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 ひちゃ、ひちゃと水音がする。  どこかで水滴が落ちているのだろうか。いや、そういうたぐいのものとも違う響きだ。もっと近く、そしてもっと――気持ちがいい。  そう、それはまごうことなき性的な接触の音だ。  誰かに口に含まれている。敏感なところを。  自分より立場の弱いオメガにそうさせるのは九条の好むところだったし、今までにも何回もさせてきた。  ――けど、なんだこれ  感じる舌先は小さい。小さいのにぷっくり肉厚で、それでいて繊細に九条の感じるところを責めてくる。隆起した血管をくすぐるように撫でられるのがはっきりわかった。すっかり形作られてしまった笠に吸い付いて前後させる。したたり落ちる唾液の感触だけでも感じて、九条は低く呻いた。敏感になった先端が新しい快感に包まれるのは、上顎のざらりとしたところで擦られているからだろう。  もうちょい奥――  淫らな願望が生まれた瞬間、本当に喉の奥まで咥えこまれた。まるで心を読まれたかのように。  そこは上顎よりも温かく湿潤で、やわらかな刺激に満ちている。すべて包み込むような。  このまま達したい。放出して、相手の歪む顔が見たい。  そう思ったが体は動かず、相手の姿形も見えない。客観的に見たら前後不覚に陥っているところを好き勝手に扱われているわけで、憤ってもいいはずなのに、不思議とそんな気持ちは湧いてこなかった。  数なら相当遊んできた。なのにそのどれより気持ちいい。  ずるり、と温かな口内が去って行ったときには、思わず腰が浮いてしまった。  もう少しでいけそうだったのに――  恥も外聞もなく恨めしく感じる。すると限界まで張り詰めた昂ぶりになにかが触れた。指と思しき感覚が添えられて、ふたつの熱をひとつにされる。  自分を口に含んでいた相手のそれは、すでに屹立していた。  口で奉仕しながら、自ら昂ぶっていたのだろう。今度はそれを擦り合わせようとうわけだ。  ――望むところだ。  おそらくは自分の足の上にのっかっているのだろうに、まったく重さを感じない。ただ感じる雄蕊同士だけがはっきりと熱を伝えてくる。濡れているのは唾液か相手の先走りなのか。密やかな裏筋同士が触れ合うと、呻いてしまうほど気持ちいい。  ああ、今度こそいく。  水底から水面へと急激に引き上げられるような感覚に腹を掴まれながら、ふと、欲が生まれた。こんなに気持ちいい相手の顔を見たい。  前身を覆う倦怠感に必死で抗って、重い目蓋を押し上げる。 「……は?」  発した声は、酷く間抜けなものになった。達する寸前まで高められていた熱が、引き潮のようにみるみる遠ざかっていく。  九条が見たもの、それは鏃だった。  これ以上動いたら、間違いなく撃ち抜く――明確な意思を持って眉間に突きつけられている。  どういう状況だ、これ。  鋭い鏃を突きつけられたまま目だけを動かし、辺りを観察する。ここは観測小屋だ。  結局伯父の見送りで少なからず危険な先住民がいるらしい前線に送り出された。  小屋は小屋ではあったが一応リビングらしきものと寝室とに別れていて、こぢんまりとした2LDK食料室つき、といったところだ。こうなったらバカンスのつもりで楽しむかと気持ちを切り替えた到着の夜、事件は起きた。  暗闇に紛れて奇妙な鳴き声が聞こえる。 そりゃこれだけのジャングルだ。夜行性の動物もいるだろうと思っていると、震え出したのは森に詳しいはずのセルバティコのほうだった。 「妖怪の声がする」 「森が怒っている。俺はこの仕事は降りる」 などと言い出して、小屋を飛び出してしまったのだ。  到着直後、夜になったらけして小屋を離れるなと言っていたのは自分のほうなのに。なにより、こんなところでひとり置き去りにされたらどうしたらいいのかわからない。ともかくもとあとを追ったとき、嵐に巻き込まれた。 