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第1話 死んでやる!
拓也は、夜の永代橋の欄干から、支柱に捕まりながら身を乗り出して水面を見ていた。
『冷たいのかな? いや、それよりも痛いかもしれない』
小学生の頃にプールに飛び込んだ時、腹を水面で打って痛かった事を思い出した。でも、直ぐに現実が覆い被さる。
『つくづく、運の無いダメな男だ』
拓也は、小学生、いや幼稚園の頃から人の後ろを付いて行くか、人に言われたとおりに動いてきた。つまり、流されて生きてきた。
勉強が面白いと思った事は無かったが、普通には努力したつもりだ。普通の高校へ行き、普通の大学に行き、そこそこの企業(メーカー)に就職した。
大学で情報工学を学んだ拓也はソフトウェア開発の部門に配属された。
それこそ、言われるがまま、真面目に言われたとおりのプログラムを作っていた。
そんな流された人生の中で、唯一、あるアイデアを思いつき、モチベーション上げて半年前から開発したプログラムは、相談していた調子の良い同僚にそのまま盗られてしまい、その同僚の成果として社内に発表され、同僚は高評価を得ていた。
それでも、まだ自分には梨沙がいる、と思ったら、梨沙もその同僚に盗られてしまった。
29歳の今まで童貞を守ってきた(守りたくて守っていた訳では無い)拓也にとって、梨沙は、4ヶ月前から拓也が初めて付き合い始めた(と拓也は思っていた)女性だった。
梨沙と今回のプログラムは、何か夢を持つと、いつもろくな結果にならなかったので、何も望まず何かに向き合うことを避け、淡々と過ごしてきた自分が、初めて持った夢だった。それを同時に失い、生きていくのが馬鹿らしくなった。
思い起こせば、生まれてこの方、面白かった事、楽しかった事など、今回の開発と梨沙との付き合いを除けば、一度も無かった気がした。 (反対に、それほどこの半年は充実していた)
こうなってしまうと、心のどこかで『やはり、俺の人生はこんなものだ』という諦めはあった。 ただ、この後もこんな人生が50年(人生を一応80年と計算して)以上も続くのかと思うと、もうウンザリだと思った。
人は皆、悩みを持って生きている。
客観的に見れば拓也の悩みなど、たいした事はないのだが、人との関わりを避けて平穏を心がけて生きてきた拓也にとっては、この世の終わりの如く重大な事と感じていた。 まあ、よせば良いのに夢を抱いてしまったから、余計に落ち込んでしまったのだ。
『よし、飛び込もう』そう思って乗り出した時に背後から女性の声がかかった。
「飛び込むつもりかい?」
振り返ると、60歳前後と思われる女性が立っていた。歳は取っているが結構美人だ。まあ、この期に及んでは、どうでもいいことだが。
「え?」
「あんた、いくつだい?」
「29歳だけど・・・」こんな時になんの話かと思いながら答えた。
「そうか、惜しいな・・・。邪魔して悪かったね。どうぞ、続けていいよ。お詫びにしっかり見届けてやるよ」
いったい、何なんだ。 せっかく盛り上がって死ぬ気になっていたのに。そう思って、もう一度情けない気持ちを思い起こし、死ぬ気気分を盛り上げた。
女性はじっと見ていた。
『よし』そう、思った時に、ふと思い出した。
「あっ、そう言えば今日誕生日だ。29歳ではなく30歳です。まあ、どうでも良いことですけど」
そう言って、飛び込もうとした。
「待った!!」女性が大きな声を上げた。
もう、飛び込もうとして前のめりになっていたので、慌てて止めようとしたが、足は欄干からすべり落ち、支柱にしがみついた手だけで宙ぶらりんになった。
