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第18話 悲しい恋(前)
(1)
JR吉祥駅に上がる公園口階段の横で、少女がスマホを握りしめ泣きそうな顔で人を待っていた。
近くの井の頭通りをパトカーと救急車が慌ただしく行き来する。
駅付近もざわついている。話している内容が聞こえてくる。
・・・通り魔だって。高校生ぐらいの男の子がナイフを振り回して暴れたって・・・
・・・若い男性が刺されて亡くなったらしい。
・・・直ぐそこ、フラフラと駅の方に向かっている途中に警察官に取り押さえられたみたい。
男性と女性の警察官が現場の目撃証言をたどって、ようやく少女を見つけて近づいてきた。男性の警察官は、連絡を受け、真っ先に駆けつけた警察官だった。
静かに男性の警察官が声を掛けた。
「お嬢さん、警察署で事情を聞かせて頂けませんか?」
「ダメです」少女が答えた。イヤです、ではなくダメです、だ。
「私はここを動くわけにはいきません」
「でも・・・」
「彰がここで待てと言ったの。俺も必ず行くから、と言ったの」
「でも、おそらくその男性が・・・」
その言葉を遮り少女が叫ぶように言った。
「彰はいつも私との約束は絶対に守ります!」
良く見ると少女も腕に怪我をして血がにじんでいる。
「せめて怪我の治療を・・・」
「お願いだから構わないで・・・。私はここで彰を待たなきゃいけないの!」少女が絞り出すような声で言った。
警察官は少女の気持ちを考えると、それ以上掛ける言葉が見つからなかった。ただ、心配でこのまま少女を置いて立ち去ることもできない。
その時、婦人警察官が言った。
「私が付き添います。沖田さん(男性警察官)は署に戻って下さい。色々と処理もあるでしょう」
「そうか、頼む」沖田はホッとして立ち去った。
「彰さんを待ちましょうね」婦人警察官が優しく少女に声を掛けた。
その言葉を待っていたように、少女がしゃがみ込み大声で泣いた。婦人警察官もしゃがみ込み少女の肩を抱くように傍らに寄り添った。婦人警察官の目も潤んでいた。
40分前・・・・
信号が青になった。美咲は井の頭通りを小走りで渡った。吉祥寺駅を降りてからずっと小走りで急いでいる。
もう、待ち合わせ時間を25分も遅れてる。シャワーを浴び、髪型を整え、化粧をして、2時間も前から準備したのに、最後に着ていく服が決まらなかった。そんなに多くを持っている訳でも無いのにネックレスとイヤリングを選ぶだけで10分かかった。
どんな服を着ても、彰はいつも『可愛い』と言ってくれる。それでも、彰には少しでも可愛い自分を見て貰いたかった。
「井の頭通りから少し公園の方へ行ったところに、アンバーというカフェが出来たの」昨日、電話で美咲が言った。
「へえぇ、そうなのか」彰が付き合うようにいった。
「オープンテラスがあってとてもおしゃれなの」
「行きたいのか」
「うん、でも人気で混んでるって」
「まあ、満席なら別の所にしよう」
そう言っていたのだが、今日、待ち合わせの20分も前に彰からLINEが来た。
『美咲が言っていたカフェを見に来たら、たまたま席が空いていた。いつもの場所(吉祥寺駅の階段下)ではなくて、今日はここで待ち合わせよう』
美咲が行きたがっているのを知って、早めに様子を見に行ってくれたのだ。彰はいつも美咲の希望を叶えようとしてくれる。美咲にとっては王子様のような存在だった。
その時には既に待ち合わせに遅れることは確実だったので、その事を伝えた。
『大丈夫だよ。珈琲飲んで待ってるから、そんなに急がなくても良いよ』
そう言ってくれたが、彰が20分前に着き、自分は25分遅れてるので45分は待たせてる。
カフェが見え、その庭先のテラス席に彰が本を読みながら座っているのが見えた。
美咲が小走りに駆けて来るに気付き彰が顔を上げた。
「ごめ~ん!」そう言う美咲を彰は満面の笑みで迎えた。
美咲を優しい目で見ている。
美咲はよく見られるように、直ぐには座らず、少し彰の前に立って躰を揺らした。
彰が満足そうに頷いたので、美咲が席に着こうとした時、彰が怖ろしい形相をして立ち上がった。
「彰?」
思わず、立ちすくんだ美咲の腕をとって、テーブルにぶつかるのも構わず、力一杯引き寄せた。
