第3話 恋人奪還作戦(後)

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第3話 恋人奪還作戦(後)

拓也がフミによって『恋人屋本舗』へ連れていかれたのは、由佳の案件の為だった。 「明日、由佳さんが来るので、一通り目を通して置いて」そう言って、所長は拓也にシナリオを手渡した。 「はい」拓也がシナリオを受け取りながらフミを見るとフミも老眼鏡(だと思う)を掛けてシナリオを真剣に読んでいた。 あれ、なにか分厚さが違うような・・・。 拓也は電車内でシナリオを読みながら、北千住の拓也の住まい(1Roomマンション)に帰ってきた。 死ぬつもりだったので、部屋は綺麗に片付け、遺書をテーブルに置いていた。 それを見るのが不思議な気持ちだった。もう一度使うつもりで、遺書をそのまま机の引き出しに仕舞ったが、部屋を出る時の悲壮感は何故か無くなっていた。 次の日、もう、どうでもいいはずなのに、拓也は無断欠勤が出来ない性格で、会社には体調が悪くてしばらく休むと連絡した。 そして、夜、谷中の恋人屋本舗で由佳を加えた打ち合わせに参加した。 「今回、一緒に仕事をさせていただく鈴木です」と拓也は自己紹介した。不安がるといけないので、この案件の為に雇われたアルバイトだとは言わなかった。 由佳は丁寧に「よろしくお願いします」と頭を下げた。 拓也はその由佳の素朴で奥ゆかしい様にとても好感を持った。それは、そのままモチベーションにつながった。 シナリオは、こうだった。 玲二のような男は独占欲が強い。もし、由佳が他の男からアプローチをされているのを知ったら、由佳を手放すのが惜しくなり、必死につなぎ止めようとするだろう。 その気持ちを利用することになっている。 玲二は由佳を完全に自分のものだと思っているから、自分からキャンセルしたのに、由佳の方から『会いたい』と言って来るまで放っているだろう。 でも、1週間を越えて由佳が何も言ってこなければ、少しづつ由佳のことを気にし始めるハズだ。 気にし始めたところで、他の男が由佳にアプローチしている姿を見せつければ、後は玲二が勝手に由佳を手放さないように動く。 玲二を取り戻せるかどうかは、その時の対応次第だ。由佳も、そのチャンスだけで十分だと承知した。 所長の観察により、明後日の金曜日が行動のチャンスだと予想し、由佳にはその日、レストランの食事(あくまで設定)にふさわしいデート用の服を着てくるように依頼した。 金曜日の昼、由佳から恋人屋本舗に連絡が入った。 予想通り、玲二が由佳を誘ってきたが、定時後、人と会う約束がある、ここ(サンシャイン)まで迎えに来てくれる事になっている、と言って断った、と。 「よし、思った通りだ」所長がしたり顔になった。 フミは家で待機していた拓也に一番良いスーツを着て来るように連絡したが、現れた拓也はクタクタのスーツを着ていた。 「あのねぇ、これは無いでしょう」フミが言った。 「すみません。服装にはあまり感心無いので、持っていなくて・・・」 「モテない訳だ。仕方が無い、少し早く池袋へ行って、服を買ってやるよ。所長、経費でいいよね」フミが言った。 所長は「え~!」と言ったが逆らえず「安いのにしてくださいね」と付け加えた。 「すみません」と拓也は言った。 結局、池袋のP.S.FA(パーフェクトスーツファクトリー)でフミの見立でスーツでは無く紺のブレザーを買った。真っ白なボタンダウンのシャツに朱色のストライプのネクタイを締めると、遠目にはとても映えた。 「まるで学生みたいだね。でも、顔が擦れてない(幼い)から似合っているよ。あと、靴もピカピカに磨いておくんだよ。なにせデートなんだから」 その言葉に少し喜んだのもつかの間で、女性のクルマへのエスコートのやり方を、徹底的にフミに仕込まれた。 「何をもたもたしてるんだ。早く(運転席から)回ってきて助手席を開けな」 小走りで回り込もうとすると「セコセコ走るんじゃない。女性に対して堂々と、落ち着いて背を伸ばして、大股でサッと回ってくるんだよ」と言われた。 「乗り降りする時は女性が頭を打たないように、ドアの上部に手を当てて」 拓也が普通にドアを閉めると「ドアはバタンと閉めちゃダメだ。閉める手前で少し止めて、確認してから力を込めて静かに閉めるんだ」と怒られた。 何度も練習して、スムーズにこなせるようになった。 「まあ、今日はクルマに乗せるところまでだから、これでいいか。