「うわ~、助けて~、落ちる、死ぬ」
「死のうとしてたのに、情けない声を出すんじゃないよ」
「でも・・・」
「私は見ての通りか弱い女性だから、あんたを引っ張り上げることなんてできないよ」
か弱いかどうかは別だが、引っ張り上げてくれることはなさそうだ。
「落ち着いて、そこ、右足を少し上げて、ほら、もう少し」
橋の出っ張りに足がかかった。踏ん張ったら、身体が持ち上がり楽に欄干を乗り越えられた。
「助かった・・・」
「そりゃ、良かった」
「で、何なんです?」
「死ぬ気なら、別に一週間ぐらい遅くなってもいいだろ」
なんと答えていいのか、判らず黙っていると彼女が言った。
「バイトしないかい?」
「・・・」
結局、永代橋近くに留めていた女性の運転するクルマに拓也は乗っていた。
クルマは白のスバルWRX S4だった。スタイルは大人しい4ドアのセダンだが、リミッターが無ければ250kmは出るスポーツカーだ。
「え? こんなクルマを(あなたが)運転するのですか?」
「なにか、文句あるのかい?」
「いえ、無いです」
時間も遅かったので、クルマも少なく、その女性はかなりのスピードで運転した。永代橋から日本橋で右折し、神田を通って湯島を超え、忍ばず通りに入ったら、遅い車を左右に避けて一気に抜いて行った。
「うわぁ、死ぬ・・・」拓也が呟いた。
「死ぬ、死ぬって五月蠅いねぇ。さっきまで、死ぬ気だったんだろう。ガタガタ言うんじゃ無い。それにそんな乱暴な抜き方はしてないよ」
たしかに、無理矢理割り込んだりはしてない。
連れていかれたのは谷中だった。谷中銀座近くのよみせ通り沿いの2階にその場所はあった。
階段を上がった入り口に「恋人屋本舗」という看板が掛かっていた。
「恋人屋本舗?」
そう思う間もなく、女性はそのドアを開けた。
「ああ、フミさん、お帰りなさい」
中にいた40歳過ぎであろう男性が声を掛けた。
「電話もらって、15分しか経ってない。また飛ばしましたね」
「ほんとに、男はどいつもこいつも五月蠅いねぇ」と言いながら続けた。
「さっき連絡したのは、この子だけど、どうだろう」フミさんと呼ばれた女性は拓也を指さして言った。
「ご要望通り30歳だよ。ひとつふたつ食い違っても見た目にゃ判らないだろうに、拘るねぇ」
「フミさん、いつも言っているように、我々プロなら別に大丈夫ですよ。でも、素人だと思わぬ所からボロが出るです。年齢もその1つですよ」
そう言って拓也を見て言った。 どうやら、素人とは拓也の事らしかった。
「君、君がもし33歳だとする」
「はい・・・」
「いいかい、33歳だよ。じっくり33歳だと思い込んで」
拓也は目を瞑り、じばらく考えて「はい、思い込みました」と答えた。
「君の干支は?」
えーっと僕が『巳(み)』だから・・・「寅(とら)です」と答えた。正解だし、上手く答えられたと思った。
「ほら、少し考えた。普通、自分の干支を考えますか? フミさん」
「ああ、良く判ってるよ。だから30歳を探してきたんだ。ところで、シナリオは書き直したのかい? 見せてみな」
「はい、これです。チェックお願いします」そう言って、プリントの束を渡した。
「紙がもったいないので、PCかタブレットで見てもらえると嬉しいのですが・・・」
「私はイヤだね」
「でしょうね」
「あの・・・」拓也がようやく口を挟んだ。
「ああ・・・、この人がここの所長の中村さんだよ」フミが紹介した。
中村が「中村一郎です。よろしく」と言って手を差し出した。
拓也はその手を握り会釈しながら、
「で、あなたは?」
「ここのフタッフの、福田文(フミ)だよ」
どうみてもフミの方が偉そうだ。何故?