どうにかそこまでは思い出す。一度離れたはずの小屋に運ばれてきたようだ。誰に――  辺りを見回せば、昨夜沼地で見たあの銀髪の少年が立っていた。  ――夢じゃなかったのか。  あの睡蓮と一緒に水の中から現れたような光景を、現実と思えというほうが難しい。 思った瞬間、鼻先をひらひらと白い蝶が舞って、少年のむき出しの肩にとまった。少年がかすかに頭を巡らせると、耳元だけ長く伸ばした髪がしゃらりと揺れる。  たぶん、こいつらがイゾラド。  未だ分明と非接触の、先住部族。  緊張は走るが、反面、九条は拍子抜けしてもいた。  正直もっと野蛮ていうか無骨っていうか……そういうのを想像するだろ、ふつう。  だが、肩にとまった蝶の足元にそっと指を沿えて乗り移らせ、高く手をかざして飛び立たせてやっている少年の姿には、野卑な気配など一切ない。それどころか神々しいものさえ漂っている。  おそらくは真珠だろう。少年の華奢な首を幾重にも飾ったそれは、胸の真ん中に垂直に垂れ、筋肉の隆起が薄く浮かび上がったへその下まで伸びている。 腰はごく短い白い布をまとっていて、無駄な肉のない太腿が伸びていた。微かに身動きする度、腹の真珠の連なりがそれに合わせて蠢く様は、まるで白い蛇が寄り添っているようにも見える。  一方「瞬き一つでも怪しい動きをしようものなら即刻撃ち抜く」とでも言わんばかりの鋭い眼差しで鏃を向けているのは、銀髪の少年より少し逞しい、黒髪の少年だった。銀髪の少年が「特別」なのは、見た目だけでなく、彼のそんな態度からも伝わってくる。  黒髪の少年は獲物を狙う猛禽のような眼差しで九条を見据えたまま、唇を動かした。 「――、」  九条は語学が得意なほうだ。  アルファに生まれついた元々のポテンシャルの高さも当然ある。だがそれ以上に自分でもラッキーだったと思う程度にはセンスに恵まれていて、どんな言語も人より短い時間で習得できた。ラテン語から派生した言葉はどれも似たり寄ったりだしな、ちょっとした癖のパターンさえ見つけ出せば――というのが九条の考えだったが、今彼が放った言葉はまったく聞いたことのない響きをしていた。  そもそもこの国の公用語としてポルトガル語が使われているのも、単に大昔他国の先陣を切った入植者がポルトガル人だったからに過ぎない。元々は部族単位で、何百という独自の言語が使われていたのだろう。  銀髪の少年がそれに応えてやはり同じ言語でなにか口にする。 いや、応えるというよりは、少し顔を逸らして話をやり過ごしたようにも見えた。まるでわがままを咎められた王子が家臣の小言をそうするように。黒髪の少年は鏃をこちらに向けたまま渋面を作る。  なにを咎められたのかはわからないが、年相応の少年たちらしい仕草を目の当たりにして、九条の緊張はほんの少しだけほぐれた。取り敢えず「ヨソ者、スグ、コロース」というルールのみで生きているわけではなさそうだ。  だから訊ねてみた。 「おい、なに話してんだ。――そいつは何者だ」  つい海外に来たときのくせで英語がするりと口をついて出てしまい、ポルトガル語に切り替えると、黒髪の少年が微かに瞬いたように見えた。だがそれもほんの一瞬だ。なんとなくだが、少年のそんな態度は、日頃からそうやって動揺を相手に悟られまいと訓練しているもののように思える。  言葉そのものは通じなかったようだが、知性と自制の片鱗を嗅ぎ取って不安はまた少し解けていった。それらがあれば、話が通じる余地はある。 「俺は危害を加えようとは思っていない。一応、先住民支援団体の者で――ええと」  具体的になにをしに来たと言えばいいのだろう。思えば九条に課せられたのは「イゾラドが現れたら報告しろ」という仕事とも言えない仕事だった。「禊ぎ」も「名ばかりの閑職」もなんと言ったらいいのかわからないし、そもそも「閑職」なんて概念が彼らにあるのかどうか。  九条が冷や汗をかいている間も、銀髪の少年はじっとこちらを見つめている。