これカノン

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えうろぱは、わたしの調べた限りでは、全体的に、社会保障制度が日本より余程良くできている。あと、アイドルがゲイであることを公表している。日本じゃ、アイドルの中にどれくらいゲイが居るか判らないし、なんで日本のアイドルは表沙汰にしちゃいけないのか、理解できない。 サナちゃんも誰も、同世代のお友だちがこれらの事を理解してくれないのはとてもさみしい。 なぜわたしはこんな風なのか、バスルームでトリートメントを髪に馴染ませながら泣きそうになる。 そんな場合の望みのひとつは、いつか人生は終わるということで、しかもわたしは、いつからか覚えていないが、自分は二十三か四位で死ぬというイメージを持っているので、そんなに長く苦しんだりさみしんだりしないと考えることができる。 最近覚えた言葉では、オプティミズムというらしい。でもそうすると、反語とされるペシミズムも当てはまり、こういう人間のおかしみを味わうのにはやっぱり現代国語はラヴリーだ。父方の誰も理解しないラヴリー。 人生って、波に逆らってゆくと、大体二十三四で死ぬことになるというイメージ。ラヴリーは、新自由主義においては脆さもはらんでいる。 他人にきちんとごますって、合わせて、そのことに時間や能力の七割を持って行かれても、事を荒立てずにゆくのが正統派と一応なっているとはもう判っている。 そして、若輩ながらに波に逆らって生きている感覚は、少し前から持っている。 いわゆる正統派という事になっているやり方に歯向かうような生活や生き方をして二十五以上もゆくのは、余程体力やら健康、色々なことに恵まれた場合だけで、そうでないなら、二十代の前半で何かで死ぬのが、わたしの持っている、世の中の厳しさや愚かさや、おかしみのイメージだし、ほっとすることでもある。 母の影響もあるのかも知れない。数年前と、ついこの間と、しっかり覚えているだけでも二回、母は、早く死ぬ方がいいと云った。 「グレース・ケリーとかね、いちばん綺麗なときに死んだ人って、いちばん得よ。絶対よ。しわしわになって何があんのよ、何もないわよ。あたしもね、しわしわになる前に死にたいわ」 母は美しいものがすきで、汚く感じる見えるものの中にも価値を見いだせとか、父が云いそうなことは、綺麗事だといつも云う。 汚いものは、汚いわよ。 この間、二階の、母の部屋の前の廊下のクロゼットを開けたら、わたしの大好きな子達が居なくなっていた。 独身の頃に買ったらしい十三枚の、色々な素材、柄、色の、広がりすぎて迷惑という程じゃないフレアのロングスカート達。小さな頃一度連れていってもらった展覧会の、モネにシスレー、シャガールにローランサンを彷彿とさせる世界。 七才のときにたまたま見つけてから、そこを開けて、彼女達を見るのをとても楽しみにしていた。 まるで逢瀬で、見るだけの日もあれば、久しぶりに何枚かに触れてみたり、そうして来たのに、つい先日、少し間があいたなと思いながらクロゼットのドアの小さな持ち手を、心地好い引っ掛かりとそれの抜ける手応えと音と共に引っ張り開けたら、全て無くなっていて、一階でテレビを見て笑っていた母に「クロゼットのスカートは!」訊ねると、どこも見ていない顔で、捨てたわよと云った。こうして終っていく。 もう二度とあれらには会えないし、母はもうああいうスカートを買わない。 小学生いっぱい、授業参観の度にどれかをはいて来たその時の母を、少しすきだったことを、母が知ることも、これからも無いだろう。 スーパー等で売っているプリンはまずい。あれは、プリンではない。 プリンではない物ほど、プリンだと強調しているように見受ける。ではプリンとは何か。 ステンレス製の、中のものが富士山型に近い形になるよう成型されたカップ、頂上の所にゆるい猫や犬の顔が凹凸で表現できるようになっている道具で、とにかく最小限の材料で、甘くなりすぎないよう、レシピよりグラニュー糖は少な目で、蒸して作る、出来立てのを、茶碗蒸し的にスプーンであたたかい内に頂く。 母はカラメルも作るが、わたしは甘過ぎるものが嫌いなので遠慮する。 「めんどくさい子ねえ、普通子どもはカラメル好きでしょ、カラメルはさ、カップにさ、プリンがつかないようにする為でもあるんだからさあ、何ハードル上げてくれてんのよ」 卵の旨味を味わいたいのなら、カラメルは要らないとわたしは信じている。母が初めて作ってくれたときに、薄黄色のとこだけで美味しいと知ったのだ。 カラメルなんて、ごまかしが必要な不味プリンや見映えにこだわる、味二の次派の為のものだ。 母は、嫌だめんどくさいと云いながら、いくつか作る内の一つを、一応わたし用にカラメル無しにしてくれるようになった。 「薄味が好きな子どもなんて、変よ」 自分にたまたま今のところ理解できないものや事について「変」として終わらせるなり責める攻めるのは、人として決して上等とは云えないでしょう。 