王宮編

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 終の日、学舎では1から5刻の間特別講習として乗馬訓練が行われるほか、訓練場が自由に開かれる。  訓練場は自由に個人の裁量に任せた自己鍛錬だったが、乗馬訓練はまともに騎乗出来ない子供たちを集めて教える授業だった。マムフェも貴族のたしなみがないためこの中に漏れず入ることになり、まるで乗馬ができていない自分自身を思い知らされることとなった。  馬にハミを噛ませる所から始まり、馬装も自分で出来なければいけないが、それ以前に馬を操れない。アスランの馬装は馬丁に任せ、いざ乗ってみたものの全くアスランは前に進んでくれなかった。  馬術場までは馬丁が引いてくれたものの、広場に入ってからはマムフェをまるで無視して端に生えている草を食べだす始末だ。馬上でマムフェはおっかなびっくり手綱を引いてみるが、奇麗に無視される。  ほかの生徒たちも同じようなもので、馬たちは幾分か気位が高い立派な馬が多いようだった。乗せられている生徒たちは、四苦八苦してただ上に座っているだけだ。それさえも危なっかしい。マムフェも同じく、アスランが首を下にするたびずり落ちそうになる。貴族の出と雖も、乗馬が苦手な子供もいる。合計六人の補習授業は広大な馬術場で行われていた。  中央に馬を進めた教師は、生徒の有様に思わず笑ってから声を張り上げた。 「今日は馬丁に引いてもらいます。その間、馬に乗ることに慣れるように。鞍には完全に座るのではなく、少し浮かせて太ももで体を支えるように。そうしないと尻が痛くなりますよ」  教師の言葉に従い、マムフェは尻を浮かせて太ももに力を込めた。意外に、辛い姿勢だ。ただ、確かに馬が歩むたびに前に後ろに揺れていた体が定まる。  馬丁達が馬術場に入ってきて、馬を一頭一頭引くために引き綱を取った。夏のさなか日差しはきつく、馬丁達は身分の低い赤毛の者たちが特にこの任に充てられたようだった。  マムフェはアスランの引き綱を握った赤毛の使用人に、そっと馬上から声をかけた。 「あの、辛くなったら言ってくださいね。ここは暑いので。うまい理由をみつけて休みを取りましょう」  馬術場は水撒きがされているものの、影が一つもないためムッとした熱気が地面から立ち上り、非常に暑かった。マムフェの声掛けに驚いた顔で赤毛の男は顔を上げ、少年の顔を呆然と見つめてからはっと我に返ったように下を向いた。  それから、何も言わず教師の指示に従って綱を引き始める。  マムフェは自分の出自もあり、使用人と接するときは声をかけるようにしていた。使用人たちは身分の差があるため、決して返答をしてこなかったが、幼少のころからこのやり取りには慣れている。  自分は黒の者の外見を持っているが、その実はコミュニティにも在籍できない迷い子だ。偉ぶれる理由もなければ、自分の身分を誇れる真実がない。同時に、彼等を無下にできる立場にもないと幼いながらに思い始めていた。  けれども、最近になって声をかけているとあちらが、そっと帽子を取って端のほうで礼をしてくれたり、たまに自分の部屋の掃除をしている使用人が花を活けてくれたりすることに気づいた。  それに気づいてからは、一方通行ではないのだと解ってきてもいた。  マムフェが考えている以上に、身分の隔たりは大きい。  学舎にいる同学年の者たちは、幼少から使用人との隔たりに慣れていて、黒の者たち以外をあまり認識しない。  今も、引き綱を握る赤毛の者たちが、汗をかき始める事になど気づかないだろう。  半刻も進んだ頃だろうか。汗まみれの馬丁に引かれて素直に歩んでいたアスランが突然止まった。そして、耳をぴくぴくと動かし馬術場の外を見つめる。  馬丁の存在を奇麗に無視し始めたアスランに、馬上で同じく汗をかいていたマムフェは首を撫でた。 「どうしたの?」  ほかの生徒の馬が、マムフェたちを追い越していく。教師がどうしたというように馬首を巡らせてこちらに来ようとした時だった。  いくつもの剣呑な蹄の音がバラバラと馬術場の周囲に響いてきた。続いて8頭程度の馬がマントをはためかせた兵を乗せて、現れる。  マントは目にも鮮やかな赤と端には金の縫込みがあった。現王の印である。 「城の王兵達ではないか。何かあったのか…。