付け焼き刃だけど。あと、小さな花束買っときな。明後日は由佳さんの誕生日だよ」 そう言われて、サンシャインの花屋で調達していると、由佳から今から会社を出ると連絡が入った。 拓也はクルマ(スバルS4)をサンシャインの車寄せに回して待っていると、由佳が出てきた。 少し離れた所に男性が見えた。なんとなく距離を保って付いて来ているのは、たぶん、玲二だ。 由佳はネイビーのワンピースにゴールドのネックレスが映えて、とても美しかった。拓也の姿を認めると、微笑みながら(早く会いたい、という様に)少し早足で歩いてきた。 拓也も自然とスマートに振る舞えた。 サッとクルマから降りてドアを開けた。由佳が近づくと「ちょっと早いけど、お誕生日おめでとう」と花束を渡した。由佳はすこし大げさに「わぁ、綺麗! ありがとう! 嬉しい!」と喜んだ。 由佳が頭を打たないように手を添え、乗り込みキレイに足を(そろ)えるのを確認して、静かに丁寧にドアを閉めた。 運転席に座ると、拓也は言った。 「建物の方を見ないで。たぶん玲二さんだと思うけど、由佳さんを見ている男性がいますよ」 外から見ると、おそらく(会えた喜びで)二人が談笑しているように見えるだろう。 拓也は玲二の姿を認めながら、ゆっくりとクルマを出した。 「お仕事だと判っていても、何だが初めてのデートの時のようにワクワクします」由佳が言った。 これは拓也も同じだった。フミに教えて貰ったことが由佳を前にしたらとてもスムーズに出来て、やはり女性を誘った時のワクワクを感じていた。 でも、実際にデートするわけでは無いので、そのまま谷中の事務所に戻ってきた。 事務所に入ると、デート仕様の二人を見て所長とフミが「おや、二人似合っているねぇ」と言ったので、思わず拓也と由美は顔を見合わせ、苦笑いした。 そこで、これからのことを話し合った。 おそらく、来週早々、もう一度、玲二から誘ってくるだろう。その時は、『先週の彼に映画に誘われている』と言って断ること。 次にいつなら会えると言ってくるから、今度の金曜日かその次の火曜日と言うこと。 「何故、金曜と火曜なんですか?」 「咲希さんと会う日なんですよ」 「え?」 「気づきませんでしたか? あなたとは一週おきの水曜日に会ってる。咲希さんとはその前後の週の火曜日と金曜日に会っている。おそらく先週の水曜日は、今週の咲希さんの都合が悪くなって、急に順番を変えたんでしょう」 「そういえば、今週、咲希は有休取ってます」 「でしょうね。友達に誘われて、Fというグループの福岡、広島、そして仙台のライブをハシゴしていると思いますよ」 Fは由佳も好きなグループだったので、咲希がそのライブへ行っているのを聞いて少しだけ親近感を持った。 それにしても、何故そんな事をこの所長は知っているのか。その疑問を察知して所長が続けた。 「恋人屋本舗の仕事は相手を知ることから始めます。その中では探偵と同様、少しですが相手のことを調べます。慎重な調査が必要な時は尾行もしますし身辺調査もします。でも、大抵はSNSなどのチェックで判ります」 由佳は感心すると共に、先週、断られたのは、玲二が二人と会うサイクルを変えたかった為だと知って、何だか少し腹が立った。 「ところで、何故、私は水曜日で咲希は火曜日と金曜日なんですか? その間、玲二は何をやっているのですが?」 「実に単純ですよ。きっと、男性機能の回復を待ってるんですよ。二人合わせて丁度、3~4日置きにセックスをすることになる。もう、玲二さんも30歳ですからね」 「あ~、なるほど」連日や一日置きでは勃起しないんだ。 結果、セックスの回数は咲希と私、2:1か、せめて同数になるようにしろよ、なんて由佳は考えたていた。 「今回の事が上手くいけば、咲希に悲しい思いをさせますね」 「大丈夫です。咲希さん、本気じゃないですから。玲二さんの本質、ちゃんと見抜いてますよ」 おっと、最後の言葉は玲二に惚れている由佳を傷つけると思い所長は「すみません、余計な事を言いました」と謝った。 「さて、一通り今後の段取りが決まりましたね。今日はここまでにしましょう」と所長が言ったとたん、拓也のお腹が鳴った。 「お腹、空いたんですか?」と由佳。 「ええ、初仕事で緊張して今朝からあまり食べて無くて・・・」 「え? 初仕事?」 「あっ・・・、言っちゃった。すみません」 「ふふっ、とても頼もしかったですよ。それより、皆さんもお腹空いているなら、何か作りましょうか?」 