焼き鳥 風風

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 「今日は突然のゲリラ豪雨に注意。。」  客も来ないから、丸椅子に座って、新聞を広げて、なんとなく読んでいたら、呟いてしまった。季節外れのゲリラ雷雨に驚いたのだ。ゲリラ雷雨といえば、前までは夏に多かったのに、最近では春や秋にも訪れたりする。  まったく異常気象の多いことよ。太郎の散歩、今日は辞めようかな。  伝心したのか、店の玄関外にいるであろう、秋田犬の太郎が吠えた。そして、すぐにガラガラと扉が開いた。客の足元に、ちらっと太郎が見えた。  ごめん、太郎。  思いながら、客を招き入れる。  「へい!らっしゃい」  新聞を畳んで、立ち上がった。仕事だ。  入ってきた客は、ふたり。五十を過ぎたおじさんと女子高生。おじさんはハゲにスーツとメガネが合わさっている、典型的な中年サラリーマン姿だった。一方、女子高生のほうは、金髪のショートヘアーを目立たせ、ピアスを左耳にふたつ飾って、パンツが見えてしまうのではないかというくらいのミニスカートをはいていた。見るかぎり、お互いに気の許した関係性のようだが、親子ではなさそう。極度に立地の悪い、この店に来るということは、中々の変態な二人組だという可能性を念頭におかなくてはならない。そして、どうでもいいが、おじさんの背丈は、隣の女子高生よりも小さかった。  おじさん、俺も背が高くないほうだから、分かるよ、この屈辱。。  「ええ~キモい、なあに、この居酒屋。」  ふたりが店内へ入り、カウンター席に座るないなや、くたびれた女子高生の生温い文句が飛んだ。  女子高生の、化粧を充分に施した、キリッとした目に慣れないが、取り敢えず、ここは居酒屋ではない。お祖父ちゃんから受け継いだ、焼き鳥屋の老舗「焼き鳥 風風」だ。確かに酒は置いてあるが、メインは焼き鳥だということを忘れてはならない。  ふたりの注文  鶏皮/4本  鶏モモ/2本  ポテトサラダ/1皿  生ビール/1杯  烏龍茶/1杯  鶏モモの細かな肉汁が炭で焚かれた炎にジュッと落ちて、熱々のパリッとした鶏皮の、濃い油の薫りが店内を漂う。油が店内を走るなかでも生ビールと烏龍茶だけはキンキンに冷えているのだ。  そうして、「はい、お待ち!」と注文の品をふたりの前に並べると、食事がはじまった。   「ねぇ、聞いてよ、こないだね、痴漢にあったんだよ。マジ最悪。」  鶏皮をかじりながら、女子高生は言った。 「本当に?」  生ビールを飲みながら、おじさんが目を見開く。 「ほんとほんと!マジでキモかったわ。尻をさらっと触れてくんの。最初は、気のせいかと思ったけどね、何回もやってきてキモいから、ぜったい痴漢だと思って。」  女子高生は、すぐに鶏皮を平らげて、もうひとつ鶏皮に手をのばした。 「それで、犯人は?」  おじさんは生ビールを飲み干して、俺に人差し指を見せた。  追加注文  生ビール/1杯 「いや、ほっといたよ。こんなんで目立つのも嫌いやし。第一、気持ち悪くて怖いし。」  女子高生は鶏皮を平らげて、烏龍茶を一口飲んだあと、もうひとつの鶏皮に手をのばした。 おじさんは、「わかるー!」と女さながらのテンションで叫んだ。  まあ、確かに女子にとって痴漢は最低最悪の事案だろう。もっと女子高生に優しい社会が訪れないものか。  おじさんはピッチが速くて、女子高生は関西の血が入っている、という情報を頭に入れながら、俺は炭火の火力を調節した。 「そういえば、最近、わたしも気持ち悪くて怖い思いをしたなぁ。」  おじさんは生ビールを飲みながら、ポテトサラダをつまむ。 「えっ、マジ最悪やん。なにそれ?」  女子高生は烏龍茶をゴクゴク飲んだ。 「いや、駅でね、トイレ行きたくなってさ。個室に入ったわけよ。そして、もちろん、便座に座るじゃない。そしたら、便座が熱いの!」  おじさんはポテトサラダを口に入れて、話を続けた。 「それで、なんでかなーって思って、横を見たら、ボタンがあるんだよ。押したら熱いの直りそうだと思って押したんだよ。