いってらっしゃい

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いってらっしゃい

 河から少し離れた場所にいるミルキに声を掛けた。 「ミルキさん」 「パルサ、もう行くのかい?」  兵に指示を出していたミルキは、パッと花が咲くような笑みを浮かべてパルサの元へ駆けてきた。ミルキが兵の輪から外れると、変わってグレイス隊長が指揮を取り出す。  うまく統率ができているようだ。  パルサが感心した風にグレイス隊長を見ていると、ミルキは苦笑して頬を指で掻いた。 「彼、凄いよねえ。あれでジェル兄さまと同じ年なんだって思うと、僕も五年後にはああ慣れるといいなぁ」  両手を絡ませ祈るように妄想に浸っているミルキを見ると、無理だと思った。 「無理だろ」 「酷いっ! 言葉に出さないでよ!」 「いやだって、ミルキさんにはミルキさんのいいところがあるんだし、わざわざジェルさんの真似をしなくてもいいと思うからさ」 「パルサ……」  ミルキはジンっと目尻が熱くなり、パルサの両手を握った。 「じゃあ、パルサも! パルサのいいとろ、僕たちみんな知っているからさ、いつだって頼っていいんだから、………たまには帰っておいで」  ミルキの瞳に涙が溜まる。決して零れない“それ”は、訓練されてのものだろう。  ――人前で泣くことなかれ。  ――人前で感情揺さぶられることなかれ。  ――人前では常に冷静に公平な判断を下すこと。  王の命令により、軍人になるよう徹底教育されてしまったミルキが泣くことはない。だが、いつでも心が悲鳴を上げて泣いている。  虫をも殺せない優しい第二王子。何故、そんな彼に人死を目的とした軍人なんて役職を与えたのだろう。  パルサにはそれが許せなかった。 「……帰ることはできない。オレはまだ何も知らないから、もっと多くのことを学んでからあんたたちのところに“帰る”よ」  風がサアッと二人の間を通り抜ける。  優しい春の風から、そろそろ夏の常夏色の風が吹き始めるころだ。 「分かった、待ってる」  ミルキの笑みに、パルサはホッと息を吐くと、代わりにとばかりに両手に紙の山が置かれた。 「!?」 「これ、パルサがなかなか帰ってこないからって、ジェル兄さまとルアンから託された手紙。この青い封筒がジェル兄さま、白と赤と黄色の封筒がルアンからの手紙だよ。二人はなかなか王城から外に出られないから、長期遠征の多い僕が二人手紙をパルサに届けるってことにしているんだ」 「……やけにルアンからの手紙、多くないか?」 「ふふふっ、同じ年だから話したいことがいっぱいあるみたいだよ?」  封筒の色から察するに、ジェルからの手紙は約三枚、ルアンからの手紙は約二十枚に近い。  読むのも持っていくのも億劫だ。  渋り顔のパルサに、ミルキは困った顔で頬に手を添える。 「もし、受け取ったのに読まなかったり返信が無かったら、ルアンが怒るのもあるけど、ジェル兄さまが何かやらかしそうなのが怖いんだけど……」  ミルキの言葉に、パルサはゾッと全身に悪寒が走った。  普段、温厚で優しいジェルが怒るとなれば、天変地異並みの大事変が起こっても不思議ではない。 (しかも、国王代理を務めている人間の無茶ぶり何て、考えただけで最悪だ)  パルサは顔面蒼白になりながら、手紙をギュッと抱えた。 「そ、そうだな。そしたら、次の町とかで便箋買って返事をするから、一か月以内には返事するって言っておいてくれないか? こっちも旅をしているし、王城からは遠いからさ、返事に時間がかかるんだ」 「うん、一か月以内に返信してくれるなら大丈夫だよ。ジェル兄さまも大人なんだし少しは理解があると思うよ」 「だよな」  ホッと息を吐き、胸を撫で下ろすと、ふいに腕を引かれてパルサはミルキの腕の中に納まった。 「!」 「パルサ、辛くなったらいつでも帰ってきてね。僕たちはいつでも君のことを待ってるから」 「………」 「返事くらいしてよ、ケチ」 「ごめん」 「もう、そうじゃないのに」  苦笑して離れるミルキに、パルサは何も言葉を返してあげられない。  この道を選んだのはパルサだ。引き返すことはできない。  ミルキは愛おしそうにパルサを見た後、少し離れたところに居るグドに目を向ける。 