「キャッ」美咲が悲鳴を上げた。腹をテーブルにぶつけ、その痛さで蹲ると同時に引っ張られた反対側の腕に痛みが走った。
蹲りながら振り返ると、見知らぬ若い男がナイフを持って立っていた。
美咲の躰に切りつけたのだが、彰が引っ張ったのでナイフは腕をかすめたのだ。
彰がその男に跳びかかった。ナイフを持つ手を押さえながらもみあった。
「美咲、逃げろ!」
「でも、彰が・・・」
「いいから、逃げろ。早く!」
自分がいれば邪魔になる。それは判っていても、こんな状況で彰と離れるなど考えられなかった。
「いや・・・」小さな声で応えたとき、彰が言った。
「いつもの場所で待て。早く行け!」
「・・・・」それでも動き倦ねていると「俺が美咲との約束を破ったことがあるか? 俺も必ず行くから。頼む、俺の言う事を聞け!」
「解った!」その言葉を聞いて美咲は弾かれるように吉祥寺駅に向かって走った。
突然の出来事に、ほぼ思考停止状態だったが美咲は、「とにかく彰が言う事に従わなければ」という事しか頭になかった。
・・・・
美咲は肉体的に、そして精神的に疲れ果て倒れるまで何時間もその場を動かなかった。
婦人警察官は労りながら、その少女を病院に運んだ。少女の気持ちを思うとやりきれなかった。
(2)
5年後、東京谷中の恋人屋本舗。
3週間ぶりに恋人屋本舗に来た玲奈が中村(所長に)に言った。
「恋人役では無いんだけど、親の役で付き合ってもらえないかなぁ」そう言って、10万円を差し出した。
「俺がか? 玲奈の父親役?」
「私じゃ無く、友達の」
「この金どうしたんだ?」
「ちゃんとアルバイトで稼いだよ。ここ(恋人屋本舗)全然仕事回してくれないし」
「すまん、すまん」やぶ蛇だった。ただ、大学生の玲奈が10万円もの金を友達のために払おうとしているのだ。かなり真剣なのだろう。
「とにかく話しを聞こうか」
その言葉で玲奈が説明を始めた。
「友達の名前は美咲。小学生から高校まで一緒だった仲の良い友達。美咲はとても可愛かった。その・・、男子生徒に媚びるような可愛さでは無く、女の私でも恋人にしたいと思うような、女の子らしい可愛らしさ。解る?」
「うん、解る」中村は解らなかったが、話しを進めるためにそう言った。そして気になることを訊ねた。
「過去形で話しているね」
「うん、いや、何もしなくても可愛いんだけど、何というか違う可愛さというか・・・、今は、その・・自分の姿形にまったく興味がないというか・・・、一切化粧などしないし、髪も後ろでバサッと束ねてるだけ。服もよれよれのTシャツにジーンズをいつも着ている」
「そんなシンプルな生き方も良いと思うが、その年頃の女の子には珍しいね。何かがあったのかな」
「美咲には大学生の彼氏がいたのだけど彼女が高一の時に通り魔に襲われて亡くなったの。彼女はそれを自分のせいだと思ってる」
「もしかして、彼女を守ろうとして亡くなった?」
「もちろん、それもある。その前に、自分が約束の時間に遅れなければ・・・、自分がワガママを言って人気のカフェに行きたいと言わなければ・・・彼は亡くならなかったと思ってる」
「それと通り魔とは関係無いだろう。彼女のせいでは無いよ」
「そんなこと、周りの誰もが知っている。でも彼女は、自分がお化粧をして着ていく服とアクセサリーに迷って、そんな下らないことに拘ったから、そしてみんなが並んでいるカフェに行きたいと駄々をこねたから、彰さん、ああ、美咲の彼だった人、を失ったんだと思ってる」
「それからは、一切化粧もしないし、オシャレにも無頓着になった。でもね・・・、時間に遅れそうで心の中ではメチャクチャ焦りながら、でも、少しでも彼に可愛い自分を見て欲しいという気持ち解るでしょう?」
中村は、『約束守る方が先だろう』とは思ったが、そんなことを言った瞬間、全世界の女性を敵に回しそうだったので黙っていた。
それに、そんな女性の気持ちは嫌いではない。もし男が「いや~、どのスーツにするか迷っちゃって」などと言いながら約束の時間に遅れてきたら「馬鹿野郎、遅れるくらいなら裸で来い」と怒鳴るが、女性なら可愛く思えて腹も立たない。