攻撃を黒髪のほうに任せて観察を決め込んでいるところからも、彼のほうが立場が上なんだろうと感じる。  少年の瞳は、まるでオパールか蝶貝のように、光の加減で虹彩の見え方が変わる、不思議な色をしていた。 思わず見とれるほど美しいが、そのせいで感情の動きを読み取るのは難しい。 少年はふっと視線を逸らすと、やはり九条にはわからない言葉で黒髪の少年になにか告げた。黒髪の少年は頷き、弓をおろす。  やった――  胸をなで下ろしたのも束の間、今度はあっという間に後ろ手で手首を縛られてしまう。 「な……っ!」  ごろんと床に転がされ、足首も縛られてしまった。  ちょっと待て。これ。  これで背中に棒でも渡されようものなら、まるで仕留めた獲物を丸焼きにする構えだ。 「嘘だろ……」  人肉を食する種族がいるとは聞いていない。  いや、説明された、のか? こんなところに飛ばされる時点でやる気の大半を失っていた自分が聞き漏らしただけなのか。  九条の焦りをよそに黒髪の少年は小屋の外へ出て行った。  もしや俺をバラすための道具を取りに行った? それとも仲間を呼びに行った?   汗と不安が噴出する九条の元に、銀髪の少年が近づいた。横臥していたテーブルの上から降りるまるで重みを感じさせない体の動きは、猫科の動物を思わせる。  なにがしたいのか、動物が初めて見るものを見るような眼差しで九条の顔をじっと見つめ、それから不可解そうに首を傾げる。銀の髪が揺れる。  その不思議な瞳でじっと見下ろされるとなぜか息苦しく、九条は顔を背けた。文明社会で暮らしていると、こんなふうに無遠慮に眺め回されること自体まずない。  値踏みしてんじゃねえ。  それは九条にとってするものであってされるものではないのだ。  不快感の表明のつもりだったのに、なにを思ったか少年はつま先でつん、と九条の肩をつついてくる。まるで本当に猫科の動物が、戯れに鼠でもいたぶるような仕草で。 「おい……ッ!」  へたに刺激したら命が危ういかも、という危機感を忘れて思わず怒鳴る。少年は怯むどころか身動きのとれない九条の顎につま先で触れ、くいっと上向かせた。 「……ッ、」  こいつ、足なんかで。  あり得ない屈辱になにか言い返してやろうと思うのに、つう、と喉仏をなぞられて、声を奪われた。苦しさとくすぐったさがない交ぜになり、唾を飲み込むと、いつの間にか緊張でからからに渇いていたらしい喉が痛んだ。  そのあとも少年はいいように九条の体の線をつま先でたどり、やがてそこに至った。動きやすいようにと選んだチノパンの、ベルトに。そしてそのもっと下にだ。  そして、明らかに〈そういう〉意図でもってやわやわと踏んだ。  目覚めてから怒濤の展開ですっかり忘れていたが、そもそも目を覚ましたのは誰かにしゃぶられていたからだ。  状況から考えて相手はこいつ。  さっき黒髪のほうになにか咎められてたのはそのせいか?  あれこれと考えている間にも、少年はちょん、ちょんとそこを刺激する。こんなところで裸足で暮らしていると器用になるものなのか、親指を開いてはさんでみたりもする。 「いや、ちょっと……」  いったい全体どういうつもりなのか。ほぼ裸体に近い格好で暮らしているようだから、性に奔放なのかもしれないが、それにしたって。  二十代後半、働き盛りの健康な成人男子として、単純に刺激されたら催す。ただしそれは通常の状態だったらのこと。九条の分身はただただこの状況の不可解さに萎縮するばかりで、首をもたげようとはしなかった。  しばらくそこをつついていた少年は、九条が昂ぶらないのを見て取るとふっと口の端を歪めた。 黙っていれば可憐とも言える口元から、冷めた吐息が漏れる。そしてかぶりを振ると、また九条には聞き取ることも難しい言語でなにかぽそりと呟いた。  なにを言ったかわからないが、なにかを諦められたような気がするのはなぜだ。 「待て。