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 九条雅斗は国内でも有数の商社九条グループ総裁の孫に生まれついた。それもアルファとして。  いったいいつ頃なのか、人間はアルファ、ベータ、そしてオメガという三つの属性に別れて生まれるようになった。最も数が多い、所謂〈普通〉がベータ。生まれながらに頭脳もフィジカルもベータよりはるかに優れているアルファ。そして発情期を持ち、男でも女でも孕むことが出来る、オメガ。  国の定める属性チェックは高校進学を見据えて中学二年生で一斉に実施されることになっていたが、製薬会社や医療機関も傘下に持つ九条の家ではもっと早い段階で独自に(要するに勝手に)受ける。そういった家のお約束のようなもので、婚姻は事業に有利な家から相手を選ぶから、結果としてアルファであることがほとんどだった。九条の属性も当然のようにアルファだ。  資産家の家にアルファの男児として、しかも見目も良く生まれついた九条の人生は、いわばロイヤルストレートフラッシュ。向かうところ敵なしだった。  なにもしなくとも生まれつき優れているのがアルファの特徴だが、それに財力が加われば、不自由などあるわけもない。幼稚舎からエスカレーター式の名門校に通い、当然スクールカーストは最上位グループ、大学は海外に留学した。  そのときに覚えたのが「オメガ買い」の悪い遊びだ。  オメガはおおむね十代半ばから二十代半ばにかけて発情期を迎える。月に一度、ヒートと呼ばれるそれを発症すると、フェロモンを発し、交尾する相手を誘う。問題はそれがオメガ本人では制御できないという点だった。  フェロモンが薫ると、アルファもベータも正気を失う。特にアルファは影響されてラットというアルファの発情状態に入ってしまう。そうなるとところ構わず獣のようなセックスに興じて、オメガを傷つけてしまうこともあった。  そんな習性のしわ寄せは、社会的に影響力を持つアルファでなく、本来なら被害者であるオメガのほうに向かった。  オメガが発情するから悪い。  オメガが淫らだから。  オメガがアルファを誘惑するから。  オメガが穢らわしいから。  ――そんな偏見が先行し、大昔には、隔離されたり色里に売られたり、あまりいい扱いを受けないまま死んだオメガも少なくなかったようだ。  近代になって、会社勤めをするにしても、危険を避けるため発情中は出歩かないようにするなどの注意が必要で、そうなると正規雇用は難しい。  そういった状況を改善するため、日本では検査の結果オメガと判定された十四歳の頃から公費による抑制剤の支給が始まった。それによりある程度発情期をコントロール出来るようになった結果、外に出られるようになったオメガの就業率は格段に上がったと言われている。  長年の取り組みの末、父や母の世代にはまだ多かった属性による差別も、先進国ではずいぶんと少なくなった。  とりわけ日本では、元来の「面倒なことには蓋」の精神が働いて、表向は確実に少なくなっているといっていい。  企業トップが少しでも差別的発言をしようものなら、瞬く間に株価に跳ね返る。大規模商業施設や公共機関には、オメガの突然の発情に備えて鎮静剤の設置が義務化され、日常生活において不躾に属性を訊ねるのは大変なマナー違反とされた。  だが未だ海外では、ヒートの抑制剤が保険適用外な国もある。結果として夜の商売に身を落とすしかないオメガの男女が多数いた。九条にとって好ましいことに。  アルファとオメガのセックスの相性は、他の属性同士よりいいといわれている。  もちろん黙っていてももてる九条だから、アルファやベータを抱いたこともある。だが、やはりオメガは別格だった。九条の場合、躯が、というより主にメンタルの面で。  アルファが優れているのは明白なのに、現代社会ではそれを表立って主張することはできない。面倒くさい「忖度」とやらが多々存在するからだ。  利益のためでなく、弱者のためにそれを行使することは、九条にとって面倒極まりないことだった。そこへ「九条グループの一員」という肩書きが伴うともなれば、国内でオメガを好きに扱うのは難しい。  その点、海外なら監視の目も緩い。ストレスから解放されてやりまくったオメガとのセックスは最高だった。  自分より格下の生き物を、好きに蹂躙する。  人間だって動物なのだから、本来それは自然なことなのだ、とすら思った。  特別に鍛えない限り、オメガは成人しても華奢な体つきの者が多い。鍛えてもアルファに比べたら限界がある。多くのオメガを抱いた結果、いつしか九条には、抑制剤を服用し属性を隠して社会に紛れるオメガも見分けられるようになっていた。  すると今度は、それを狩るのが楽しくなった。  