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 夕食を食べるような気にもなれず、宿泊先のビジネスホテルへと戻った。疲れ果てて早々にベッドに潜り込んだ奏に梓はそっとオヤスミと言ってくれる。  子どもにするみたいな額へのキス。ほんの少しだけど歳下の梓は奏よりもずっと大人だ。  ゆっくりと触れてくるとき、軽いキスをするとき、自分の心を見透かされているような落ち着かない気分になる。きっと自分は浅ましい目で梓を見ている。梓はそんな自分をなだめる為に触れてるのかも知れない。  そんなことしちゃダメだよ――。  梓の声が聞こえてきそうだ。  梓が別れたという恋人の話が頭の中を回っている。あのとき「きっと怖かった」と言ったのは本音だ。ほんの少し一緒に過ごして、なんの関係も始まっていないというのに奏は梓から離れるのが怖いと思っている。  五年も一緒だったという相手にはどれだけの恐怖だったんだろう。  この地に悼むために来たというのに梓のことばかりが頭を過る。  「あいつ向こうで怒ってるかな」と思う自分に、驚くほど彼の死を受け入れていることに気付いた。あんなにも囚われていたのに。  罪悪感がないといえば嘘だ。恋人の死を悼むのに少なからず想っている相手を伴っているのだから、なんて酷いやつなんだろうと思う。けれど、梓がいなければここには来ることはできなかった。  その晩、夢を見た――。 「ありがとう」と声をかけると、あいつは驚くほどうれしそうに笑っていた。  随分と都合のよい夢だと呆れながらも、どこか心が軽くなったのを感じた。 「おはよう」  ぼんやりと起き上がって洗面スペースの梓に声をかけた。おはようと言いながら濡れた顔で振り返った梓が真顔になり、耐え切れずに笑い始めた。 「笑うなよ……」  恨めしそうな声がつい口を突いてしまう。きっと酷い顔になっているのだろうと予想はしていたから鏡を見てもさほど衝撃は受けなかった。それでも梓が笑ってくれたことに救われた。 「今日、どうする?」  梓が俺の顔を指しながら聞いてきた。帰りの飛行機は夕方だから、時間にはかなりの余裕がある。この顔で出歩くのは確かに恥ずかしい、けど。 「どっかでキャップ買う」  室内でこもっていると鬱々としそうな予感がして外を選んだ。目深に被れば目元くらいは隠れるだろう。 「どこ行こうか?」  ホテルを出て梓が立ち止まる。そう聞かれても正直何も考えていなかった。普通にしていたつもりでも随分と余裕をなくしていたんだと思い知る。 「観光地……とか?」  昨日視界の隅に映った有名な観光施設を思い浮かべてみる。梓は何やら考えているのか、片手で顎を支えて小さく呟いている。 「適当にその辺ぶらぶらしよ」  そう言った梓が歩き始める。 「適当って、梓?」  慌てて追いかける俺に背を向けたまま梓が立ち止まった。 「……観光は「今度」にする」  少し焦ったような口調で言い捨てると、梓は再びゆっくりと歩き始めた。振り向かないのはもしかして照れくさいのだろうか。なんて、都合のいい解釈をする。  今、「今度」って言った。 「っあのさ、梓……っ」  思わず呼び止めると、梓が振り返った。心は静まったのかいつもの表情。なに、と聞き返されて一瞬考えた。 「ごめん。何でもない。行こう?」  怪訝な顔の梓に気付かない振りをして隣に並んだ。  まだ、もう少し。  その言葉を口にする資格はまだ持っていない。多分。  もっと梓に近づきたいんだ。
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