わたしがそう云えば、彼女は必ず、父親に似たのだああ嫌だとまた云うだろう。 IQが高い方が時々許してやるしかないのだなと、体のつかれを感じる。 これはいつまで溜まって行くのだか。 冬休みの間に読んだ本は三冊きりで、あとは新聞ばっかり読んで読んで、ふき出す感想のやり場として、大学ノートに、日本語で英語で、絵も添えて書いている内に一つ学年が上がった。 去年から身長は三センチしか伸びず、体重は二キロ増え、靴のサイズはもう変わらないらしかった。 セミロングでばかりいたのに、じりじりとしっかりのロングヘアになってきて、母はそのことに特に口出しせず、大体高めの位置にポニーテールにして、母が作った紺のツイードのシュシュを付けて学校に行くと、女の子達から褒められた。 母が作ったというより、わたしが、好みのものが売っていないからと母に作らせたのが実態だった。 布やら釦やらの、綺麗なものを見るのが好きで、ちょいちょい買い集める彼女のコレクションから、わたしが選んだもので、その性格を褒めてのせて、作ってもらった。母は、そこの辺りを褒められるのがすきなのだ。 「もっと明るい色とか、花柄とかにすればいいのに」薄茶のベースに小花の乗った布でもう一つ作ってくれたが、茶色が嫌いなわたしはそれは付けていない。 紺のをしていると、自分だと感じる。空気が濃くて、肩が軽くて、食欲がわく。 サナちゃんは、紺のシュシュに留まらず、わたしが好きな食べ物が揚げ出し豆腐なことまで美化してしまう。なぜいちいち自分のすることが彼女のつぼに入ってしまうのか判らない。もう少しブレーキをうまく踏んでくれたら助かるのだけどと思いながら、一日一日過ぎて行く。 去年の担任だった女の教員が、今年は自分の担当クラスに才能のあるのが居ないと、少し前に、何かを代表してどこかに出すという読書感想文の依頼をして来た。 海野さんでないとだめだと、どうしても書いて欲しいと三度口説かれて、元々読書感想文を書くのは好きだしと、よく判らないまま書くことになっている。 何でその女教員がそうであるのかや、どこにどうして出すのか等には興味はない。 ワタナベくんはきらいです 海野カノン この小説には色々なことが出てきますし、色々な人があれこれ言いますしやりますが、何より読み終わったあとにいちばん強く感じたのは、わたしは個人的に、ワタナベくんが嫌いだという事でした。 舞台は、わたしやお友だちや家族にも馴染みのある辺りで、設定の時代はとても昔ですが、ドイツの片田舎を舞台にしたヘッセ青年のお話より、遠く感じました。 そういうことがあるのだと教えてくれたのは、感謝出来る点なのかもしれません。けれど、それくらいこの人は頭の中がわたしと遠いということだと今のところ感じています。 女性が何人か出てきますが、彼女達には、あまり、正の感情も負の感情も起こらないまま、小説は終わりました。 大学生が、だらだらしている間に、人が数人死にましたが、不思議と悲しいとも辛いとも思わない作品で、読み終えてからなぜなのか自分なりに考えて、根本的にわたしはワタナベくんという人を全く尊敬出来ないのだと、それが読書全体に大きな影響を及ぼしたと考えました。 起承転結がはっきりしないのは、純文学なのである意味当たり前でしょうし、それで感想を起承転結に沿って書いていくというやり方がやりづらいのは事実ですが、何より、主人公の人間性にここまで抵抗感があっては、それを軸に書かざるを得ないのです。 緑ちゃんという女性が出てきますが、彼女は、主人公の正式な彼女である直子がいない間の、つなぎ彼女のような物と、ワタナベくんはしていると、わたしは解釈しました。 わたしは、これまでの人生で、誰かを「つなぎ」としたことはありませんし、そういった考え方に馴染みがないのだと思います。 だからこそきっと、この本が事実としてベストセラーだという事に目眩がしたのです。 わたしは、ムラカミくんなのかもしれないワタナベくんが嫌いです。心の温かみをちらりとも最後まで感じさせない、自己防衛能力ばかり高い人は嫌だなと、上下巻を通じて痛感させられました。 せめて一度か二度、人生の中で、誰かを大切にしたいという感覚を持っていないと思うと同時に、自分はそうなるまいと思わさせられました。 何とも絶妙な残酷さと軽薄さをやり通すワタナベ描写は、迫力はあり、何かわたしにはわからない価値がそこにあるのかもしれません。 しかしこの本をベストセラーにした人達のどれだけが、主人公の軽やかな酷さに気付いているのだろうと思うと、ぞっとします。 わたしは、この一作で作者を嫌いになりたくないので、この後短編集を読んでみるつもりです。 もし、タバコの火の消し方について、男から、女の子がそんな風に消すもんじゃないと言われたら、わたしはその男の手の甲で火を消すことを考えるでしょう。そして、絶対に「そうするしかなかったんだ」とは言いません。 