大学を卒業して数年は海外の自社グループ企業で働いたが、祖父の死を機に日本に呼び戻された。日本は相変わらず忖度の国で、みな属性を隠して生きている。だが、だからこそそういった輩をあぶり出して抱くのはたまらなくスリリングなゲームとなった。  甘い容姿に丁寧な物腰。あとはエリートと見せかけて意外とドジな面もありますアピールでもしてやれば、相手の懐に入るのは九条にとって簡単なこと。  そして表立って言えないからこその「属性で差別しない、オメガに理解のあるアルファの男」アピールは、それはもう、自分でもびっくりするくらいよく効いた。 「実は……」と潤んだ瞳で語られる苦労話をうんうんと聞いてやりさえすれば、その日の夜にはもうベッドの上なんてこともざらだ。  ――なんて尻軽。さすがオメガだな。  そうして一度関係を持ったら、もう興味は薄れてしまう。  もちろん関係の継続を匂わすような発言は一切しないし、写真なども残さない。相手は隠していた「オメガである」ということをこちらに知られてしまった引け目があり、強くは言い出せない。万が一ごねられようものなら、祖父の死で自分に回ってきたいくらかの(普通のおうちのそれとは比べものにならない〈いくらかの〉の)資産を活用して握りつぶすことも出来る。  オメガとセックスするとき九条が特に好んだのは、首の後ろを甘噛みする行為だ。  アルファが発情したオメガのうなじを噛むと、ふたりは〈つがい〉となる。つがいを得たオメガは相手のアルファ以外に発情しなくなり、生活リズムが安定することから、つがいを見つけることはオメガの中では推奨されているらしかった。つがいとなった相手以外と躯の関係を持とうとすると、拒否反応が起きるとも言われている。  一方でアルファは、その限りではない。  一度誰かとつがいになろうと他のオメガに発情できるし、セックスも出来る。優勢であるアルファの遺伝子を多く残すための、自然界の法則だ。  つがいのアルファに見捨てられたオメガは、一生他の誰かに抱かれることもない躯を持て余し、ひとりで生きていくことになる。  だからこそ、うなじを噛む素振りを見せたときの反応を見るのが楽しくてたまらなかった。  噛むと思わせて甘噛みやキスだけで終わらせたとき、オメガがその瞳に浮かべる複雑な戸惑いの色。  期待のようで、恐れのようで、哀しみのような――ついさっきまで淫らで甘い言葉に唇を濡らして肉欲に溺れていたというのに、その一瞬で本音が見える。強いアルファに「屈する」ていを装いながら、誰でも「一番大事なのは自分」だ。  それを確認する度、残酷で歪んだ満足感で九条の心臓は震える。  ほらな。どんなに愛を口にしたって、人間なんてそんなものだ。  世の中にはロマンチストというやつがいて〈運命のつがい〉なんてものの存在がまことしやかに囁かれている。アルファとオメガには、出会うべきたったひとりの相手がいて、それは出会った瞬間わかるというものだ。  そんなものがいてたまるか。  どんなオメガも自分が誘えば簡単になびいて、そのくせ本当は保身のことばかり考えている。だいたい、種の保存という点では不特定多数と交わったほうが効率がいいに決まってる。ひとりとずっと続く関係なんてあり得ない。  運命の出会いなんて、ない。絶対にだ。  ところで、九条のオメガ狩りはしばらくしてバレた。  帰国してすぐ九条のグループ会社には戻らず勤めていた会社で下手を打ち、少しばかりことが大きくなってしまったのだ。  アルファしか入れないと言われている一流企業に潜り込んでいるオメガを見つけた。いつものように喰ってやろうとしたら生意気に恋人がいて、そいつに殴られたのだ。殴られたがこちらがオメガに薬を盛っていたこともあり、事態は警察沙汰一歩手前になってしまった。 薬といってもセックスドラッグのたぐいで明確に禁じる法はなかったから無罪放免にはなったが、問題なのは一族の面子に傷をつけたことだ。  そもそも一族の会社にすぐ戻らなかったのは、監視の目をくぐり抜けて気ままにオメガ狩りを楽しみたかったからなのだが、その小細工が裏目に出た。よそで問題を起こした九条に、一族は対外的にわかりやすい懲罰を与える必要に迫られた。  そして禊ぎ代わりにおまえ〈ちょっと〉行ってこい、と飛ばされたのが日本から四十時間、熱帯雨林の地下資源開発の前線だったというわけだ。  出発前に山盛り打たれた予防接種の数はもう覚えてもいない。海外は仕事でもプライベートでも何度も行き来しているが、そこまでするのは初めてだった。それだけ未開の土地ということだろう。  〈ちょっと〉の規模がワールドワイドすぎんだよ。  世界各国に拠点を持つ大グループの関係者であることが、完全に裏目に出た形。  