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「なんなんだおまえら。イゾラドじゃないのか? 目的は?」 「おまえらが勝手につけた呼び名はしらんが、俺たちはアピスだ」  黒髪が応じる。それが彼らの部族の名前らしかった。おそらくは政府が把握していない先住部族。  しかし、だとしても銀髪の少年はなんなんだろう。こんなジャングルの中でまさかウィッグということもないだろうし、明らかに異質だ。  黒髪の少年は、つい銀髪の髪の少年を追ってしまう九条の視線を遮るように立ちはだかり、告げる。 「キャスカは数十年ぶりに生まれた俺たちの神子で、ここへは儀式のために来た。ここは俺たちの聖地で、数年前はこんな建物はなかっった」  九条はここへ連れてこられたときのことを思い出していた。まず目についたのは、小屋の裏手にそびえる大きな木だ。そして辺りは、この一画だけ平坦になっていた。他は木々が複雑に絡み合って、歩くのもやっとだと言うのにだ。大きな木は日射しから適度に小屋を守ってくれそうで、うまい土地を見つけたなと、それだけは少し感心したものだ。  同行したセルバティコが九条が木を見上げているのに気がついて、コパイパ、という名前を教えてくれた。 「樹液を体に塗っておくと虫が寄りつかないから、森中の動物が集まる」  今思えば、そう告げた彼の声音には苦々しいものが含まれていた気がする。企業の人間や研究社を森へ案内することは貴重な現金収入の手段だから、面と向かっては非難できないが「大事な土地に勝手に小屋を建てて」という気持ちがあったのかもしれない。昨日はまだ、文明との落差にただただ驚愕するばかりで、そこまで気が回らなかった。 「何年か前、もっと下流にもおまえらの仲間が来た。俺たちはそこに連れて行かれて少し言葉を習った。……性に合わなくて、すぐに逃げ出したが」  どうやら自分たちの前にも接触を持った者がいるらしい。だが詳しく記録に遺される前に森の奥へ彼らは去ったということか。政府が彼らに言葉を教えるのは「開発に当たって不利にならないように」というのが大義名分ではあるが、そもそも開発することが決まり切った大前提であることに不満を覚える部族もいるだろう。アピスのほうで、これ以上の接触を避けたいと思って敢えて去ったと考えるのが妥当なところか。  アンクァスの言葉に続いて、キャスカが疑問に応える。 「アピスの神子は祭の前の七日間、この場所で一族の者には誰にも会わずに過ごすのがしきたりだ」  なるほど、斎戒沐浴みたいなもんか。  ともかく、ここは本部に連絡しよう。彼らの聖地にずけずけ入ってきたのはこちらなのだし、接触に成功(?)したことは確かだ。こうなったからにはさっさと街へ帰れるかもしれない。  九条は立ち上がると、衛星電話の受話器をとった。いろいろと酷い目にはあったが、思いのほか早く帰れそうじゃないか。そう、アルファの俺がいつまでもこんなところにいていいわけがない。  結論から言うと、九条の淡い期待は儚く散った。  電話が通じなかったのだ。  よほどのことがなければ通じるのが衛星電話の身上なのに、通信音がしない。考えられるのは、本体の故障だった。昨日のあの雨が建物の中に吹き込んだりしただろうか。あるいは磁場などの関係か。 「嘘だろ……」  連絡が取れなければ当初の予定通り二週間ここで過ごさなければならない。  取り敢えず、雨風日射しをしのぐ屋根はある。昨日のように闇雲に森に迷い出なければ最低限の生命維持はなんとかなるか? と考えて、はたと気がついた。 「食料は……?」  街を出るとき上の空だったからセルバティコにすべて任せきりにしてしまったが、なにか船には積んできたはずだ。ちなみに船といっても丸太をくりぬいたカヌアにモーターを積んだ簡素なもので、ここに来るまでは三日かかった。途中の宿はどうするかというと、企業人や研究舎に好意的な集落に寄って粗末な家の片隅を借り、寝袋で寝るのだ。その、最後に寄った集落でバナナを大量に買って積んだのを見た気がする。  考えると腹が減ってきた。  衛星電話はあとでよく見ることにして、とにかく食料を先に確認だ。そう思い、九条は食料を探した。たしかこっちの部屋に運び入れていたはず、と納戸のような小部屋を覗き込む。 「な……んだ、これ……」  そこは見事なまでにもぬけのからだった。  