117人が本棚に入れています
本棚に追加
/28ページ
第6話 夕陽の部屋(前)
夕陽の差し込む2DKのアパート。木曜日の夕方、雅美は佐々木に抱かれていた。
出来るだけ声を出さないように我慢しているが、どうしても「あっ、あっ」という小さな声が漏れてしまう。ただ、夜と違い外もそれなりに騒がしいので、少しは声が紛れる。
ここに住んだ当初は夜にセックスをしていたのだが、どうにも声が周りに漏れてしまう気がして(いや、実際に隣の部屋の喘ぎ声は、時々聞こえてくる)いつしか夕方にセックスをするようになった。
抱かれながら、部屋に差し込む夕陽が照らすカーテンや壁を見ていたので、いつしか夕陽が好きになってきた。
正常位でより深く入れて欲しくて、赤児のように足を曲げている。 声が出ないように口を手で押さえていたのに、その手を佐々木は口からどけて、上から布団に押さえつけるようにして手を握っていた。 口を塞ぐ手がなくなって、声を必死で我慢しているのを楽しんでいるかの様だ。
佐々木は曲げていた雅美の足を、松葉のように、あるいはコンパスのように開いて伸ばさせた。 繋がったまま、佐々木は上体を起こし、正座のように座る。雅美の腰は佐々木の太ももの上に乗っている。 腰が持ち上がった雅美の中で佐々木のモノが上側の壁を擦る。
Gスポットも含めて佐々木のモノで中の上側に強い刺激を受けた雅美は、快感の声を我慢しすぎて強く目を閉じ苦痛にも似た表情を見せている。 そのままの体制で佐々木が腰を前後に揺らし始めると、もはや雅美の声の我慢は限界に来ているようで快感から逃れようとするように、そして佐々木から離れようとするように上半身を左右に振った。 それでも、佐々木は雅美の腰をしっかり持って離れないようにして、より激しく腰を動かす。 もはや雅美は逃れるのを諦め、両手でシーツをしっかりと握りしめ、ちいさく震えるほど上半身に力を入れて我慢していた。
が、佐々木が大きく腰を振ると、その瞬間、ダムが決壊するように、快感をまき散らして、大きな声を上げ逝ってしまった。
シーツを握りしめていた手から力は抜けているが、躰全体がビクビクと痙攣しているように動いている。
雅美が正気を取り戻すと、佐々木は雅美のお腹に掛けてしまったモノをティッシュで拭いてくれていた。
『今日も外で射精ったんだ』
雅美は少しガッカリした。雅美は佐々木との間に子供が欲しかった。佐々木はまだ34歳だが、雅美は36歳なので、早く子供が欲しいと少し焦っていた。 でも、佐々木にその気は無いようだ。
まあ、色々な条件を考えれば、佐々木の判断は正しいのかもしれない。
雅美と佐々木は1年前に、盛岡から逃げるように東京へ出てきた。
佐々木は元々結婚しており、子供もいる。 高校卒業後地元のスーパーに就職した。29歳になるときに紹介されて付き合った女性(彩乃)と結婚し、30歳で子供が出来た。
彩乃は子供が出来ると、子供の世話に夢中になり佐々木に目を向けなくなった。 佐々木をまるでATMのように扱い、稼ぎが悪いと責め立てた。
そして、セックスレスになった。
子供の世話が大変なのだろう、と思って佐々木はセックスが出来なくても我慢していた。 どうも様子がおかしいな、と思うこともあったが、もともと優柔不断な佐々木は、それ以上何も行動できずにいた。
そんな時、勤め先にパートで来ていた雅美と知り合った。
雅美は子供の頃から片親(母親)だった。家にお金が無く、定時制高校に通い、卒業後は駅やショッピングセンターに出店している店の販売員などのパートの仕事に就いた。 母親は雅美が22歳の時に亡くなった。薄幸な人だった、と思った。 しかし、自分も同じ運命を辿るのだろうと覚悟はしていた。
化粧っ気が無く、地味な雅美は男性とは縁遠く、男性と付き合った事などほとんど無かった。 ただ、母親との二人暮らし、そしてその後のひとり暮らしが長く、家事全般はとても器用にこなしていた。