そこで九条に任されたのは、現地の先住民監視施設要員だった。 「それ……うちのグループの仕事?」  てっきり天然ガス採掘現場の仕事かと思っていた九条は、現地を任されている叔父にそう訊ねた。  いやもちろん、現場できつい肉体労働などしたいわけもないが、文明にまみれて生きてきた九条の中で〈先住民〉などという言葉と〈仕事〉がどうしても結びつかない。 「仕事仕事。官民共同事業ってやつだな」  そう言って叔父が話し始めたところによれば、この地域の先住部族は確認されているだけで大小取り混ぜて数百に上るという。その中には攻撃的な部族もおり、資源開発においてなにかと政府と衝突してきたらしい。何十年か前には、元々軍事政権なだけに武力で以て制圧したこともあるという。  しかし国際社会の一員となった今、そのようなやり方が許されるわけもない。と同時に、世界を股にかけるエネルギー開発企業を誘致して外貨を獲得したいという思惑もやはりある。そこで立ち上げたのが半民半官の先住民支援団体だ。  この国で操業している企業数社が予算を出し合い、先住民や自然保護、教育を行う機関とのことだった。 「……要するに大規模開発が本格的に始まったとき先超されないように、みんな少しずつ政府に恩を売って取り入っておきたいって腹なんだな」  比較的歳が若く、一族の中でも話の通じるタイプの叔父は意味ありげに肩を竦めた程度でそれ以上は是とも否とも言わなかった。一族の中のこういうやりとりには九条もすっかり慣れている。 「希望する先住民の子供に教育を受けさせて、政府や企業との交渉で不当な損をしないようにする活動はもう何十年も行われて、それなりの成果を出したりもしてるんだよ」 「ふうん」  自分たちの罪悪感を軽くするおまじない程度の「成果」な、とは思ったが、口にはしないでおいた。別に今議論したいのはそこじゃない。 「で、俺はそこでなにをすればいいわけ。英語はともかく、ポルトガル語は俺も教えるほどは」  教えるほどではないが日常会話程度なら不自由しない。という申し出は九条家の人間なら当たり前のことなので、叔父も特に触れない。 「いや若い体力があればいい。基本的には人にも会わないし」  しばらく異国でほとぼりをさましてから日本に帰る。禊ぎにうってつけというわけだ。 「先住民の中には、政府の記録にも記されていない部族がまだいるらしい。それをこの辺りでは〈イゾラド〉って呼ぶんだけど。最近、記録されていない部族がまた現れているらしくて。たまに運搬車両が襲われたりしてるんだ」 「…………〈体力だけあればいい〉?」  思わず半目になって訊ね返すと、叔父は再度肩を竦めるだけでそれをかわした。 「意思の疎通が出来てないからそういう哀しい事故が起きるんだ。そこで川の上流に観測の拠点を作って、彼らが現れたら市街地の本部に連絡するっていう――」 「いや、それ、そのイゾラドとかいう先住民が現れるかもしれない最前線で暮らせって話?」 「拠点の小屋には鍵もかかるし衛星電話も通じるから」 「小屋? 小屋って言った? 今」  それに「衛星電話が通じる」というのは衛星電話「しか」通じないということだろう。 「現地人のセルバティコがつくから大丈夫だよ。セルバティコっていうのは元は先住民で、森のことをよく知ってるから企業人や研究者を案内してる人たちね。案内は貴重な現金収入だから、みんなよく働いてくれるよ。ポルトガル語も通じるから。カタコトなら英語も」 「――冗談じゃねえ、帰る」  話だけでも堪えがたくなって踵を返す。その背に当たる叔父の声は、さっきまでの「物わかりのよい親戚のおじさん」のものから少しだけ厳しい色に染まっていた。 「帰れないよ。おまえはそれだけのことをしたんだ。わかってるだろう」 「……下手を打ったのは反省してる。でもあいつらを狩ってたこと自体は」  みなまで言うな、といった様子で叔父は九条の眼前に手をかざした。思わずちっと舌打ちすると、叔父の顔は切なげに曇る。どこか遠い記憶を探るような眼差しだ。 「おまえがオメガにこだわってしまうのはわかる」 「こだわってなんかない。――嫌ってるだけだ」  吐き捨てるように告げると、叔父は九条の剣幕をなだめるように再び手をかざし、それから顎の前で組むと、物憂げに目蓋を伏せた。哀れまれている、と九条は感じた。 「……とにかく、二週間ですぐ交代要員が行くから。頭を冷やすいい機会だと思って行っておいで」  それはその環境で暮らすのがは二週間が限界という意味だろう。そう訊ねたところでまた肩を竦められるだけだとわかっているから、九条はどっかりとソファに身を沈めて天を仰いだ。  ――最悪だ。
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