いや、なにかあった形跡はあった。バナナの大房が繋がっていた茎の断片、砂糖の入っていた袋の断片などが床に散らばっている。特にバナナは「こんなふうに実をつけるものなのか」と思って見たから、本来ならそこに小山のように実をつけた太い茎が丸々存在するはずなのだ。どういうことだ、と足を踏み入れたとき、じゃりっとなにかを踏んだ気がして、九条は足元に目線を落とした。  そして飛び退いた。 「うわっ!?」  平時なら考えられない無様な声を発してしまったのは、じゃりじゃりするそれが無数の蟻だったからだ。  ということは、砂糖はこいつらが?   飛び退いた瞬間に棚にぶつけてしまった二の腕をさすっていると、ぶぶ、という音が耳元で不穏に空気を揺らす。 「ぶ……?」  見れば、干し肉というか、かつて干し肉だった小さな塊にとまっていた蜂が羽根を震わせているのだった。  種類はわからないが、日本で見るスズメバチよりまだ大柄で、でっぷりとした腹の筋が生々しい。干し肉は彼らが強靱な顎で食い散らかしたのだろう。見せつけるように蠢く口元に視線を吸い寄せられ、九条は生まれて初めて「蜂と目が合う」経験をした。  瞬間、ぶあっと浮かび上がった蜂がこちらめがけて飛んでくる。 「う、わッ!!」  声を上げ、九条は納戸を飛び出した。そのまま一目散に駆け出しそうになり、はっと我に返って扉を閉める。だめだ。ここはもう開かずの間に決定だ。  刺されまくって全身腫れ上がるような事態は免れたものの、ほっとしている場合ではない。 喰うものがなにもない。  衛星電話も通じない――  どうする、と思いながら少年たちのいる部屋に戻ると、アンクァスが器用に柱に縄を回して、やはり植物の繊維で作ったらしいハンモックを吊っているところだった。 「……は?」  人の家で、いや、正確には俺の家でもないけど、とにかく勝手になにやってんだ? 「おい、なにやってる」  詰め寄る九条をよそに、キャスカはハンモックの中に収まる。優雅に横臥して手のひらに載せた形のいい頭からさらりと銀の髪がこぼれ落ちる。そんな仕草のひとつひとつから気品のようなものが漂っていて、九条は自分が内心圧倒されているのを感じた。  見とれてしまったのを認めたくはなく、乱暴にかぶりをふる九条に、キャスカは横臥したまま告げる。 「今日から七日間、ここで過ごす。アンクァス以外の部族の人間とは接触できないから。そういうしきたりだ」  当たり前のように。「なにを言っているんだ?」と言わんばかりの態度で上から告げられると、こちらのほうが的外れなことを言っているような気がしてくるから不思議だ。 「いや、ここで、って」  それでもどうにか反駁すると、キャスカはあくまで淡々と口にする。 「本来なら木の真下に木の枝を組んでそこで過ごすんだが」 「――わかった、悪かった」  二週間後街に帰ったら、まずここに小屋を設置することを決めた最初の担当者を一発殴ろうと固く心に誓う。 「心配しなくとも俺の分の食料はアンクァスが運ぶ」  食料、という言葉に思わず反応してしまう。おそらく、ジャングルではその日の食料を確保するのは最大の関心事だ。本来なら自分の分は自分で確保すべきものだろう。だがアンクァスもキャスカには尽くすことが当たり前のような顔をしてただ頷いている。 「ずいぶん大事にされてるんだな」  自分は文明側からこんなところに送り込まれ、雨に打たれ、虫を喰えとからかわれ、電話は通じず、今夜の食料もない。そんな厭味も出ようというものだ。 「俺は神子だからな」 「さっきもそんなことを言ってたな。それがそんなに偉いのか?」  シャーマンとか、口寄せとか言うものは、現代日本で生まれ育った九条の中では迷信でしかなかった。未だそんなものを崇め奉っているのは滑稽でしかない。 「神子は男でも子が孕めるし、普通の人間より多産だ。一族の存続のためには多産はなによりの財産だ。儀式が終われば俺は村に帰って子を産む。死ぬまで」 「子を?」  少年のような容姿とその言葉が妙にそぐわない気がして、九条は眉根を寄せる。男でも孕めるということは―― 「――おまえ、オメガか?」 「おまえたちの言葉だとそう言うようだな。アピスでは〈ルス〉と呼ばれる」 「光、という意味だ」  そう付け足すアンクァスの言葉がまた癪に障った。 「俺のいた国ではそんないいもんじゃない。オメガは格下の生き物だ。