「彼が、君の護衛?」 「ああ、グドって言うんだ」 「グド? 変わった名前だね」  ミルキはグドの方へ行き、真下から見上げた。  グドはマントで隠していた自分の顔を見られ、ビクッと肩を揺らし、マントの端を掴み顎まで引っ張ってしまう。 「大丈夫、怖がらないで。君と話がしたいんだ」  ミルキの言葉は優しく甘美で、人の心にスルリと入っていく。  グドはおずおずとマントの端を僅かに上げて、ミルキと顔を合わせた。  ミルキの相貌にグドの醜い顔が映り込む。 「君の顔は生まれつき?」  グドは身体を左右に振って否定する。 「……そう、君の身体に変な水音が聞こえるから、もしかしたらと思っていたけど」  ミルキがグドの腕に触れると、グドは拒否反応で腕を振るってミルキを押しのけた。  軽く押しただけなのに、とてつもない衝撃と共にミルキの軽い身体が宙を舞う。 「王子!?」  遠くで待機していた何人かの兵が一斉に剣に手を掛け、グドを警戒する体制を取るも、グレイスに止められた。  ミルキは宙で身体を捻り、服の袖を僅かに上げて、金色の腕輪の中心にはめ込まれている水色の宝石に手を触れて水を引き出した。多くの兵から歓声が上がる中、ミルキはこなれた様子で水を自分の腰に絡めて足元にもクッションのような形を作る。  ミルキは両足から落ちたが、水のクッションにより無傷で地面に足を付くことができた。  身体に巻いていた水は宝石の中へ戻す。 「急に触れてごめんね。ただ、君の中の毒素を調べてみたかっただけなんだけど……」  ミルキの憂いな顔に、グドは両手を地面に付けて頭を下げた。 「謝らないで、君が怖がっていることに気付けなかった僕の落ち度だ。不愉快にさせてしまってごめんね」  グドは頭を振って否定した。  ミルキが困った顔を浮かべているのを見て、パルサはグドの前に立ちミルキを見上げる。 「もしかして、ミルキさんならグドを治せるのか? ……グドはとある施設で薬漬けにされて、強大な力と醜悪な顔を手に入れ、声を失ったんだ。もし体内にある薬をすべて取り除くことができればって思ったんだが」 「……難しいね。僕の力は僕自身を守る力しか使ったことがないんだ」 「そう、か」  落胆するパルサに、ミルキは笑みを浮かべて肩に手を付いた。 「けど、パルサの言う通り、人を治す力を学んでいこうと思う。時間はかかると思うけど、体内にしみ込んだ毒素を取り除き、清浄な水で満たしてあげる。考えてみれば素晴らしい力の使い方だよ。こんな方法、僕だけじゃあ、きっと見出せなかった。……ありがとう、パルサ」 「別にっ! 優しいのは、あんたたちの方だよ」  虫の声ほど小さな声で呟いたため、ミルキの耳には入らなかった。首を傾げるミルキの姿に羞恥を覚え、「なんでもない!」とパルサは腕で顔を隠してミルキに背を向けた。 「そういえば、ミルキはこれからどこまで行くんだ?」 「リェント王国との国境まで。ちょっとした会談をするんだ」  リェント王国と言えばルナイト王国のライバル国家で、人口、国益と全てが横ばいで優劣が付きにくい国同士だ。 昔は紛争を起こしてばかりいたが、最近は向こうの新国王とこちら側の国王代理が手を取り合った政治活動を行っているため、そこまで警戒していない国でもある。 「ふーーん」 「心配?」 「全然、ミルキさんならきっとうまくいくと思う。けど」 「けど?」 「万が一があったら、すぐに教えて欲しい。ジェルさんもルアンも首都にある王城から出ることができないんだ。その反面、根無し草のオレならすぐに駆け付けられるからさ」  ドンッと自身の胸を叩くパルサを見て、ミルキは優しく頬笑みを浮かべた。 「頼りにしてる」  パルサはグドに再びマントを頭から被るように指示をすると、ミルキに向かって、手の平を胸に当てて頭を下げた。  ミルキは手の平を胸に当てたまま微動だにしない。  顔を上げたパルサは何も言うことなく、ミルキに背を向けて歩き出し、グドはパルサを追いかける。  小さくなる背中を眺め、ミルキは憂いた瞳を向けて小さく呟く。 「いってらっしゃい、僕の大切な義弟(おとうと)」  その声が聞こえる者は誰もいなかった。
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