スーパーで働くのは初めてだと言うので、佐々木が一通り説明し、指導していた。佐々木はもともと優しい性格だったので、雅美は好感を持った。 それまで、あまり男性に優しく接して貰った事がなかった。
雅美は佐々木との会話が楽しかった。佐々木も大人しく暖かい雰囲気の雅美との会話が楽しかった。 ただ、それ以上の仲には進まなかった。雅美は佐々木よりも年上なのを気にし、佐々木は自分は既婚者であることを気にしていた。
ある時、彩乃が浮気している事が判った。相手は佐々木のスーパーの幹部(常務の熊谷)だった。
どうやらセックスレスは彩乃が浮気相手との付き合いに夢中になり佐々木とセックスする気にならなくなったのだろう。
佐々木は熊谷常務と同じ会社に勤めているのがイヤになり退職した。優柔不断な佐々木にしてみれば、精一杯の熊谷常務と妻への反抗だった。
突然無職になった佐々木を妻の彩乃は責めた。
佐々木は彩乃と熊谷常務の浮気の事を話したが、妻は佐々木が男らしくないのが原因だと、自分の浮気を正当化し、離婚を持ち出した。 お金を持ってこない佐々木と一緒にいる意味が無くなったのだろう。
佐々木は離婚に応じ、家を出た。子供は妻が育てることになり、養育費は無収入なのに佐々木が負担する事になった。
佐々木は家族という仲間を維持していたつもりだったが、それが表面上だけで、幻だった事が判り、半ば自暴自棄になっていた。
そんな佐々木を雅美は一所懸命慰めた。全てを失った後だったので、雅美の優しさは嬉しかった。何よりも、会社を辞め(=収入が無く)、家も出た(=行くところが無い)佐々木を、狭いながら雅美は自分の部屋に泊めて、少なくとも雅美の収入で1ヶ月は養った。 その1ヶ月の間、佐々木は癒やされ、雅美は初めての男性との同棲が楽しかった。
そして自然に男女の仲になった。
佐々木は盛岡にいるのがイヤになり、盛岡を離れると言った。雅美は佐々木に付いて東京へ出てきた。東京に来たのは理由があったわけでは無い。仙台でも良かったが、盛岡からできるだけ離れたかったし、大きな街の方が仕事が見つかりやすい気がした。
東京で住む場所を探したが、賃貸物件はどこも高かった。 結局、足立区の舎人公園近くのアパートに落ち着いた。ここまで来れば、家賃も少し落ち着いていた。
佐々木は足立区のスーパーで販売員のアルバイトを始めたが、もともと盛岡でスーパーのバイヤーをやっていたので、その経験を重宝され、バイト代も上がっていった。それでも、手取りは20万円前後だった。 雅美もファミレスで働いていたが、佐々木が養育費を払っているので、生活は楽では無かった。
東京に出てきたから1年が経った。
質素な生活だったが、それでも十分に生活は出来ているし、休みの日は遠くへ遊びに行かなくても、徒歩圏内の舎人公園で十分だった。 お互いを思いやる二人の生活は楽しかった。
そのハズだった。
・・・・・・
恋人屋本舗のドアを開け、雅美が入ってきた。化粧っ気の少ない、シンプルな出で立ちだった。 ここ、恋人屋本舗は幸せを求めて来るところだ。来訪者は、何か欲しいもの、普通は幸せ=意中の恋人を求めているので、不安や戸惑いの中に、何かを得ようとする、ギラッとした光が目の中にあるのだが、雅美の場合はそれがなく、唯々、諦めと強い意志だけが感じられた。
「昨日、メールを送りました吉田雅美です」拓也がホムページを立ち上げると、次の日にメールが届いた。ホームページ経由の最初の訪問者だった。
「お待ちしてしていました。どうぞ」所長は応接セットの方に招いた。
雅美は部屋の中を見渡しながら、ソファに座った。
お茶を出すのは拓也の役目だ。ヒマなので毎日自分が飲むコーヒーを淹れていたら、上手になった。
コーヒーを一口含んだ雅美が言った。
「あら、美味しい」
「恐れ入ります。それで、ご用件は・・・」
「ホームページを拝見しました。私の恋人役をお願いしたいのです」
「なるほど・・・。よろしければ、どのようなご事情か、お話しいただけませんか?」
どう伝えたら良いのか少し戸惑った様子だったが、ポツリポツリと話し始めた。