これは今特殊な状況だからで、さっきだってちゃんと……!」  ジャングルの真ん中で不能でないことを叫ぶ。  いったいぜんたいなんで俺はこんなことを――悪夢だ。  名状しがたい屈辱に震える九条をよそに、少年は耳をそばだてるうさぎのような素振りで一瞬小屋の外に目をやると、もといたテーブルの上にひらりと舞い戻った。  黒髪の少年が戻ったのはそれからすぐ。  俺には物音一つ聞こえなかったのに。  感覚の鋭さに感心している間に、黒髪の少年が、手のひらに載せてきた木の葉を横たわる九条の眼前に下ろした。 「……ッ!!」  眼前で蠢くものがなんなのか気がつき、心臓がぎゅっと引き絞られる。手足を縛られていなければ、体ごと床から浮いていたかも知れない。  葉の上に乗せられていたもの、それは九条が今まで見たこともない大きさの芋虫だった。  木の中にいたのか、それとも地中か。突然環境の変化を強いられて、芋虫たちは丸い頭をふりふり当惑しているように見えた。  銀髪の少年が背後からまたなにか命じる。黒髪の少年はいかにも森の中を生きるうちに自然と鍛えられたといった体をすっと屈めて、芋虫の一つをつまみ上げると、無造作に口に放り込んだ。  ――ひッ  銀髪の少年ほどではないが、精悍な美少年である彼が生きた虫を咀嚼しているというのが、生まれてこの方文明の、それも上位のほうでしか暮らしたことのない九条には信じがたい光景だった。不快なのに驚きの余り目をそらせない。  少年の咀嚼が止み、ついに喉仏が上下するのを見てしまったとき、やっとまぶたは閉じられるということを思い出したくらいだ。  そうして遅まきながら閉じたまぶたの裏で芋虫が蠢く。「うわっ」と呻いてまた開くと、いつのまにか近くにやってきていた黒髪の少年が、芋虫を指差してから、おもむろに九条を指差した。 「え……?」  呟くと、再度同じ動きをする。 「えーと……」  なんとなく事態を察しはしたが認めたくはない脳味噌が、ひたすら意味のない言葉を紡がせる。事態――要するにこれを喰え、と言うことなのだろう。自分に、彼らと同じように。 「ふざ……っ」  思わず怒鳴りつけそうになって、ふと思い直した。  自分たちの食料を与えるってことは、少なくともすぐ殺す意思はないってことか?  いやむしろ歓迎の儀式ではないか、これは。  だいたい、どんな物語でも相手の食するものを差し出すのは友好の証だ。少なくとも九条が子供の頃山ほど買い与えられた絵本やアニメではそうだった。  ということは、だ。  これを喰ったら危害を与えるつもりはないと思って解放してくれるってパターンか?  一筋の光が見えたような気がしたが、それは反面「喰わなければ殺される」ということでもある。そして敵はウィンナー大の芋虫――  考えれば考えるほど意識が遠のきそうになったが、九条は腹を決めた。  子供の頃読んだ研究者の本には、芋虫は結構うまいとあった気がするし、なによりこんなところで就任一日目に無様に死にたくはない。  それこそ臭いものには蓋の精神で、一族の中には、問題のある九条が未開の土地に飛ばされて視界から消えたことで溜飲を下げている者もいるだろう。ほぼ社会的に死んだことにしている奴も。  ――あいつとか、あいつとか、あいつとか、あいつ。  彼らの思うつぼにさせることを思えば、虫くらいどうということはない。……たぶん。「わかった。喰うから、取り敢えず体を起こしてくれ」  何語が適切かわからず思わず日本語でそう言ってしまったが、状況が状況だけに雰囲気で伝わったらしい。黒髪の少年が手を添えて体を起こしてくれる。腕も足も戒められたままだったから、膝を折ってどうにかしゃがむ姿勢でしかなかったが、とにかくも床に転がった姿から人間らしい体勢に復帰できたことにほっと筋肉までもが安堵して、弛緩するのを感じる 。  腹を据えて、九条は口を開けた。そして目を閉じた。……流石に直視することは出来なかった。  