「それからの1年は大変だったわ。遊んでいても、授業中でも突然泣き出すの。彰さんが亡くなっているという事が受け入れられなくて、つい、会いたいなぁ、とか思ってしまうんだって。でもその瞬間、もういないことに気付き、泣き出してしまうの」
「周りの迷惑にならないように、声を殺して、必死に堪えて、でも、嗚咽が漏れてくる・・・、可哀想で見てられなかった。みんな事情を知ってるから、先生さへも声を掛けられなかった」
「あんなに明るく輝いていたのに、身なりは一切構わず、無口になって、そのまま高校を卒業した。成績も私なんかよりずっと良かったのに、大学には行かず、吉祥寺のお弁当屋さんでバイトしてる」
「そうか・・・大変だったんだなぁ・・・。ところでそれと、今回の依頼とどう言う関係があるんだ」
「ああ、そうだ。依頼ね。高校ではみんな事情を知っているから、どんな鈍感な男でも美咲に声を掛けよう何て思わないだろうけど、社会に出るとそんなことみんな知らないでしょう。だから、もともとスッピンでも綺麗な娘だし、性格も良いから、お弁当屋さんのお客さんやスタッフの何人かの男に交際を申し込まれてた」
「良いことじゃないか」
「私は立ち直るためにも、良い人がいれば、まずは友達からでも付き合った方が良いと思うんだけど、碌な人がいなくて・・・」
「何故、お前が相手の人を知ってるんだ?」
「ああ、彼女、私だけには何でも話してくれるの。おそらく今や彼女の友達は私だけじゃないかな」
「まあ、玲奈はつっけんどんに見えて意外と面倒見が良いからな」
玲奈は少し微笑んで続けた。「彼女は男性に興味ないから速攻で断っていたけど、私は、もし良い人がいたら、美咲にお付き合いを薦めてみようと思ったの」
「で、玲奈のお眼鏡に適う相手はいなかったんだな?」
「ホント、度量が無いのよ、みんな。何故、世の中こんなに度量の小さい男ばかりなんだろう。情けなくなるよ」
「すみません」思わず中村が謝った。フミからも同じ嘆きを聞いたことがある。
「どうして謝っているの?」
「いや、何となく、思わず謝ってしまった」
「あ~あ、自覚があるのね」
「・・・無い事は無い」
「あるって事じゃない」
「そうとも言える」
「チッ」と小さく玲奈が舌打ちしてから話しを続けた。
「でも、最近良い人が見つかったの。H大学の学生さんだって。美咲の(勤める)お弁当屋さんに偶然立ち寄った人」
「とても大人しくて優しそうで度量の大きな人。彼なら傷ついている美咲の心をそっと癒してくれるんじゃないかと思える人」
「良かったじゃないか」
「所長もよくあるでしょう? ひと目見たときにピンとくるっていう感じ」
中村は『そんなに、よくある、というほど頻繁にはないだろう。よくあったら、人生の中で何度も運命の人に出会っている事になる』とは言わず「そうだな」とだけ応えた。
「まだ、付き合っているわけじゃ無いの。でも彼は美咲のことが好きだと思うの」
「どうしてそう思うんだ」
「それ以降、何度も美咲のお弁当屋さんに来るの」
「上手くて安けりゃ来るだろう」
「だって、彼は国立に住んでるのよ。それがわざわざ吉祥寺でお弁当を買う?」
「なるほどねぇ。でも、ホント良かったじゃないか」またそう言った。
「それがねぇ」
「何か気になるのか」
「うん、何かがおかしい」
「おかしい?」
「美咲に対して紳士的に一所懸命なんだけど、あるところでブレーキをかけると言うか」
「つまり、言動からは彼の意思が判らないのか」
「美咲が普通の恋愛を怖がっているのを感じ取っているのかもしれない。話してると普通なんだけど、美咲だけじゃ無く、世の中に真面目に向き合っているのに、斜めに見ているような・・・良く判らないのよ。でね、お願いというのは大人の男の人の視点で彼を見て欲しいの」
「何を?」
「彼が美咲を幸せに出来るかどうかよ」
「まだ、付き合ってもいないんだろう?」
「もし、幸せに出来る男なら私がなんとかする」
「お節介すぎないか?」
「あんなに辛い思いをしたんだもの。美咲には幸せになる権利が絶対にある!」
何を言っても聞きそうには無かった。
「それに、今回ばかりは美咲も少し興味を持ったみたいで、今度、お茶を飲みに行く約束をさせた。チャンスよ」
「ん? もしかして、お前がそそのかしてセッティングしたのか?」