所長とフミも賛同したので、由佳は谷中銀座にある『のなかストアー(スーパーマーケット)』で食材を買い、手際よく4人分の食事を作った。 始めて由佳の料理を食べた拓也は「美味い、美味い」を連発し、勢いよく食べ進め、所長に俺の分を残しておけよ、とたしなめられていた。 拓也は、『由佳さんて、なんて素敵な女性なんだ』と思った。こんな女性(ひと)に想われてる玲二がうらやましかった。 次の週、予定通り玲二が誘ってきたので、由佳がその事を報告し、その日の夕方、サンシャインビルの一階にある『SEATTLE'S BEST COFFEE(シアトルズ・ベスト・コーヒー) 』で待ち合わせをして、『シネマ・サンシャイン』で映画を見た。 玲二がチェックしている可能性がある。さすがに映画館に行くふり、だけでは危ないので実際、ポップコーンを買って、二人並んで映画を見た。 そして、それが拓也にとってはとても楽しかった。 事務所に戻った拓也に所長が言った。 「ご苦労さん。由佳さんから、拓也が優しくとてもよくやっていただいている、とお礼のメールが届いているよ。張り切ってるな」 「バイトとは言え、引き受けた仕事ですから」 「いい心がけだ。でも、拓也の仕事は由佳さんと玲二さんをくっつけることだからな」 「この商売、お客さんに惚れたらダメなんだよ」フミが加えて言った。 「判ってますよ」拓也は少しぶっきらぼうに答えた。所長とフミが顔を見合わせ、意味ありげに笑った。 次の日、玲二が由佳にいつ会えるのかと聞いてきたので、言われたとおり、今度の金曜日か来週の火曜日と答えた。 玲二は少し困った顔をしたが「判った。金曜日に会おう」と言った。 結果的には、由佳と玲二は金曜日に会うことになり、咲希と玲二は別れることになった。 玲二が咲希に会う予定の変更を打診すると、咲希は事情を察した。 咲希は玲二とのセックスは(いや)では無かったが、恋人のいる相手との付き合いは、あくまで遊びのつもりだった。 今までは他人(ひと)のものをこっそり盗んでいるスリルと快感があったが、今度は自分が由佳の立場になるのだと思うと、ゲンナリした。 それに、ライブで知り合った同年代の男性が今、一所懸命アプローチしてきている。 別れるにはキリが良い。そう思って、玲二にその事を伝えた。 玲二は抵抗したが、承諾するしか無かった。 咲希は玲二に言った。 「別に複数の女性と付き合うなとは言わないけど、誰にも良い顔をするのではなく、本命と遊びは区別して、本命は大事にした方が良いよ」 玲二はその意味を判っていなかった。 金曜日、由佳は玲二に抱かれた。 以前に玲二が言っていたように、本当に縛られ、抵抗できないようにされた上で、執拗におもちゃを使われた。 久しぶりだった事もあり、少し気を失ったような感じだった。 気がつくと、後ろ手に縛られたまま、腰を少し抱えられ玲二に股を割くように中に入れられた。 そのまま、ピストンされるとおもちゃで敏感になっていることもあり、直ぐに登り詰めた、逝く寸前、腰を大きく浮かせてしまい逝くと同時に、ドサッという感じで腰を落とした。玲二が躰を離しても、下半身が痙攣しているようにビクついていた。 由佳を抱きながら玲二が言った。 「今までで一番感じていたね。少しだけだけど口から泡を吹いていた。これから、もっと感じさせてやる」 躰は正直だ。由佳は思った。触られると感じるし、逝きもする。 でも・・・、何故か今までのような満足感が少しもなかった。以前は自分の躰や心(つまり全て)を玲二に捧げたような、恍惚感があった。だから『もっと感じさせてやる』などと言われたら、ゾクッとしたものだ。 ところが今は何度も逝ったことで、運動した後のような爽快感はあったが、恍惚感は無かった。 『まあ、色々あったから、これからやり直しかな』由佳は気を取り直した。 翌、土曜日、由佳は事務所に行き、玲二と()りが戻った事を報告し、残金を現金で支払った。 所長は領収書を渡しながら「良かったですね」と声を掛けた。 フミも「頑張ってね」と言った。 由佳は拓也に「本当にお世話になりました。拓也さんのおかげです。ありがとうございました」と言って、手を取った。 拓也は力なく手を握り返しながら微笑み「幸せになってください」そう応えた。 由佳は手を振り、笑顔を見せながら事務所を後にした。 拓也は弱々しく手を振っていた。 「行ったねぇ」フミが言った。 「終わりましたね」所長が言った。 「・・・」拓也は無言だった。 