少年たちが近づいて、芋虫をつまみ上げる気配がする。そして再び、九条にはわからない言語でなにか言った。口を開けろということなのだろう。一度は覚悟を決めたものの、いざとなるとやはり嫌悪感が先に立った。  アルファの裕福な家に生まれついた。  生まれたときから体力にも学力にも、容姿にも恵まれた。スクールカーストでは常に上位に位置していた。そうあろうと思ったことは一度もない。九条の持つ「格」に合わせた居場所はあらかじめ用意され、自分はただ黙ってそこに座ればそれで良かった。  当然、いじめになどもあったことがない。  長じて働くようになってからだって、本家の人間はともかく分家や会社の人間は「九条の御曹司」という前提の元に自分と接していた。新入社員時代からして、普通の人間とは周りからの扱いが違ったのだ。突然のこんな仕打ちから受ける屈辱は、通常の何倍にも当たる。  くそ、なんでこんなことになってんだ。  あらためて沸いた憤りの矛先は、オメガに向かう。  オメガなんかがこの世にいるから。オメガなんかのくせに俺にたてつくから。  その胸くそ悪いオメガを愛する奴がいて、奴らを守ったりするから、俺がこんな未開の地に飛ばされる。手足を縛られて、虫なんか喰えと迫られる。  それでも、この難局を乗り越えなければ命が危うい。この自分史上最高の屈辱に。  動じたところを見せたくないと思うのに、自分でも痛みを感じてしまうほどに眉間に皺がぎゅっと寄ってほどけない。  そうして閉じたまなうらには、鋭い鏃がよみがえって諦めが生まれた。  ぎり、と噛みしめた奥歯が鳴る。九条は今度こそ本当に腹をくくって口を開けた。  蠢くぷにぷにした塊が舌に乗せられるのを覚悟したのに、その感触はいつまでも訪れない。変わって、まるで微細な風が心地良く頬を撫でていくような、微かな声がした。  え、と思って目を開ける。テーブルに腰を下ろして自分を見下ろしていた銀髪の少年の丸めた背中が、くつくつと揺れていた。 「え?」  どういう状況なんだ。目覚めてから何度くり返したかわからない問いが再度頭の中をぐるぐる駆け巡る。  発した九条の間抜けな呟きで、堪えていたものがぐっと瓦解したらしい。少年はテーブルの上に突っ伏して笑い転げた。 「は? え、ちょ」  文字通りテーブルの上をごろごろ転げていた少年が仰向けで留まり「はー……」と大きく息を吐く。こんなときなのに、しどけなく頬にかかった髪ごし目が合うと、九条は胸が高鳴るのを感じた。艶のある褐色の肌のせいだろうか。動物のようにしなやかな肢体は、思わず手を伸ばして触れたくなる。と同時に、触れたが最後なにか良くないことが起きそうな危うさを少年は持っていた。 「解いてやれ、アンクァス」 「だが」 「他に仲間もいないようだし、そんなびくびくした様子じゃたいしたことも出来ない。俺たちの森では」  蝶貝のような不思議な輝きを持つ瞳でそう言い切られると、黒髪の少年はそれきり黙った。九条の手足を解くと、縛るのに使っていた植物を撚ったような素材の紐をやはり植物で作られたような腰巻きの上からくるくる腰に巻き付けた。なるほど有事の際にわざわざ取りにいかなくとも、そうしていれば邪魔にもならずに携帯できる。  戒めから解放されてやっとそんなことも観察できるようになり――はた、と気がついた。 「おまえら、言葉……!」  どうやら今すぐ命を奪われるわけではなさそうだという安堵感で、うっかりさらりと流すところだった。  若干たどたどしくはあるものの、少年たちは九条にも聞き取れるポルトガル語を話している。  少年たちは顔を見合わせた。  眼差しでなにか交わし合ったのか、揃って口を開いた。 「ニンゲンノコトバムツカシイデース」 「いまさらカタコト感出すな……!」  なんだろう。めちゃくちゃばかにされている気がする。
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