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第一章 あまのじゃくの神隠し #2
晶良が腰を上げたとき、デスクに置いたスマホの着信音が鳴った。
特定の音に設定してあるので、晶良はそれが誰かすぐにわかった。穏やかな音楽の時は翡翠姉だ。
大儀そうにきびすを返し、デスクの上のスマホを手に取って、電話に出た。
「晶良? 翡翠だけど」
翡翠姉が電話を掛けてくるときはいつも仕事の依頼の時だ。
「仕事ですか? いつもの清掃?」
晶良はビルやマンションなど物件の清掃をおこなう仕事をメインにしている。清掃といってもただの掃除ではない。
心理的瑕疵物件——物件内で自殺や他殺、変死体が見つかった場合、その物件のことをそう呼ぶのだ。
その物件内である問題が起こったとき、知り合いや身内のつてを経て、晶良の元へその物件の清掃が依頼される。
いわゆる、拝み屋を生業としている一宮晶良は、そう言った瑕疵物件に潜む怪異現象を改善する仕事をしているのだ。
もちろんそれだけではない。
「清掃じゃないわ。今度は人捜し」
「行方不明?」
「単なる行方不明じゃないみたいよ。神隠し」
翡翠が穏やかな声音で告げる。
「神隠し……」
晶良が思案げな声で答えると、翡翠がこれまでの経緯を話してくれた。
「息子を探してくれ。あれから何十年も経ったから安全だと思って、行かせてしまったんだ。まさか、今になっていなくなってしまうなんて思わなかったんだ」
初老に入りかかった貫禄のある体格をしている男が、喫茶店の茶色いテーブルに身を乗り出して、目の前の女性に挑みかかるように一気にしゃべった。男の声が落ち着いた雰囲気の店内にひときわ大きく響く。男の気迫にも動じず、ボブカットの黒髪の女性はコーヒーのカップに手を添える。
「落ち着いてください、高木さん」
ボブカットの女性——翡翠は声を荒げる高木をなだめつつ静かに口を開いた。
心霊関係を中心に手がける一宮家に、その依頼が舞い込んだのはつい先刻のことだ。
依頼人の名は、高木俊夫。大阪のとある会社の代表取締役だ。社長だけあって、どことなく居丈高な印象を受ける。
「息子が、岐阜の白山郷に行ったきり帰らない。多分、昔、名前を呼ばれたからだ。連れていかれないようにわざわざ大阪に逃げたのに、あいつはあの女にそそのかされて白山郷に戻ってしまった」
その話に耳を傾けていた翡翠は、高木の話す内容を繰り返した。
「高木さんは、息子さんが白山郷で行方不明になったのは、要するに何者かに名前を呼ばれたせいだと考えていらっしゃるんですね?」
名前を呼ばれたからと言って行方不明になったことと何が関係あるのだろうかと、翡翠は首をかしげた。
「白山郷では名前を呼ばれると神隠しに遭うと言われているんだよ。息子の俊一は小さい頃に外で遊んでいるとき名前を呼ばれたらしくて……。わたしたち夫婦は慌てて俊一を連れて村を出たんだ」
「神隠しですか……」
そうだ! と、高木がテーブルから身を乗り出した。
「あまのじゃくに呼ばれると地元では言われている。神隠しに遭った人間はどんなに山を捜索しても絶対に見つからないんだ」
「山ですか……」
「そうだ。あまのじゃくは山から来る。名前を呼ばれた人間は、あまのじゃくに山へ連れ去られてしまうと言われているんだ」
それだけでは、一宮家が扱うに足る怪異とは言えない。
「神隠しではなくて、事件に巻き込まれたとか自主的に行方をくらませたとかは?」
高木の剣幕では、そういったことは視野に入れていないだろうが、念のために確認した。
「あまのじゃくは存在しないと思ってるんだろ?」
不信感の籠もった目で高木が翡翠を見た。
確かににわかに信じてはいけない事象ではある。いろいろな可能性を潰していくことで、確実に怪異現象と繋がれば、翡翠も動くことが出来る。いなくなったから探せと簡単には命じることが出来ない立場でもある。
「もう少し、詳しく順序立てて説明してください」
翡翠は高木をなだめながら話をするように促した。
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