皆はこのままここで待つように!」  教師が馬を駆ってそちらに行くのと同時に、兵隊の何人かは馬術場に馬を降りて入ってきていた。  マムフェ達は、やり取りの声も聞こえない場所で、彼らの様子をただ眺めていた。やがて顔を青くした教師は戻ってくると、マムフェの前で馬を降りる。 「マムフェ、来なさい」  呼ばれたマムフェは、驚きを隠さず、それでも言われた通りにアスランから降りようとする。それを咄嗟に赤毛の馬丁が助けた。 「ありがとう」  礼を言ってるマムフェを急き立てるように、教師は近くまで歩いてきた王兵たちへ、マムフェを差し出した。  背を押され、目の前に立っている王兵達を緊張した表情で見上げる。 「マムフェで間違いないな?」 「はい」  確認され、マムフェは静かにうなずいた。 「…なるほど。ご同行願いたい。用向きはここでは差し控えたい」  それは王兵の配慮だった。詮議に呼ばれとなれば、あまり良いうわさにはならない。マムフェは再度頷いた。 「わかりました」  何かが起きたのだ。王家にかかわることなど、ライセン以外のことではありえなかった。  王兵に連れられ、歩みだしたマムフェの後ろをアスランが一生懸命に追い出した。ヒンヒンと言いながら続いて歩いてくる。馬丁は汗まみれの体で必死に押しとどめようとしていたが、全く聞かなかった。  マムフェはアスランを止めたいために、後ろを振り返ろうとしたが王兵がそれを許さなかった。  馬術場の出口辺りまでその行列は続き、マムフェは王兵を振り切ると柵越しにアスランへ声をかける。 「アスラン!大丈夫だよ!待っていて!」  納得いかないというように、アスランは柵の中でいなないたが、柵を飛び越えようとはしなかった。  マムフェが王兵の馬に同乗させられるのを、鼻息も荒く見つめる。すぐに王兵達は陣形を組むようにして、馬を走らせた。  あまりの速さに、マムフェが馬上で体を強張らせる。その体を後ろから王兵はがっちりと支えていた。  脳まで響くような振動に揺さぶられたのは、さほど長い時間ではなかった。これが一刻も続いたのであれば、調子を崩していたのは間違いない。  王宮の門をくぐり、西側に進むと広場があった。そこで全員馬を降りる。馬丁たちがわらわらと出てきて、馬の世話をしている傍ら、それを振り返ることなく王兵達は大きな扉をくぐった。  途端に滝と緑の森が現れる。夏なのに王宮の中は涼しく、石造りの建物は素晴らしい彫刻と宝石で飾られていた。  あまりの絢爛さに、マムフェは呆然として足が動かなくなったが、王兵達は急かす様に背を押す。よろめきながらも推し進められるがままに、中へ、中へと入っていく。  天窓からは光があふれ、水が光を返して回廊に美しい文様を描いている。彫刻は細部まで凝った絶妙なものだった。金で作りあげられた細工ものや、宝石が彫刻を彩る。床は磨き上げられ、輝いていた。  夏の涼である水の流れは耳にやさしく、回廊の端では一人配置された楽師が竪琴をひそやかに奏でていた。時折回廊で行きかう宮中の者たちは、王兵達を見て端に避け礼の形をとって腰を折る。  マムフェのまるで知らない別世界がそこには広がっていた。ライセンはこの宮中で暮らす、王位継承権5番目の皇子なのだ。考えていたよりもずっと、ライセンの身分は高く重々しかった。  やがて絢爛な一つの部屋へマムフェは案内されると、そこに置かれていた椅子へ腰かけているようにと告げられる。  兵の多くは他に仕事があるのだろう。見張りの二人ばかりを残し慌ただしく部屋を出て行った。  部屋はさして広いものではなかった。5メール四方の部屋である。扉は一つしかなく、そこには警備のものとして王兵が二人立っている。マムフェはしつらえてあった椅子に腰かけさせられ、豪奢な天井画をはじめガラス越しに見える中庭の華美な様相に圧倒されていた。  部屋の中は夏なのに涼しく、不思議に思って床を眺めると、四隅には溝があり冷たい水が音もなく流れていた。  王宮の作りは驚いたことに、全てこのように水が使われ涼めるようになっているようだった。これだけ豊富に使われている傍ら、水不足で城下が苦しんでいるというのは、不思議なことのように思える。なぜこんなに公平性がないのだろうか。  マムフェが飲まれたように部屋を見回している時だった。扉から初老の男性が現れ、マムフェに一礼する。