旅人は微笑えみながら小さくうなづいた。
普段であれば、この村でエルフと出会う機会などあろうはずもない。ここは鍛冶を生業とする者ばかりが集まる村だ。住んでいるのは、ヒューマンとドワーフばかりなのだから。
「エルフは皆が見目麗しいと聞くが、噂は本当のようじゃな……」
「まぁ、お上手ですこと」
はにかむように旅人が笑う。
「あ、いや、その……今日はまた、一段と冷えますな」
決まりが悪そうに咳ばらいをすると、老人は一本、また一本と暖炉に薪をくべた。炎に包まれた薪が、パチリ、パチリと小さく爆ぜる。
旅人は部屋の隅に荷物を置くと、勧められるまま暖炉の側の椅子へと腰をおろした。
「その旅衣装、その楽器……吟遊詩人様かの?」
「はい。街から街へと、旅をしております」
「どうですかな、他の街は」
問われて旅人は、表情を曇らせる。そしてうつむき、首を横に振った。
「戦争の傷が癒えぬばかりではなく、今上陛下の治世に不満も大きいようで……」
「そうですか。この村は鍛冶で食っている分、ましなのかもしれませんな」
深く溜息をつく老人の隣で、少女が退屈そうに脚をぶらつかせている。ときおり旅人の表情を伺い見ては、再び脚をぶらつかせる。旅人と話がしたくて仕方がない様子だ。老人の話が終わるまで待っているのだろう。行儀の良い子だと旅人は思った。
「お嬢さん。昔話でもお聴かせしましょうか?」
旅人の呼びかけに、少女の表情がにわかに明るくなった。少女が老人を見上げると、目を細め大きくうなづく。少女は旅人に向き直り、大きな声でこたえた。
「うん! お話ききたい!」
旅人は荷物からリュートを取り出し、弦の調子を整えながら少女に尋ねる。
「どんなお話が良いかな? 反乱の末に身を隠した魔女のお話? それとも隠された双子の王子のお話? 暗殺者に身を落とした公爵さまのお話がいいかしら。古い言い伝えなら千年紀に降臨する勇者さまのお話があるし……そうだ、精霊王をも呼び出す召喚士のお話もありますよ」
「どれでも良いわ。ぜんぶ面白そうだもん!」
目を輝かせながら少女が応える。
「それでは、隠遁の魔女のお話でもお聞かせしましょうか。お嬢さん、歳はいくつかしら?」
「十一歳!」
「それじゃ、これはお嬢さんが産まれる少しだけ前のお話……。世界がまだ、戦争をしていた頃のお話……」
そう言うと吟遊詩人は、リュートを爪弾きながら語りはじめた。
◇
癒し手の森の奥ふかく、その庵はあるといいます。かつて世界をその手に収めようとした、偉大なる魔導師の住まう庵が……。
その昔、世界は二つに分かれて戦争をしていました。
猛き聖騎士がひきいる騎士同盟と、偉大なる魔導師がひきいる魔導連合、どちらの軍勢も強くなかなか決着がつきませんでした。
十年の戦いの末、魔導連合の軍勢が騎士同盟の王都に迫ります。誰もがこのまま、魔導連合が勝つのだと思っていました。
しかし最後の決戦を前に、偉大なる魔導士は姿を消してしまったのです。指導者を失った魔導連合は、ばらばらになってしまいます。戦いは、騎士同盟が有利になりました。
偉大なる魔導士は行方不明のまま、敵からも味方からも追われる身となりました。だけど偉大なる魔導士の行方を、誰も知りません。
ある者は、決戦を目前に暗殺されたのだと言います。またある者は、捕らえられて幽閉されているのだと言います。だけど偉大なる魔導士が姿を消した本当の理由を、誰も知りません。
やがて戦争は終わり、騎士同盟と魔導連合はビットレイニアという大きな国になりました。世界は一つになったのです。
同時に猛き聖騎士は、ビットレイニアの王様になりました。新たな王様のもと、誰もが平和な時代が来るのだと思っていました。しかしやって来たのは、恐怖による支配でした。
きびしい生活に苦しむ人々の間で、いつの頃からかある噂が流れ始めます。
偉大なる魔導士は、生きているのだと。羊飼いたちが住まう街のはずれ、深い森の奥でひっそりと暮らしているのだと。
偉大なる魔導士ドー・グローリー。
いつしか彼女は、『隠遁の魔女』と呼ばれるようになりました。そして人々は、魔女の帰りを待ち望むようになったのです。魔女がつらい生活から救ってくれるのだと、信じるようになったのです。
癒し手の森の奥ふかく、その庵はあるといいます。かつて世界をその手に収めようとした、偉大なる魔導師の住まう庵が……。
◇
朝日がさし暖かさを感じるものの、吐く息は白い。
家の前に二人立ち、旅人を見おくる。
「晴れて良かったですな」
寒さに手をすり合わせながら、老人が言う。
「お世話になり、ありがとうございました」
旅人が深々と頭をさげると、フードからこぼれた長髪が朝日を受けて金色に輝く。
「これから、どちらへ行かれるんですかな?」
「ウェイの街に、友人を訪ねようかと」
「それは、長旅じゃ。お気をつけて……」
「お嬢さんも、ありがとね」
少女の前にしゃがみ、そっと肩を抱く。そして耳元に口を寄せ、声を潜めて囁く。
「隠遁の魔女に、会ってくるよ」
目を丸く見開く少女の口元に指を添え、「内緒だよ」と耳打ちする。少女は、嬉しそうに大きくうなづいた。
旅人は、なおも声をひそめたまま、少女の肩のあたりを指さして問う。
「その子に名前はあるのかな?」
少女はまたもや目を見開き、小さく驚きの声をあげる。
「見えるの? ナイアスが!?」
「そっか、ナイアスって言うんだね。その子とも仲良くね」
旅人は少女の頭をなでると、立ちあがって手をふる。
「それでは、お二人ともお元気で」
そう言って旅人は、ゆっくりと歩み始める。
「お姉ちゃん、また会える?」
歩み始めた旅人の背に、少女が問う。不安げな少女に、旅人が振りかえってこたえる。
「会えるさ。約束するよ」
涙ぐむ少女を背に、旅人は再び歩み始める。ときおり振りかえり、少女の見おくりにこたえながら。
「きっとよ! 約束だからね!」
少女はいつまでも、旅人が見えなくなってもなお、大きく手をふり続けていた。
(つづく)
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