「はい、バイト代だよ」そう言って、所長から封筒を渡された。中を見ると4万円だった。待機とか準備とかはあったが、実質2日間だったので、バイトとしては悪くない。 「ところで、このバイト終わったら死ぬんだっけ?」 「あっ、忘れてた」 「まあ、急ぐ必要ないさ。その気になればいつでも死ねる」 「そうですね」そう応えながら、この人達は自分の自殺を防ごうとしてくれたのも知れない、と思った。 妙に慰められたり、説教されたり、ましてや同調されたりすると、『あんたに俺の気持ちの何が判るんだ』と反発したかもしれないが、まるで何も無かったかの様に接されると、いつのまにか『死にたい』という気が薄れてしまった。 「まあ、もう少し生きてみます」 「それがいいよ」 ただ、仕事の成果と好きな人を同時に失った会社に出勤する気がせず、退職を申し出て、大量に残っている有休を消化しつつ、毎日事務所に入り浸っていた。 その間に、2人のスタッフ、塩田啓治(会社員:54歳)と板倉梓(主婦:34歳)は事務所にふらりと来たので挨拶したが、もう一人とは会えなかった。 10日ほど経った。 「そんなに毎日出勤されてもバイト代払えないよ」所長が言った。 「判ってますよ」そう応えた時、拓也の携帯が鳴った。 見ると由佳だった。 ドキドキしながら電話に出た。 由佳は申し訳なさそうに、戸惑いながら話し始めた。 どうも玲二の様子がまたおかしい。どうしていいか判らず、思わず拓也に電話したと。 話をしながら思い直したようで「契約も無いのにごめんなんさい。拓也さん優しかったから、つい・・、愚痴です。大丈夫ですから」そう言って電話を切った。 「もしかして、由佳さんかい? 個人の電話番号の交換なんて規則違反だね」フミが言った。 「すみません。映画を見た時、ついつい・・・。でも心配だ。また玲二の様子がおかしいらしい」いつのまにか拓也の表現が、『玲二さん』から『玲二』に呼び捨てになっていた。 その日、拓也は探偵まがいの行動をした。つまり、玲二を会社から尾行した。 玲二は新宿の東口で女性と待ち合わせていた。かなり若く、20歳前後だと思われた。 妹か親戚の()かな。その割には、腕を組んだりして、ベタベタしている。 そのまま、腕を組んで、区役所通りを歌舞伎町の奥の方へすすみ、『するり』という創作和食の店に入った。かなりオシャレなお店だ。『するり』はオープンな階段の2階に入り口があり(つまり、出入りが良く判る)張り込みは楽だった。 玲二とその女性は1時間半近く経って店を出てきて、そのまま、歌舞伎町のラブホ街に向かった。 拓也は迷った。 このまま、ラブホに入る写真を撮るのは簡単だ。それを由佳に教えるのも。 でも、それではせっかく玲二とやり直そうとしている由佳を悲しませる事になる。 玲二を止めて、もう一度由佳に向かい合うように言った方がいい。 幸い、玲二から見れば一時的にしろ(仕事上での芝居ではあるが)拓也は、由佳を巡ってライバル関係にあった男だ。その立場で意見すればいい。 そう、思った拓也は、まさにラブホに入ろうとしている二人に声を掛けた。 「玲二さん、待ってください」 声を掛けられ玲二は驚いた様に振り返った。 「玲二さん、由佳さんと付き合っているのでは無いのですか?」 となりの女性が、唖然とした表情で玲二と拓也を見ていた。 「あなた誰ですか?」 「覚えて無いのですか?」 玲二はそう言われて、じっくり拓也を見て、思いついたようだった。 「あっ・・・。でも、もうあなたには関係ない話だ。僕が由佳と付き合おうがこの()と付き合おうが、あなたに何か言われる()われは無い!」 それを聞いた拓也は、由佳があまりにも可哀相で、悔しくて思わず言った。 「俺は由佳さんの幸せを思って、身を引いたんだ。由佳さんがあなたのことを好きだと言うから。そんな由佳さんをあんたは裏切るのか。こんな事なら由佳さんを絶対に渡さなかった」玲二に反省して欲しくてそう言ったが、実は本音だった。 その時、女性が口を開いた。 「ねえ、おじさん」玲二の事らしかった。 玲二がおじさんなら、俺もおじさんだな。所長はおじいさんかな、塩田さんはもう霊界の域だろう。まあ、若い()から見れば30歳なんて十分おじさんだな、と苦笑いした。 「付き合っている人いないと言ってたよね。私の事を大切にすると言ってたよね。だから、ホテルに行こうと言われて承知したのに。ウソばっかりじゃない」 「お前だって、遊びだと判ってたんだろう。