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五百円の行方
昼飯代の五百円玉を握り、男は川辺を歩いていた。
さて、今日は何を食べようか。
どこかのスーパーで安い弁当を買うか、コンビニで買って温めてもらうか。おにぎり、カップラーメン。あるいは――
そんなふうに考えごとをしていたものだから、足元の石につまずいて、たたらを踏んでしまった。その拍子に手の中のコインは空中を舞う。
慌てて捕まえようとしたものの、努力の甲斐もなく、男の貴重な五百円はあえなく川へと沈んでいってしまった。
男は叫んだ。
「俺の昼飯代っ!」
すると、川の中から光輝くなにかが、ざばりと現れたのである。そして、金色にぴかぴか光るコインを見せ、こちらに問うてきた。
「おまえが落としたのは、この五百円玉か?」
「違う。俺が落としたのは、ただの五百円玉だ」
すると、その人物は次に銀色のコインを見せた。
「では、このコインか?」
「色は似てるけど、たぶん違う。もっと汚れてたはずだ」
「そうか。おまえは正直な男だな。金と銀、この両方をおまえにやろう」
男の手には、ぴかぴかと輝きを放つ、金色の五百円玉と銀色の五百円玉が現れた。
だから男は、川の中の人物に声をかけた。
「俺の五百円は?」
「え?」
「え、じゃねーよ。返せよ、俺の五百円」
「安心せよ。メッキなどではなく、それはまごうことなき純金であり純銀である。おまえが落としたものよりも価値はあまりあるはずだ」
川中の人物はおごそかに微笑む。
だが、男の方はそうはいかない。
「あんたアホか。こんなもん貰っても困るだけなんだよ」
「金であるぞ?」
「俺に換金しろってのか。そんなことできるわけねーだろ」
「よい。それはおまえに与えたもの。気にせずともよい。許そう」
「そういうこと言ってんじゃねーよ。こんな精巧に作った金の五百円玉を持ってたら、俺が捕まるじゃねーか!」
通貨の偽造は、言うまでもなく犯罪である。
おまけに、どこからどうみても五百円玉だ。ここまで完成度が高いとなれば、大がかりな犯罪シンジケートが関わっている可能性だって否定できない。
そんな犯罪の証拠を持っていると、こちらの身が危ういに決まっている。
どこで手に入れたのかと警察に脅されるなど、勘弁願いたい。こちらはただの、善良なるサラリーマンなのである。
「つーことで、こんなもんより、五百円持ってこいよオラ」
「ま、待て。普通こういった場合は、美しいものを手にして喜ぶものであろう」
「換金できなきゃ、絵に描いた餅だろ。だいたい、一般人がそうそう簡単に金の塊とか持ってるわけねーっつの。逆に怪しいわっ」
「そ、そうか?」
「このままだとおまえは、俺の五百円を着服した男だぞ。水の中に沈んでんだろ? さっさと拾ってこいや」
「だが、あのコインは川底の小石と似た色をしており、すぐにどこにあるのかまでは――」
「見つからないから、金と銀でごまかそうとしたわけだな」
「ごまかすというわけでは」
「なら、ちゃんと返せや」
男が朗らかに笑むと、川中の人物は顔を引きつらせ、底を浚いはじめた。
緩やかな流れの川で、ばちゃばちゃと手を動かす様子を、河原の石に腰かけて、男は見守る。
とはいえ、あまり時間がかかっても困ってしまう。昼休みの時間帯は決まっているし、そもそも食べる時間がなくなってしまう。
「俺、あんま時間ないんだわ。もういいから、おまえの五百円くれよ」
「そのようなものは所持しておらぬ」
「はあ? じゃ、電子マネーでいいや。俺の昼飯をおまえが奢るってことで」
「……あの、金と銀じゃ駄目なんですか?」
とうとう敬語になった人物に、男は尊大に告げる。
「ついでに言っておくが、金と銀は同等じゃない。金なら一枚だが、銀なら五枚必要だ」
「どういった価値基準なのだ」
「この国ではそう決まってるんだよ。エンゼルに逆らうな」
「天使……」
「そういや、あんた結局誰なの? 河童かなんか?」
「かっぱ、とは?」
「川に住んでるらしい。水神様というか、川の神様?」
「たしかに私は神である」
「じゃ、河童だな。とりあえず、今日は時間ないから行くけど、明日までに用意しとけよ」
「……探しておく」
「じゃ、またな河太郎」
「かわたろ?」
「河童の名前は、河太郎だろ」
会社へと道を引き返しながら、男は今日の昼飯を決めた。
カッパ巻きにしよう。
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