……オメガを神子と崇めるなんて、反吐が出る」  吐き捨てる言葉は、自然と棘を帯びた。そもそもオメガのせいで自分はこんなところに飛ばされてきたのだ。 「アンクァス」  九条の言葉で一瞬にして殺気を纏うアンクァスを、キャスカはその一声だけで制して銀色の髪をすくい上げる。こんな日射しの強い土地では髪は黒いほうが生き物として合理的なはずなのに、そんな色をしているのも、この土地のオメガの特徴なんだろうか。  キャスカは九条の暴言に腹を立てた様子もなく、ただ告げる。 「おまえの知る世界だけが、この世のすべてか?」  まるで未熟な若者を諭すような口調に、九条はかっと頭に血が上るのを感じた。  なんだこいつは。  こいつらがいったい何歳なのか、そもそも年齢を数える習慣があるのかどうかもしらないが、自分より年上ということはないだろう。せいぜい十六、七といったところだ。一回り近くも下のしかもオメガにそんな態度をとられることは、アルファの中でもエリート一族に育った九条にとっては我慢しがたい。 「おまえはパラだろう。おまえたちの言葉ではアルファか」 「だからなんだ」  言い当てられても、いまさら驚きはなかった。どこからどう見ても自分は賞賛されるべきアルファなのだから。だが続いて紡がれた言葉は、九条にはひどく予想外のものだった。 「おまえは出来が良さそうだから、特別にまぐわってやってもいい」 「な……!」  言葉を失う。自らオメガを狩りにいくことは快感でも、オメガに「してやってもいい」などと言われることは、九条にとって屈辱でしかなかった。比喩でなく本当に腹の底で虫でも暴れているように不快になるのを感じた。  オメガとアルファのセックスは他の属性よりも相性が良く、快感が違うと言われている。実際何人ものオメガを食い散らかしてきた九条もそう思う。  だがそれを差し引いても、今こいつと致そうという気には到底なれなかった。キャスカは意味深に下唇を指先でなぞる。 「味見はもうした」 「あじ、」  起き抜けに殺気を放つアンクァスに狙われて、それから怒濤の芋虫だったせいですっかり忘れていたが、これではっきりした。あの淫らな夢は夢ではなかったし、さっきの戯れにしても、こいつは間違いなく淫乱なオメガだ。  寝ている間にオメガにいいように扱われるなんて。  ――しかもちょっと、いや、かなり。  気持ち良かったなんて。  正直あのとき九条の頭を占めていたのは「つっこみたい」ただそれだけだった。アンクァスがキャスカを引っぺがさなければ、きっと欲望のまま突っ走っていただろう。  危ないところだった。いきなり命を危険に晒されてひやひやしたが、実は尊厳を助けられていた思えば、仏頂面のこのアンクァスという少年に感謝したいくらいだ。  キャスカは形のいい顎を微かに傾ける。 「おまえは感じなかったのか?」  あの瞳で見つめられると、頷いてしまいそうになる。それでいて不快感はまだ続いていた。体の中がふたつに分かれて対立しているような感覚。 「ふざけるな。アルファだからって、オメガなら誰でもいいってわけじゃない」  どうにか肉体の困惑を振り切ってきッとにらみ返してやると、キャスカはひとつ、瞬いたように見えた。  拒まれることを想定していなかったのか、一瞬あの複雑な色をもつ虹彩に揺らぎが走った。  それから再び、すうっと細められ、王侯貴族のような落ちついた面持ちへと還る。  ――なんだ?  その表情になにかひっかかるものを感じはしたが、とにかく今は怒りが勝っている。  ふざけるな。ふざけるな。オメガから「してやってもいい」だと? オメガのくせに。オメガの――  いや、待て。  混乱の中で不意に、持ち前の計算高さが囁いた。  これは考えようによっては大きなチャンスなんじゃないか?  どのみち衛星電話も通じないのなら、次の交代要員がやってくるまで自分はここを動けない。どこへ行ってしまったのか、セルバティコは戻ってこない。ピラニアやワニが蠢き、ときには船底を傷つける岩も濁った水の中に潜んでいる川を、九条ひとりカヌアで下ることは不可能だ。食料の備蓄はゼロ。  そして――キャスカはオメガだ。この森ではアルファよりオメガのほうが尊ばれているようだが、勝手に乗っかられたことからも、アルファに惹かれやすい体質であることには変わりはないだろう。  九条は王侯貴族のように横たわるキャスカの姿をあらためて眺めた。  