これから、色々買ってもらえてラッキーだと思ってたのじゃないのか」 「馬鹿にしないでよね」そう言い放って、持っていたバッグで玲二をたたき、拓也の横を通って、その場を離れた。 それを見て、玲二が怒った。 「あんた、何なんだ。邪魔しやがって。由佳は俺に惚れてるんだよ。俺のモノなんだよ。どうしようと俺の勝手・・・」 そこで、言葉が途切れた。 「由佳・・・」玲二が幽霊でも見たように呟いた。 拓也が振り向くと由佳が立っていた。 「由佳さん、どうして?」驚いて拓也が言った。 それには応えず、玲二に向かって言った。 「最低ね、あなたは。『由佳は俺のモノ?』私は誰のモノでも無いわ。もう、結構よ。二度と声を掛けてこないで。行きましょう拓也さん」 そう言って、拓也の腕をとり、来た方向に引っ張っていった。 「由佳さん、どうしてここに?」訳が判らず拓也が訊いた。 「フミさんに『テルマー湯』(歌舞伎町にある温泉施設)に誘われてね。クルマを駐車場に入れてくるからと、この近くで降ろされたの。そうしたら、拓也さん達が見えたので・・・」 なんて偶然・・・、なのか? 「ところで、拓也さん、さっき玲二に言った言葉、お仕事上の言葉ですよね」 拓也は困った。由佳は仕事上だから付き合う素振りをしてくれていたが、本心だと判ったら気味悪がるだろう。 だから、「もちろん、(仕事ですので)」と言おうとしたが、仕事ですので、は言葉にできなかった。不器用な拓也は自分の心にウソがつけない。 「もちろん?」 「もちろん・・・、本心です。すみません」と思い切って言った。 「そう・・・」それっきり由佳の言葉は続かなかった。 あ~、やはり変に思われたか・・・とショックだった。 無言のまま事務所に戻ると、そこに先ほど玲二とラブホテルに入ろうとしていた若い女性がいた。 「え~! あなたは? 何故ここに?」 「大西玲奈、20歳、大学生です。よろしく」そう言って微笑みながら元気よくその女性は挨拶した。大西玲奈、会っていなかったスタッフだった。 驚いている拓也と由佳に所長が言った。 「由佳さん、申し訳ありません。少しフォローさせていただきました」 実情はこうだった。 所長とフミはどうしても玲二と付き合う事が由佳にとって幸せになるとは思えなかった。 かといって、幸せの定義など人によってそれぞれだ。だから、玲二の本性を見せてあとは由佳の判断にまかせようと画策した。 そのストーリーがあったからフミさんと自分のシナリオの分厚さに違いがあったんだ。最初からそこまでシナリオを作っていたなんて・・・。 玲二と由佳が()りを戻した時点で、玲奈を玲二に接触させた。 玲二が特に何もしなければ、それで良し。由佳は幸せになれる。 でも、やはり、玲二は玲二だった。 玲奈は話をするきっかけを作っただけなのに、その後、玲二から積極的に電話などでアプローチを続け、3回目の食事の時にホテルに誘ってきたらしい。 玲奈から連絡を受け、フミは由佳をその現場近くに連れて行った。 その現場を由佳に見せる、それでもラブホに入ろうとするなら、フミが玲菜の祖母の役で止めるというシナリオだった。 なので、拓也が乗り込んでくるのは想定していなかった。 『まあ、拓也にはそのシナリオを伝えていなかったし、結果オーライと言うことで、いいか』所長は思った。 ただ、由佳には「結果的に玲二さんを取り戻したいという由佳さんの希望通りにはなりませんでした。すみません」と謝った 「でも、より幸せの方向に導いてくれました。玲二と別れることが私の幸せにつながる事が判りました。目が覚めました。あのまま付き合っていたら、振り回され、気持ちがすり切れて不幸になっていたと思います」 所長と由佳が話している間に、玲奈が拓也にささやいた。 「『こんな事なら由佳さんを絶対に渡さなかった』って啖呵切って、格好良かったよ。私も言われてみたい」 「言わないでくれ。恥ずかしい事この上ない」 拓也は由佳に受け入れられなかった事で落ち込んでいたが、由佳が玲二と別れた事には安心した。 それは『恋人屋本舗』として、由佳を不幸から救えた、という安堵ではなく、由佳がフリーになった、という意味の安堵だった。 だから、拓也は落ち込んではいたが、気持ちは何故か晴れていた。 恋人屋本舗の仕事、面白いかも。そう思った。 第3話『恋人奪還作戦(後)』完
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