そしたら、下からお尻目掛けて、ビューって!水が!水がでたんだよ!!トイレの水だよ。気持ち悪いし、怖くない?」 おじさんはポテトサラダを頬張った。  ああ、ウォシュレットの話か。痴漢の話に被せてくるから、はじめは何の話だろうと思ったけど、ウォシュレットか。痴漢からのウォシュレットって、話の規模が違いすぎるだろ。  女子高生の金色の髪の毛が揺れて、ピアスが光った。そして、あたしもポテトサラダ食べたい、と呟き、言った。 「兄やん、ポテサラひとつ!」  追加注文  ポテトサラダ/1皿  俺はポテトサラダの調理を始めた。俺の店「風風」のポテトサラダは、新鮮な卵と少量の胡麻油に加え、酢が効いていて、さっぱり仕上がっている。こってり油の乗った焼き鳥と合わせて食らえば、抜群の美味を楽しめる。  怖いって言えばさ、と言ってから、女子高生がウォシュレットの会話に被せた。  「怖いって言えばさ、さっきのヤクザ見た?」  女子高生が鶏皮をゆっくりと味わう。もう、唇が油でテカっていた。  「あ、見た見た!あれは、ぜったい言っちゃダメなやつだなって思ったから、あの場では何も言わなかったけれど。」  おじさんは、生ビールを飲みながら、冷めつつある鶏モモに手を伸ばした。  基本的に焼き鳥は温かいうちに食べるのが一番美味しい。しかし、鶏モモに関して言えば意見が別れる。冷めて固くなってからのほうが、歯ごたえがあって良い、という人が少数ながらいるのだ。  「ねっ!ヤバない?ひとりが脅されててさ、高そうなスーツきた二人がグラサンかけてさ、それでさ、銃もうてたやん?」  女子高生が最後の鶏皮を平らげた。  「銃もうてたんやで?銃!」  女子高生は嬉しそうに話してた。  こういう非現実的な出来事が好きなんだな。  俺はポテトサラダをカウンターに置いた。ホクホクに崩れたポテトとマヨネーズ、半熟のゆで卵が絡み合いながら、ポテトサラダは、お酢の香りを湯気にのせて、充満した熱い炭のにおいを、熱いまま、すっきりとさせた。  女子高生は待ってましたとばかり、ポテトサラダを頬張った。    その光景を見ながら、おじさんは、「わかるー!」と叫んでから、銃といえばさ、と話を被せた。  「銃といえばさ、こないだ散歩ついでに公園に寄ったんだよ。コーヒー飲みながら、ベンチに座ってたらさ、後ろから冷たい何かが当たってさ、びっくりして後ろを振り返ってみたら、小学生くらいの男の子が水鉄砲構えてるの。しかも、空気を圧縮して射つタイプのでっかいやつ。いま、春だぜ?ヤバくないか!!春だぜ!」  おじさんは、生ビールを豪快に飲み干して、ドンッと机に置いたあと、人差し指を俺に向けてきた。  追加注文  生ビール/1杯  あのさ、おじさんよ、気付いておくれ。同じヤバい話でも、「ヤクザの銃」と「小学生の水鉄砲」は並べられないぜ?  「ウォシュレット」といい、さっきから、おじさん、話の規模が小さいんだよ。  大洪水の話をしたあと、ヤカンから水が溢れた話を被せるのか?  失くした指輪を見つけた話をしたあと、昔に失くしたフィリピンパブのポイントカードを見つけた話を被せるのか?  話の規模が小さいから、被さらないんだよ。てか、フィリピンパブのポイントカードって何だよ。  女子高生のほうを見ると、左耳のピアスを弄りながら、明らかに不満そうな顔をして、ポテトサラダを食べていた。  どうか、そんな顔でポテトサラダを食べないでおくれよ。  「あーあ。」  大きなため息を付いて、女子高生が上を見上げた。  「将来、モデルか女優になって、金持ちと結婚できないかなー!」  なんだろうか、女子高生には、ただならぬやけくそな感じが滲み出ていた。金色のショートヘアーが、後ろの朱色の壁も手伝って、神々しく感じた。この神々しさで、店内の空間はスローモーションに変化した。  直後に、おじさんの「わかるー!」という叫び声が飛んだ。店内に音響効果などは存在しないが、空間がスローモーションになっているから、エコーがかかっているように錯覚した。  「わたしもね!将来、けのびが出来るようになりたくてね!」  おじさんの会話がはじまる。  