触れなくてもわかる褐色の肌のきめ細かさ。銀の髪は絹糸のようだった。不思議な虹彩を持つ瞳の上に落ちかかる影を作る睫は、髪同様銀色だ。熱帯雨林の真ん中だというのに、それは美しい樹氷を思わせる。  細い首を幾重にも彩るのはやはり真珠のようだ。  子供の頃からいいものを見慣れている九条は、その粒が綺麗に揃っていることに気がついていた。キャスカの細い首を守るように首回りは大粒で、腹に繋がっている部分は徐々に小粒になっている。沢山集めた中からさらにより分けられているのだ。  彼らが養殖をしているわけはないから、川や沼に生息する貝が自然に抱いたものだろう。だとしたらこれだけものをこれだけの数集めるのはおそろしく骨の折れることだ。きっと数年単位の話。そのことからも、アピスとかいう部族の中で神子の存在がいかに特別かがうかがい知れる。つまりは発言力、影響力がそれだけあるということだ。  首から垂れた真珠が臍まで下がっているのを目で追うとき、どうしても目に入る両の乳首はピンク色をしていた。そうして真珠は臍下までくだり、腰に巻き付けた布の中へと消えている。   これ、中でどうなってんだよ。  見えない分、どうしても何度も目がいってしまう。想像をかき立てられてしまう。  くそえろい、と思わず漏れそうになった言葉を注意深く飲み込んだ。  ともかく、だ。  どうせこんなところに足止めを食らうなら、こいつをたらしこんでやったらいいんじゃないか?  アルファの体でこいつを思い通りにし、うまいこと丸め込んでこの辺り一帯に安全に企業が入り込めるようにしてやれば、九条グループの連中の自分を見る目は変わるだろう。禊ぎは早く終わり、収益があがればあがるほど、オメガに訴えかけられたなんて無様な失態のことはなかったことになるはずだ。  それにどうせついでだろうとかなんとか言って、俺の分の食事も運ばせればいいしな。  我ながら名案だ。こんな未開の土地に飛ばされてさえ、くるくる回る己の頭脳に感謝する。「……いや、そうだな」  黒い奸計を巡らせていたことは悟られないよう、九条は言った。いいぞ、いかにも「思案を巡らせて反省しました」みたいな声が出せている。仮面を被ることは得意中の得意だ。  そして、今までこれで手応えを感じなかったことは一度もない、爽やかな笑みを意識して作った。 「元々ここは君たちの土地だ。俺のほうこそ少しの間だだけ一緒に置いてくれないか」  と。  アンクァスはしばらくキャスカとなにか話し合っているようだったが、やがて納得したように弓を下ろした。どうにか殺気が消えた頃合いを見計らって食料のことを持ちかけると、案外にあっさり「わかった。どうせキャスカの分を持ってくるついでだ」と思惑通り請け負ってくれた。  頼もしい、と思いながら背中を見送って、はたと気がつく。 「食料って……まさか、」  深く考えずに頼んでしまったが、またあの虫だったら。  幸い、しばらくしてアンクァスが運んで来たのは大きな魚だった。なまずの仲間のようだ。「アンクァスは漁の名人だ」  聞けば、いつも携えている弓で魚も捕るのだという。 「芋虫は?」  おそるおそる訊ねると、アンクァスはしかつめらしく眉根を寄せた。 「本来俺たちの村ではあまり食べない。川に行けば魚がいくらでも採れるのに、苦労して木の皮を剥いで集める意味がない。どうしても漁に行けないときや森の中を移動中の非常食だ。おまえの度胸を試そうとキャスカが言うから……」 「は?」  鋭くキャスカのほうを振り返ると「いかにもな感じを期待されているかと」と嘯く。 「いらないんだよそういう気遣いは……!」  ほんのわずかだったはずの文明との接触で、ここまで世間ずれしてしまったのだろうか。記録が残らないほど短期間で言葉をある程度は覚えているのだから、少なくとも頭はすこぶるいいのだろう。その頭の良さで余計なことまで吸収しているようだ。  くだらないやりとりを横目にアンクァスは小屋の軒下で火を熾すと、盛んに木を燃やした。それが熾火になった頃、大きな葉に内臓をとった魚を包んで灰の中に埋めるという。  なるほど蒸し焼きか。  これなら自分にも食べられるだろう。ふと思い立って小屋の中の簡易なキッチンスペースを家捜しすると、前任者が置いていったのか塩と乾燥した唐辛子が出てきた。それを一緒に包むよう頼む。