2

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ

2

 特に行先もなく、昼前に家を出て、辺りを歩いた。俺が家にいると、母さんが昼飯を作らなくちゃならない。  と言って、金もない中学生がいられる場所なんていくつもない。  そうすると結局、アパートに戻ってきてしまう。  俺は、うちとは反対側の端にある一室のドアをノックした。 「片桐さん、いる?」 「おるよ」  中から出てきたのは、髪もひげも真っ白な、仙人みたいな小柄な爺さんだ。  この近くに、評判のいい診療所が一軒あるのだが、片桐さんはそれを建てた医者らしい。今では後輩に診療所を譲り、自分は楽隠居してこんなところに暮らしている。 「また夕方までいさせてよ。クーラーついてる?」 「おお、入ってけ入ってけ。ところで十治、さっきまたあいつらが来たのか」 「ああ、こんな小銭稼ぎが組のしのぎのわけないよね。ただ俺たちを、小遣いせびるついでにいたぶってるだけだ」 「組とかしのぎとか、あまり子供に口にしてほしい言葉ではないな」 「片桐さん、俺の父さんを知ってるんでしょ?」 「おおよ」 「診たこともある?」  片桐さんは、うぐっと口ごもった。おそらく、あまり表ざたにできない怪我をしていたのだろう。 「うち、父さんが残していったらしい桐の箱があるんだけど、片桐さん中身知ってる?」 「桐の箱? いや、知らんな」 「たまーに母さんが、一人でそれ見て、蓋撫でて大事そうにしてるんだよね。俺がそうしてるとこ見るたび、場所変えて隠すんだけど」  きっと今頃、あのタンスとは別の場所にまた隠しているのだろう。まあ、あの家にそういくつも隠し場所なんてないんだが。  夕方まで片桐さんの家で過ごして、うちに帰ると、母さんが夕飯の支度をしていた。  今日は俺が夕食当番だというのに。 「あー、何してんだよ。材料勝手に使って」 「だってどう見てもカレーなんだもの」  夜になると、俺たちはボロボロのちゃぶ台でカレーを食べた。 「ねえ、母さん。俺昔、父さんに『お前の体に一億円の金塊を仕込んでおく』って言われたんだけど」  母さんのスプーンがぴたりと止まった。 「そう。一億円もあったら、嬉しいね」 「入ってるとしたら、腹だよね。手足や頭蓋骨の中にはまさか入らないだろ?」  母さんが苦笑する。 「母さん、俺はっきり覚えてるんだよ。それにそんな無意味な嘘を、幼児につく意味もないだろう。もしかして、あの桐の箱と関係がある? 俺、中身見てもいい?」  その時、やかましい音を立てて家のドアが開いた。この開け方には覚えがある。 「いたな。おい、金目のもん全部出せ」  朝のリーダーだ。 「ガキの財布もよこせ! カードもだ!」  ははあ、何か失敗したなこいつ、と俺は察した。少しでも金を集めて、雲隠れか高飛びでもしようというのだ。  しかし家計の財布はもうすっからかんに近く、俺の財布には千五百円しか入っていなかった。カードなんて俺も母さんも持っていない。 「ふざけんな、しみったれやがって」  そうさせたのはお前だろうが、と言いたいのを、刺激したくないので何とかこらえる。 「そうだ、あの箱だ。何か値打ちもんだろ? あれも出せ」  母さんが血相を変えた。 「だ、だめです。あれは」 「ほら見ろ、金目だろうが!」  男は土足のまま上がり込んで、今朝のタンスを引き開けた。そこにないのが分かると、家中の家探しを始める。  そして、テレビ台の下に隠してあった例の箱を取り出した。 「やめてください、それは」 「うるせえ」  男が、すがりつく母さんの頬を張った。  それを見た俺の頭に、一気に血が上った。 「おい!」 「ガキが凄むなッ。じゃあな!」  男が出ていく。アパートの外で黒いセダンに乗り込むところを、俺が捕まえた。 「母さんに謝れ! 箱を返せ!」  後ろから、母さんが俺を止める声が聞こえた。  男は俺の腹に蹴りを入れると、ドアを閉めてエンジンをかけた。  俺は思わず、ボンネットに腹ばいになってフロントガラスを叩く。男はそれにかまわず発進した。 「嘘だろ!?」  車が加速していく。あっという間に、アパートが視界から消えた。道はまっすぐだったが、車が微妙に蛇行して振り落とされそうになり、俺はミラーに手をかけた。  まずい。下手をしたら死ぬ。  ガラスの向こうの男と目が合った。  この状況で、運転に躊躇がない。こいつ、薬でもやってるんじゃないだろうか。  このままでは、カーブ一つ曲がられただけでひとたまりもない。 「お、おい! あんた、金がいるんだろ!?」  男の表情が、初めて変わった。 「俺が持ってるぞ! 父さんの遺した一億円だ! あんたにも分けてやるよ!」  これは聞きとがめたらしい。車は、人気のない空き地に停車した。俺は冷や汗をぬぐいながらボンネットから降りる。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!