ふたり

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 太平洋を流れる潮の名がついた特急電車に揺られ一時間半、初めて足を踏み入れる地方の駅に降りたった。改札が二つだけの小さな駅は、海が近いのか僅かに潮の香りが漂っている。  緑が多いせいか日差しは随分と柔らかく感じられ、薄手の長袖がちょうどよい気候だった。休日だと言うのに駅は学生らしき男女が数人降り立ったのみで閑散としている。  窓口に座る壮年の駅員に最寄りのスーパーの場所を尋ね駅舎を出た。  隣を歩く奏の表情をちらりと覗き見る。先だって訪ねた北海道の時のような緊張は見当たらず、ホッと胸を撫で下ろした。  駅を出て右手の商店街へと曲がると、駅員から教えられた二十四時間営業の看板が小さく見える。通り沿いの店は休日だと言うのにシャッターが目立つ……いや、休日だからこそ休みなんだろうか。  ビルの一階部分に店を構えたスーパーに入り、花や線香などの一式を買い求めた。  奏の知人に聞いたところ、かの男が眠る菩提寺は駅から徒歩ですぐなんだという。  店を出ると一旦駅へと戻り、インターネットから印刷した地図を広げて駅から海側へと向かう大通りに向かって歩を進めた。  奏を取り巻く空気がやや緊張を含んできている。  大通りを真っ直ぐに進むと十分ほどで海が見えた。 「あ、あそこ」  松林の向こう側を指差す。手前の社務所に座る男性に頭を下げると受付の窓を開き用向きを聞いてくれた。奏が緊張の面差しで口を開く。 「佐山さんの墓所はどちらですか? 佐山紘一の」  サヤマコウイチ。このときやっと嫉妬の相手が名を持ち、独立した一人になった。受付の男性が荒い印刷の見取り図を指差しながら、場所を説明してくれている。奏も時折背後の墓地を指しながら聞いていた。 「梓、行こう」  奏の背を複雑な思いで見ていたら急に声がかかってドキリとした。この期に及んで嫉妬しているなんてみっともないと我ながら思う。  奏に並んで海の方向へと足を進める。やがて一段高くなった階層に佐山家の名が入った竿石が見えた。ゆっくりと裏を見るとまだ新しい色合いで佐山紘一と名が彫られている。享年三十五歳。愛おしい人を遺して逝かなくてはならなかった男の心情に引き寄せられどこか苦しくなった。  花立にはまだ瑞々しさを保った花が挿されている。 「お墓参りに来た人がいるんだね」  奏が花を見ながら小さく呟く。どこかホッとした様子は、鉢合わせにならなかったことへの安心だろうか。  花立の横に目立たないように日本酒の瓶を供えた。  買ったばかりの線香を取り出し、不慣れな手つきで火をつけている。  奏と並んでゆっくりとしゃがみ込み静かに手を合わせた。  俺なんかお呼びじゃないだろうけどケジメだと思って我慢してよ、佐山さん。胸のうちで誓いの言葉を伝えた。 「失礼ですが……」  不意に背後から控えめ声がかかる。驚いて振り向くとそこには素朴な風体の初老の女性がこちらを見つめていた。女性は急いで来たのか少し息が上がっている。 「かなで、さんですか?」  女性の問いかけに奏の肩が小さく跳ねた。奏の様子を肯定と捉えたのか女性が深々と頭を下げながらはっきりと言葉を出した。 「佐山紘一の母です」
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