だいたい味の想像がつくと、今度は米が欲しくなったが、それはもちろん虫たちに食い尽くされてしまった。 「なにか主食になるものはないのか? バナナとか」  まとまった数が必要だから最後の村で買ってきたが、本来はそこらに生えているのだろう。ちょっと分け入って採ってくればいい。もちろん自分ではなくこいつらが。  そんなつもりで告げると、アンクァスのは返事は九条にとって意外なものだった。 「この辺りにはない」 「そうなのか?」  どこにでも生えているものだと思っていた、と告げるとアンクァスは冷ややかに口元を歪めた。 「なんだよ」  アンクァスに代わって答えるのはキャスカだ。 「プラタノ(バナナ)は入植者が持ち込んだもので、元々森に生えているものじゃない。自然に生えているように見えるのは、大昔に放棄された畑だ」 「そう……なのか」 「おまえたちはずっとずっと昔から、この森を痛めつけてきた」  キャスカの説明はごく淡々としていたが、アンクァスは相変わらずどこか棘がある。訓練によって自制は効いているが、本来戦士の性分なのだろう。  おまえたちって、ひとくくりにするなよ。  そうは思ったが、丸め込もうと思っている以上今ここで言い返して心象を悪くするのはよくない。それになにより、岸から泳いでいる魚をしとめてくるアンクァスの弓の腕前、すなわち食料をとってきてくれる能力は有益だ。下手なことは言うまい、と九条はぐっと堪えた。 そんな努力を察したわけでもないだろうが、キャスカがアンクァスに告げる。 「ユカを掘ってきてくれ」  鋭く黒い瞳でアンクァスは九条のほうを見た。「こいつのために?」ということなのだろう。 「俺が食べたい」  キャスカが銀の髪を耳にかけながら言うと、アンクァスは不満げなオーラを発しながらも黙って立ち上がり、森の中へと消えた。ほどなくして戻ってきた手には長芋のようなものが握られている。魚と同じように葉で包んで蒸し焼きにされたそれは粘りけがあって、充分主食になった。むしろうまい。安心感で食欲に拍車がかかり、九条は大きな塊をみっつも食べた。  魚も、まあシンプルではあるけど喰えるな。  家捜しした際に最低限の鍋等も見つけたから、魚の種類と調理法をアレンジすれば、そんなに飽きることもないだろう。当面の食料はなんとかなりそうだ。   となるとあとはこいつをどう丸め込むかだな。  汚れた指を舐めながらキャスカの様子をうかがうと、視線がかち合った。どうやらあちらも九条のことを見ていたらしい。  黙っていれば人形のような顔の、不可思議な目が悪戯な色を帯びる。 「腹も満たされたことだし、まぐわうか?」 「まぐわわん。――矢を下ろしてくれアンクァス」   というか、今のは俺じゃなくてこいつが言い出したんだろうよ。  文句ならキャスカに、と声に出して言うまでもなく彼はキャスカに彼らの言葉でなにかまくし立てている。その様子はまさに、放蕩が過ぎる王子とそれを咎める従者そのものだ。 「さっきも言っただろ。オメガだからって誰でもいいわけじゃない。――ってなんでまた矢を向ける」 「ルスの申し出を袖にするなんて、図々しい」 「じゃあどうすりゃいいんだよ!?」  大事な神子なのだから部族以外の者に傷物にされるわけにはいかないだろうに〈俺たちの神子〉が魅力的でないと思われるのも癪に触るらしい。めんどくせえな、と思いつつ自分で自分の発言に驚いてもいた。 『オメガなら誰でもいいわけじゃない』  いや、誰でも良かったな。今まで。  とにかくオメガをひっかけて屈服させて、ついでに快楽を得たら、捨てる。それが楽しかったのだ。  学生時代、一度だけひとり暮らしのマンションまで押しかけられたこともあったが、九条が「誰?」の一言だけ告げると青ざめて帰っていった。そのうちひしがれた様子がまたたまらず胸のすく思いがしたが、オメガはだいたい気も弱く、こちらから連絡を絶てばしつこく縋ってくる者はいなかった。  ましてや、こんなに偉そうなのは論外だ。  一度寝てやって言うことをきかせてやればいいと思っていたが、やめだ。  生意気なオメガなんて、好みじゃない。今までのように抱いてやる気にはならない。  だとしたらなにか他のアプローチで……と考えて、はたと気がついた。  セックス以外でオメガに接するって、どうしたらいいんだ?
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