上を見上げていた女子高生が、顔を上にしたまま、目玉だけをおじさんに向けて睨んだ。  ダンッ、と女子高生がカウンターを両手で叩く音が響いた。そのまま立ち上がる女子高生の、髪の毛が揺れた。  脚を曲げる女子高生。これは蹴りを入れる構えだ。もちろん標準は、隣に座るおじさんに決まっていた。  女子高生のほうを振り向くおじさんの目は見開いていた。たぶん、角度から考えるに、パンツは見えていたであろう。しかし、すぐに蹴りが脇腹を直撃し、椅子ごと床に倒れ込んだ。  衝撃で生ビールが少し床に溢れた。  最後に、女子高生の左耳のピアスが光り、スローモーションは解けた。  「『わかるー!』って何やねん!全然分かってへんよ!『ウォシュレット』って何やねん!『水鉄砲』って何やねん!『けのび』って何やねん!」  床に倒れているおじさんを見下ろしながら、女子高生は怒鳴った。そして、烏龍茶を一口飲み、呼吸を整えたあと、言った。  「てか、『ウォシュレット』、『水鉄砲』、『けのび』って、全部、水関連やないかい!どんなけ水が怖いねん!こちとら水商売しとのんのやー!!」  お嬢ちゃんが水商売してるかどうかは、今は関係ないのでは?  と、俺は思った。  「あたしは、痴漢の話をしてたんや!ヤクザの話をしてたんや!将来の話をしてたんや!それに比べて、お前の話は小さいねん!背も小さければ、話の規模も小さいか?あ?」  カウンターをダンダン叩いている女子高生を見ながら、俺はカウンターの耐久性を心配していた。  「背のことは、言うなー!」  おじさんは叫びながら、すくっと立ち上がった。  「だっせぇな。」 女子高生が吐き捨てた。  「大体な、小せぇ小せぇ、って言うけどな。何が小さくて、何が大きいかなんて、人それぞれだろ?」  おじさんは名言じみた台詞を言った。  おじさんよ。それじゃ刺さらないよ!完全に何を言ってる分からない人になってるよ!ほら、お嬢ちゃんの目を見てごらん?怒ってるよ。完全に怒ってるよ。  と、俺は思った。  しかし、俺の考えとは違って、その名言じみた台詞を聞いたとたん、女子高生はみるみる顔をほころばせ、はっと何かに気付いた表情した。そして、俺にとっては驚愕の一言を発した。  「カエルの...ピョコノン....?」  確かに女子高生は、そう言った。俺は頭で何度もリピートしてみせた。  カエルのピョコノン?  カエルのピョコノン?  カエルの...ピョコノン....?  いや、わかんない!全然わかんない!なんでカエルのピョコノンで怒りが収まるんだよ!!  カエルのピョコノンって何なんだよ!  おじさんと女子高生は、お互いに笑いだし、お互いに謝ったあと、立ったまま生ビールと烏龍茶をグイッと飲み干してから、同時にカウンターに置いた。    「兄さん、お会計!」  おじさんがお札と小銭をカウンターに置く。丁度あるから、と言って。  えっ?解決なの?帰るの?分からない!全然オチが分からない!  「カエルだけに、帰るぜ!」 おじさんが俺にウインクした。続けて、女子高生も俺にウインクした。  面白くない。面白くないよ。  ガラガラと扉が閉まって、おじさんと女子高生の姿は見えなくなった。扉が閉まる最後の最後のまでおじさんと女子高生は笑顔だった。  まあ、客の会話にいちいち水を差すような、小せぇ男になりたくねえからな。  しばしの無の空間が流れたあと、俺は思った。そして、カウンターの上の、食べ残され、固くなった一本の鶏モモを眺めた。  おじさんと女子高生の喧嘩の風景が甦る。 「大体な、小せぇ小せぇ、って言うけどな。何が小さくて、何が大きいかなんて、人それぞれだろ?」  おじさんの名言じみた台詞。  気付いたら、俺は店を飛び出していた。右手には一本の鶏モモを握りしめて。  「あのー!お嬢さーん!ピョコノンって何ですかー?」  俺は叫びながら追いかけた。  後ろで玄関外にいる太郎の吠え声が聞こえた。  今日は突然のゲリラ雷雨に注意。。
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