「あの・・・所長って偉いんですよね」
「ハハハ、フミさん偉そうだものね。フミさん、ここの建物の大家さんなんだよ。そして、僕は7ヶ月家賃を滞納してる。だから、頭が上がらない」
「夜逃げしないように見張ってるのさ。ここが儲からないと、家賃を回収できないから、私が無償でスタッフとして働いて、手伝っているんじゃないか。しっかり稼いで、家賃払っておくれよ。私はそれで食ってるんだから。ここだけだよ家賃を払ってくれてないのは」
「すみません・・・。ホント、待って貰って感謝してます」そう言って頭を掻きながら奥に入り込んだ。
不思議だった。
社会で働いていると、少しは世の中の仕組みや厳しさは判っている。普通、7ヶ月も滞納して待っている大家がいるとは思えない。ましてや、ここは2階とは言え、場所はいい。借り手は多いだろうに。
「何故、追い出さないのか? って顔をしてるね。 ここは良い仕事をするのさ」
フミはそう言って壁を指さした。
そこには、『経営理念:依頼者の幸せの為に』と書かれていた。
「だから、少し様子を見てる。下らん仕事をしたら、直ぐに追い出すさ」
そう言いながら、結構、フミ自身楽しんでいる気がする。
「で、何の仕事をしてるんですか? 恋人屋本舗って」
「う~ん、なかなか難しいんだけど・・・、まあ、人を幸せにする為の恋人代行業・・・かな」
「デートクラブ?」
「違うよ」今度は所長が口を挟んだ。
デートクラブはデートしてお金を貰うんだ。疑似恋愛のようなものだね。だから、リピータも多いし、その方がデートクラブにとっていい。ウチは恋人の振りをするけれど、目的があって恋人役を引き受けるんだ。だから、基本的に、リピータはいない」
拓也は、う~ん、良く判らん、と思いながら
「まあ、例えば、まだ、結婚したくない女性がお見合いを勧められたとする。断る理由にするため、恋人役を引き受ける。まあ、そんなところだ。こんな単純な仕事は滅多にないけどね」
なるほど・・・。
「で、僕は、何をするんですか?」
「恋人役に決まってるだろう。それ以外、何があるんだい?」フミさんが言った。
「でも、僕はそんなにイケメンでも無いし・・・」
「それは自分を過大評価してる」
ん? いやいや、そうでも無いよ、と言うつもりなら過小評価では?
「イケメンどころか、ハッキリ言えば自分が思っている以上にダサい」
ああ、そうですか。自分でも判ってるさ。だから梨沙が付き合ってくれた時は、信じられなかったし、舞い上がった。この世の幸せを一身に浴びた気がした。
「でも、その普通がいいんだよ。この商売には。美男、美女だと、仕掛けた相手が何かと納得してしまうだろう?」
「え?」
「つまり、こんな美男、美女が相手なら自分が頑張ってもダメだろうと諦めてしまうだろう。そうではなく、こんなやつなら自分も頑張れば・・・、と思ってもらえるような普通が良いんだ」
「ははは、じゃあ、僕にぴったりだ」あ~あ、僕の人生の立ち回りに合ってる。
まあ、1週間、死ぬのを遅らせても、大勢に影響は無い。
「ところで、さっき『我々プロなら・・』って言ってましたけど、プロのスタッフは何名いるんですか?」
「まあ、・・・人だ」
「えっ? 聞こえなかった」
「一人」
「所長以外に一人しかいないんですか?」こんな商売でそんなに多くの所員を抱えられるとは思わなかったけど、一人とは・・・。
「いや・・・所長含めて一人かな」
「・・・なんだ、あなた一人でやってるんですか」
「でも、あと、フミさんと、君のように手伝ってくれる(バイトの)スタッフが君を含めて4人いる」
所長、フミさん、あとバイトのスタッフが4人・・・、やれやれ。
でも、これが終わればスタッフは3人だな。どんな人達なのだろう。
今回も頼まれると断れない性格が災いして、死ぬのが一週間延びてしまった。
つくづく、この性格はイヤだ。
サッサとバイトを終わらせて死んで楽になろう。
第1話完
第2話 『恋人奪還作戦(前)』に続く
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