マムフェもあわてて立ち上がると、同じように一礼した。  相手は黒髪のしかるべき地位にある、誰かのようだった。 「マムフェ殿ですな。私は文官のひとり、詮議管理長官になります。この度はトゥーン殿の訴えによりライセン様を詮議致したいという恐れ多くも、少し主旨のそれた申し出がありましてな」  ここでため息を詮議管理長官はつくと、マムフェに椅子をすすめた。それから自分も椅子に座る。マムフェは緊張した面持ちを隠そうともせず、椅子に座った。  その様子に哀れを感じたのか、説明を交えて苦い表情で話し始める。 「本来詮議というものは、上官が私腹を肥やした、や、不当な暴力をふるったり、行ってはならない物事を明らかにし、罪状を露にするところでございます。ですが、此度の詮議、ライセン様のコミュニティに関することなれば私議であり、詮議されるものにあらず」  つまり、本来は詮議されるような内容ではないが、ライセンが自分をコミュニティに迎えるにあたり、責める人がいたということか。  マムフェは沈痛な表情で、文官を見つめた。あまりにも美しい少年が悲しそうな表情を浮かべるのを見て、文官は一つ唸る。 「マムフェ殿とライセン様が、コミュニティに関して同意していればそれで良いのです。本来は他の者がくちばしを挟む所ではないのです」  相手を慰めるように、文官は普段しないような説明も付け加えた。 「しかしながら、今回は、天命術の結果がお二人ともよろしくなく、このままマムフェ殿がライセン様のコミュニティに入ることがあれば、大きな災いありと、出まして、な…。それを知り、懸念したトゥーン殿が、皇子のコミュニティにそのような者を迎えるのは如何なことか、という詮議である、と言うことでして、な…」  マムフェは目を見開いて文官を見つめた。天命術の大切さはよく知っている。天候をはじめとして工事の進む場所や日程を決める際にも使われ、時には人との縁組も占われる。  ただし、それはこのようなことには気を付ければよい、というような対応策を含めた卜であり、大きな災いありというような結果は余りない。マムフェは少なくともそういう物を見たことはなかった。  呆然としているマムフェに、文官が慰めるように告げる。 「当事者たるマムフェ殿が知らぬ所でこのような詮議があるとなっては、道理が通らぬもの。マムフェ殿を王命でお呼びした次第でございます。また、天命術に関しては、神殿に正しき結果を求めておりますゆえ、しばらくお待ち願いたく」  マムフェは呆然としたまま、頷いた。  これはライセンの気持ちや、自分の思いではなく、天命術の結果次第では決して結ばれない二人になる、という通告だった。  天命術はそれを読み解くのが、非常に難しい。神殿は恐ろしくぴたりと当ててくるが、その技術は神殿外の者に一切知らされない秘術とも言えた。王宮でも神殿に対抗し、天命師がいてそれを読み解こうとはするが、精度は劣る。  ただ一人例外が王宮にもいる。  現王の弟は、学問、武門においてこれに並ぶものなしとされる神童らしく、彼が天命術長官だと学舎長は話していた。ありとあらゆることが、彼の存在によって改められるほどであり、天命術を読み解く実力もはるかに神殿に勝るとも劣らぬと言う。  彼が『災いあり』としたのであれば、神殿の結果が覆るとは思えなかった。 「ライセン…」  名前がこぼれる。思いもよらず出てきた涙は、正面に座っていた文官をひどく慌てさせた。彼は懐からきれいな模様が刻まれた紙を、取り出すとマムフェにやさしく手渡した。 「神殿の結果が出るまでは、何とも言えぬことです。お力を落とされますな。時間になったら呼びに参りますから、ここでお待ちを」  マムフェはもらった紙をありがたく使い、零れて止まらない涙を拭いた。 「父上、マムフェに会って頂きたいのです。天命術などただの占いではないですか。彼を見れば、ご納得して頂けるはずです」  ライセンは別室で、家族とともに席についていた。またかというように、三男がライセンを見る。 「この先の詮議で会う。神殿の結果が良ければ、彼と話をするのもやぶさかではない」  何度も繰り返された返答に、ライセンがまた同じような言葉を重ねる。聞いている兄や姉たちは、またかという表情を隠しもしなかった。 「結果などたかが占いでしょう。姉上のコミュニティにいる一人も、占いの結果は注意ばかりでしたが今はうまくやっています」 「その通りだ。