140人が本棚に入れています
本棚に追加
「少しお話しても?」
注文の品を置きながら店主が控えめに申し出てきた。覚悟を決めてゆっくりと頷く。時間帯のせいか店内には他の客はいなかった。
「もう二年近くになりますね」
店主の語り掛けに頷く。主語を省いた言葉は当事者にだけ通じるようになっている。
「事故に遭われる前にここで遅い昼食をとって行かれましてね。写真を撮るお仕事をされているとかで色々と聞かれました。今回は下見なんだと笑っておられて……次の仕事の下見ということになっているけど、実は恋人と旅行に来たいんだと笑っておられました」
ちょうどあの頃、二人とも仕事が重なり忙しかったことを思い出す。だから駅まですら見送りに行けなかったのだ。
「病院まで私が付き添ったんです。意識はほとんど無かったようですがしきりにお名前を呼ばれていました」
心臓を握りつぶされるようだ。ふと見ると梓が心配そうにこちらを見ている。その顔を見ると一気に肩が軽くなった。大丈夫というように頷いて見せ、店主に向き直る。
「かなで、と何度も」
止まっていたはずの涙が再びこぼれる。いったいこの身体の中にはどれだけの涙が溜まっているのだろうか。
「あの、その話、ご家族の方には……?」
すでに声がでない俺に変わって梓が店主に問いかけていた。
「ええ、大事な方だと思ってお伝えしたのですが心当たりがないようでした」
店主が穏やかな笑みを浮かべた。ゆっくりと俺のほうを向く。
「お伝えすることができて良かったです」
そう言った店主は丁寧に弔意を示してカウンターへと戻って行った。
梓が席を立って俺の隣に移動してくる。そのまま何も言わずに背中をさすってくれていた。
梓はいつだって優しい――。
優しすぎて時々苦しい――。
最初のコメントを投稿しよう!