雅美と佐々木が東京へ出てきた経緯、東京での暮らし、そして最近の出来事・・・。
この1~2ヶ月、佐々木が思い悩んでいるような、考え事をしているような姿を時々みかけるようになった。 雅美が不審に思ったのは、その姿を雅美に隠していることだった。 最初は浮気かと思ったが、そんな様子には見えないし、もとより佐々木はそれほど器用ではない。 仕事上の悩みかと思ったが、それならばおそらく相談してくる。
その理由が判ったのは偶然だった。
長年使っていた安物のヘアドライヤーが壊れたので、舎人ライナー沿いにある、家電量販店に行った。そこで、盛岡のスーパーにも出入りしていた催事専門会社の社員に会った。
「おや、吉田さん。吉田さんも東京に来てたの」
「あら、お久しぶり。今日はここで?」
「うん、一週間の予定」
「手広く商売しているのね」
「いや、東北と関東だけだよ」
「吉田さんも、って他に誰かいたの?」
「佐々木さんが舎人のスーパーにいたんだ」
雅美と佐々木が一緒に暮らしているのは知らないようだ。
「佐々木さん、奥さんの浮気が原因で離婚したんだってねぇ。盛岡のスーパーでは噂になっていたよ」
「噂に?」
「佐々木さん、真面目だったじゃないか。それに比べて、浮気相手の熊谷常務はみんなから嫌われていた。だから、佐々木さんがかわいそうだ、ってね」
「結局、熊谷常務と佐々木さんの元奥さんも別れて、元奥さんは佐々木さんと寄りを戻したがっているらしいよ。それよりも佐々木さん、子供がいただろう、その子が佐々木さんに会いたがっているらしい」
「その事を佐々木さんは?」
「知ってるよ。2ヶ月前に佐々木さんがいるスーパーで催事した時に会って、話をした。奥さんには何の未練も無いようだが、子供には会いたがっていたよ。離婚する時も自分が引き取ると頑張ったみたいだったから」
全て合点がいった。最近、佐々木が元気ないのは子供に会いたがっているからだ。
そもそも、離婚当初、あんなにも自暴自棄になったのは、子供と会えなくなるのも理由の一つだった。(あの奥さんなら、どんな取り決めをしようが、絶対に佐々木を子供に会わせることはない)
ところが、最初から佐々木に懐いていた子供は、離婚後、何かと彩乃には反抗し、それに苛立った彩乃が時々手を上げ、親子関係はこじれているらしい。 それを聞くと、諦めていただけに余計に子供への心配と想いが募るのだろう。
それが判ってから、何日も雅美は悩んだ。今の幸せを手放したくは無い。でも、佐々木の元気の無い悩んだ顔を見るのは辛かった。
結論は、『佐々木を子供の元に返そう』と言う事だった。 奥さんが子供を手放す事は絶対なのと思うので、それは『奥さんの元に返す』という事に等しかった。
奥さんも寄りを戻したがっているし、佐々木が戻れば親娘関係も改善するだろう。それが佐々木にとって一番良い選択だと雅美は思った。
問題は、その方法だ。
佐々木は自分がどれほど悩んでいても、自暴自棄になっている時に、必死に支え、東京へも一緒に付いてきてくれて、今、こうして生活も支えてくれている雅美を裏切ることは絶対にしない。
そこまで、話をしてから、雅美は所長に言った。
「私の恋人役になってください」
そして拓也を見ながら言った。
「この方では若すぎるわ。あなたぐらいの方が丁度良いわ」
「恋人役と言うのはどういうことですか」
「このままだと、あの人が私を置いて元の奥さんの所へ戻ることなど絶対にありません。だから、私が佐々木がいなくても大丈夫だと、佐々木から離れるのは私の意志だと思わせれば、心の呵責なく離れられるのかなと思っています」
「う~ん」所長は考え込んだ。
「難しいですか? そんなに難しい話ではないと思いますよ。あまりお支払いできるお金も無いので、一日の内のほんの数時間、一緒に居ていただけるだけいいのです」
「まあ、確かに難しい話では無いのですが・・・」
所長は壁の社是を指しながら言った。