神殿の結果は、災いありなどという結果は出さないからな。どのようにすればよいのかという注意を心にとめよ、ということだ。お前も、それをよく理解し今後励めばよいではないか」  姉があきれたように、幾度となく繰り返された言葉を紡ぐ。ライセンはそれでも納得できないというように、王を見た。 「この占いの結果は非常に危険です。彼らの出したものは、これから先災いがあれば、マムフェが私のコミュニティに入ったからだと言えてしまう、根拠のないもの。叔父上の嫌がらせではないのですか」  王はため息をつくと頷いた。 「トゥーンが天命術を持ち出してきたのは、そういう事かもしれんな。王宮の天命術師の言を曲げることも、出来ぬことではあるまい。だが、神殿の者たちはそうはいくまいよ。あれらはピタリと未来を当てる。しかも言葉を尽くした結果を短時間で山ほど書いて渡してくる。値段はべらぼうに高いが」  頻繁に使われないのは、値段が高いためだった。それがある意味、未来を知るという欲に対しての抑止力になってもいる。  格安で天命術を占う者たちの卜は、大して当たらない。  しかし、神殿からもたらされる結果は短時間で、言葉に尽くした明確な警告と忌避方法、ことが起こる日時を当ててくる。こと個人間の占いに関しては、双方がうまくやっていくための警告が多く、男女である場合は子供が生まれるとした時、その日時をぴたりと当ててくる。  もちろん書かれていない事象も起こるため、おおよそのあらましとして受け取るほかはない。個人の人生全てが、紙一枚に収まるわけがないのだ。  主に天命術は何か事を起こすときの日時を決めたり、建物を建てる時の警告を聞く場合が多く、人と人を占いのは書かれていない物事も多く起こりうるため、向いていない。  相性を占うなどの方法でしか用いれないのが、限界だった。そこに災いありとはひどく剣呑で把握しようのない結果である。  王はため息をつくと、愛しい末の息子を見た。腕白で手を焼く息子ではあったが、自分で信じた道を行き、人にやさしく心の根の正しい者だ。  この者のいく道に、悲しみや苦しみや災いを、もたらしたいと思う親がいるだろうか。 「ライセン。よく聞け」  父親の声音に、ピンと芯が通ったのを悟ったのだろう。ライセンはスっと表情を改めた。 「はい」  声音は固い。おそらく、言われることを察しているのだろう。王は頷くと一つ息を吐きだした。 「お前の意思がどこにあろうとも、神殿の結果が芳しくなければ、その縁組は認めぬ。お前のコミュニティに入れることはまかりならぬ。これは王命である」  ライセンはじっと父親を見つめていたが、受け入れることも、頷くこともしなかった。ただ拳だけを震わせ視線を逸らす。  父親に逆らっても、自分の身分を投げ出しても、マムフェを手に入れたい。 「父上、私は…」  ライセンが何かを言いかけたのを、きっぱりと遮る。 「ならぬ。お前が個人の気持ちを優先させて良い物事ではない。少なくともあの天命師が『大きな災いあり』と言ってしまった以上、神殿の結果が完全に違うものでなければ、人心に不安が募り、よからぬ災いの起きる火種となりうる。お前がいかに望もうとも、許されぬことがあると心得よ。天命術が絡んできた以上、お前個人の話ではない」  それは正論だった。ライセンには生まれつきの立場がある。公の場であのような言葉がなされた以上は、それ以上の信用がある神殿がよい結果を齎さなければ、今後何かが起こる度に、王室のせいだと責められる要因となる。 「こらえよ」  王が静かに告げる。ライセンは答えることもできず、震えた拳に力を込めた。  静寂の中、扉がノックされる。 「神殿より、結果が届きました」  扉越しに齎された報告に、王は何も言わず立ち上がった。自分の隣に座っていた姉は、安心させるようにライセンの肩をたたいて立ち上がる。  兄や姉たちは、同情したような視線を送りつつも父王に続き、扉へと向かっていく。  やがて一人取り残されたライセンは、祈るような気持ちで天を見上げた。 「マムフェ…」  どうか、自分の唯一のひとを奪わないでほしい。  ライセンの祈りは深く、深く、ただ深く。そこにあった。
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