「うん、もちろん」当たり前だろう、という様に言った。玲奈ひとりが張り切っていた。
(3)
玲奈が恋人屋本舗で中村に妙な依頼をする3ヵ月前の5月。
一樹は採用面接の為に吉祥寺にある会社を訪問していた。
作業場の片隅を仕切った、形だけの応接コーナーで作業着を着た社長が何度も履歴書と前に座っている一樹を見ていた。5分も黙っていた社長がようやく口を開いた。
「君、確認するけど、このH大学って国立にあるやつか?」
「ええ、そうです」
その言葉を聞いて、また履歴書と成績証明書と一樹を何度も見た。
「成績も優秀だ」ぼそっと言った。
「ありがとうございます」
「でもなぁ・・・」
「あの・・・なにか問題が・・・」
「いや、問題というか・・・、何故、ウチなんかに来たいんだ? ウチは宅配の吉祥寺地区の下請けをしているようなちっぽけな会社なんだぞ。社員だってバイトを含めて20人程度だ。社長自らこうやって配り歩いてるんだ」
「はい、頑張って配ります」
「給料だって安い」
「貧乏には慣れてます」
「いや、そういうことでは無く・・・、解った!何か人には言えない秘密があるんだ!」
「秘密?」
「たとえば、満月になると狼になるとか・・・」
もしかしたら、病気とかがあるかも知れないが、それを直接聞くことも出来ないので、我ながら下らないたとえ話だと思いながら社長が言った。
一樹は社長の冗談にニコリともせず真面目に応えた。
「いや、狼にはなりませんが、言っておかなければいけない事はあります」そう言って、一樹は話しをした。
その話を聞き終わった社長が唸った。
「う~ん、そうかぁ。色々あったんだなぁ。君も大変だっただろう。でも、克服してるよな。それにわざわざ(法的には)言わなくても良い事だろうに、何故言うんだ?」
「何か隠し事をしているようで嫌なんです。陰口には慣れてます」
「就職に響くのか?」
「ハッキリ言って影響はあります。ただ、大手の会社ほど影響は少ないです。コンプライアンス上のルールがあるみたいですね」
「この時期だ。すでに内定あるだろう。どこだ?」
「S商事、M銀行、F重工、T自動車・・・」
「もう、いいよ。なあ、なんでウチなんだ?」
「まず、ダブルワークを認めています」
「まあ、給料安いからな」
「宅配したいんです」
「う~ん・・・」
「ダメですか?」
「いや、ウチが断る理由が無い、採用だよ」
「ありがとうございます」
「待て。早まるな」
「は?」
「3日待て」
「3日後に結果を知らせていただけるのですね」
「いや、ウチは採用だ。3日間、君が考えろ。そして3日後に返事をくれ」
「はい?」
「君は若い。色々思うところあるとは思うが、決して自棄になってはいけないぞ」
「はあ・・・、判りました。3日後に連絡すればよろしいですね」
「ああ、待ってる」
「ところで、卒業まで1年近くあります。それまでここでバイトしても良いですか?」
「ああ、それは構わんが・・・」
「ありがとうございます。では、今日はこれで失礼します」
そう言って帰りかける一樹に社長が声を掛けた。
「いいか。自分の人生だ。3日間、真剣に考えるんだぞ」
「はい、ありがとうございます」
事務所を後にして、吉祥寺の駅に向かいながら一樹は可笑しくなった。
あの社長は、僕が何か自棄をおこしてこの会社に入ろうとしていると思ったのだろうか?
就職試験を受けた中で一番慎重に選んだ会社だ。自分から断る訳が無い。
『あの社長、とても良い人だ。楽しく仕事が出来そうだ』
そう思ってから、ハッと気がつき、頭を振った。
『ダメだ。僕が楽しいとか、を求めてはいけない』
でも、そう思っても気分は良い。いつもは生活費を切り詰めるために自炊をしているが、今日は楽しい面接で気分が少し高揚していた。
『そうだ、今日ぐらいは弁当でも買って帰ろう』
下宿している国立で買おうと思ったが、通りかかった吉祥寺の公園口近くにある弁当屋が、チェーン店では無く美味しそうだったので、思わず入って行った。
自動では無い、ガラス戸を手で開け、カウンター越しに立つ女性(店員)を見て、一樹は凍り付いた。
『もしかして・・・』
そこは、美咲が働いている店だった。
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