「恋人屋本舗は依頼人の幸せの為に働きます。あなたは、それで幸せになるのですか?」
「佐々木が好きで、盛岡では一所懸命に佐々木を励ましました。正直、私の幸せの為に佐々木を手に入れたいと思っていました。一緒に東京に来れて幸せでした」
「なるほど・・・」
「今は、もっと佐々木を愛しています」
「だから・・・」
「はい、佐々木に幸せになって欲しい。それだけが私の望みです」
そう言ってから付け加えた。
「私も本当に色々悩み、考えたのです。この意志は変わりません」
「そうですか・・・、判りました。お引き受けしましょう」
「ありがとうございます」
「雅美さんは佐々木さんの子供さんをご存じなんですか?」
「葵ちゃん、よく知っていますし、とても仲良しです。どうして?」
「いえ、何でもありません」
・・・・・
単に佐々木と雅美の恋人として会う、これだけなので、拓也は明日にでも決行するのか、と思っていたら、所長は決行を1週間後と決めた。
そして、その1週間の間に2日ほど恋人屋本舗を空け、その間、いつものように拓也が留守番をしていた。
雅美も佐々木も休みの日に、日暮里のルノアール(喫茶店)で会った。恋人役の所長が先に来て待っていると、雅美が佐々木を伴って入ってきた。雅美が佐々木に「会って欲しい人が居る」と言って、連れ出してきたのだ。
「雅美は向こうの席に行っていてくれないか」所長はわざと「雅美」と呼び捨てにして、店の奥の席を指した。二人の姿はよく見えるが話の内容までは聞こえない距離だ。
佐々木は所長が雅美を呼び捨てにしたので、少し怪訝な顔をした。
「アイスコーヒーで良いですか」
「はい」
アイスコーヒーを承知してくれて良かった。冷たい飲み物を勧めるのはこのような時の常識だ。 熱い飲み物だったら、相手が激高して手元の飲み物をかけてきたら、火傷してしまう。
雅美はホットコーヒーを飲みながら二人の様子に見入っていた。
まず、佐々木が喋っている。 所長がそれに応えている。 その話を聞いて佐々木の顔が険しくなってくる。 少し興奮して話をしているようだ。 所長がまた話をした。 店員がアイスコーヒーを持ってきた時だけ、少し話が中断した。 結構長い時間話をしているように思える。 佐々木は腕組みして黙り込んでしまった。 また、所長が何か喋った。
佐々木が拳でテーブルを叩き、アイスコーヒーの入っているコップを手に取り、所長にぶっ掛けた。 勢い余り、コップまで所長の方に飛んで行った。そして、席を立ち、雅美の方を見やりもせずに店を出て行った。
雅美は温和な佐々木が怒るのを初めて見た気がした。佐々木の気持ちを思うと心が痛んだ。
周りの客と店員が驚いた様に立ちすくんでいた。
それを意に介せず、所長は段取りよく鞄からタオルを2枚取り出し、顔と椅子、テーブルを拭きながら、雅美を手招きした。
なんだか、コーヒーを掛けられ慣れている気がして、雅美は少し可笑しかった。
「大丈夫ですか?」
「平気です。話は決着しました」
「ありがとうございます」
「彼が出て行くので、今日は帰ってきて欲しくないそうです」
「そうですか・・・判りました」そうだろうな。雅美も、こんな話をした後で、会わせる顔などない、そう思った。
時間が経つのがこんなに長いと思った事は無かった。
上野(というよりも御徒町)の『TOHO』で映画を見て『135酒場』で夕食を食べても時間はたっぷりあった。その日はネットカフェに泊まった。
なんとか、次の日の夕方まで時間を潰し、舎人のアパートに戻った。
夕陽が差し込む部屋は、もともと荷物は少なかったが、佐々木の服と鞄が無くなり、さらに閑散としていた。
好きな夕陽が今は寂しかった。
もともと、ずっと一人で暮らしてきていたのに、何故こんなにも寂しいのだろう。
この一年が特別だっただけで、元に戻っただけだ。そう思い込もうとしても、寂しくてたまらなかった。
入り口に立ち尽くし、窓から差し込む夕陽に照らされた壁を見ていると、涙が出てきた。
第6話 夕陽の部屋(前) 完
最初のコメントを投稿しよう!