この作品が発表されたときはどうだったのか知りませんが、要するに時代遅れな価値観をまるでそうでないように見せるのが巧い男の話でした。 そして、わたしは誰かをつなぎにせず、せめて出来るだけ大切に出来るやり方を自分なりに探して、開き直らないで生きて行きたいと思うことでやっと気持ちが落ち着く、終始気持ちの悪い作品でした。 生まれて初めて、読書感想文を却下された。春の終わりの隣のクラスで放課後に。 「海野さん、わかるよね、先生が、何で、海野さんに頼んだのか。ずっとずーっと書いてくれたもんね、一昨年、先生が気に入るようなの、書いてたでしょう」 「はい」 去年まで担任だった女教員が担当しているクラスの、席の中の窓よりの通路に立つよう促されていた。 「じゃあ何でこんなことするかな」 彼女の背は多分百六十で、わたしは十センチ程低い所から大きな目、大きな二重の大きな目に囲まれた大きな黒目で見上げている。 「あれは、実験でした」 「なあに」 西日が、放課後の教室に左から来て、彼女の顔を暗くする。すると、うしろの黒板はとても美しく見える。知らない子の消えかかった名前、誰かが寄りかかったんだろう。ああこれは、サナちゃんが好むタイプの思考回路だ。真壁くん的にはどーでもよくて、母が意味わかんないやつ。 「どのくらい、他者が書いて欲しい感じの物が書けるかという事をかねて、自分なりに国語能力テストをしていた感じです」 「あそう」 「同じものをずっと書いても、成長に繋がりませんし、わたしは成長したいので」 女教員は、紺にも程がある、というか、紺の中でもどんくさい紺色のかなり着古したジャージのトップスの、腕捲りしたのを組んで、西日の方を見て 「ふ、あんた、あんたみたいな子は……、まあ海野さんだものね、うん」 平均よりとても黄色い右手で、七三分けのワンレングスの、ロングボブに結果的になっているののはしを耳にかけて 「呪われるよ」と云った。 「なんでしょう」 十五秒の沈黙があり 「あんたみたいなのはね、だあれからも愛されないから。呪われんの!こんな、こういう、こう……まあね、そう、一生だよ」 「一生ですか」 大人としても教員としても余りにも珍妙な言葉や力みすぎの表情に、哀れみを感じた。 三分の沈黙の後、わたしは西日のなかで 「あなたが思うことは、あなたの自由だと思います。人には心の自由がありますから。わたしはあなたを咎めるつもりはこれからもありません。……あなたが欲しがっているもの、もう、半ば諦めかけているものが何かあるのを、わたしは判ります。多分それが原因なんだろうということを考えられる位には、わたしは大人です」三秒首を右にかしげてから「感情をおさえて話していますし」と、つけ加した。 女教員は、わたしの読書感想文を一枚ずつ全部真ん中で破いて、床に散らし、プーマの、白っぽいけれど西日ではっきり色がわからないスニーカーで踏みつけた。 わたしは、ほんとうに心の底から皆がわたしの味方につくと思った。 翌日の放課後、両親が学校へ来て、母は終始ぼうっとして茶色の空気をまとってつっ立って、父は、カシミヤのグレーのセーター姿でこれ以上ない感じの良さを出して居て「本当にこの度は、うちの娘がとんでもないことをしまして、申し訳ありません」仕事の電話に出る時の言い方で、頭を下げた。 うちは、電話に出る時声としゃべり方がすごく変わるのは父の方で、母は、一般でいうほど変わらない。というか変わらない。 帰ってから、居間で母から、あんたみたいな変な娘ほんといやだったのよ、昔から、変なことばっか云うしさと云われ、言葉もなく、涙が出るかと思ったが、結局涙も出ず、ただ何となく、茶の方のシュシュを捨てた。 自室で、オーディオでラジオをつけると、英語のロックがかかっていて、聞き取れないので意味は判らないのにとても救われた気持ちになる。 その時まで十何年も、父も母も何だかんだ云ってわたしの味方をするのだと、思っていたのだ。初めてそうなんじゃないと知った。 ここが、子供の中の子供と、子供+大人の境目なんだと、知るというのは、体感を伴うとも知った。痛みを伴うのに面白い。 こんな風に体が、起こったことをばりばりと表すなんて、たしか今までで、二三回しかない。 あまりにも残酷なシーンのある映画を見た八才の時と、サナちゃんと友だちになったばかりの頃、あんまり楽しくて楽しくて、そのことに感動して、うちに帰って来てから泣いてしまった時くらい。 スカートたちが居なくなった辺りから、うちは少しずつへんになっている。 どうしてだかやどうなっているのかは、よくは判らない。わたしは子どもだ。 ここのところ父はビールよりワインを飲む日が増えて、夕食は三日に一度しか食べていないみたいだし、たぶん、一昨年くらいから母の書く年賀状は三分の一程の量に減った。一月に、思わず子どもらしさを発揮して「前より少ないね」と口に出したら、睨まれた。その後そういえば母は、正月番組を見ながら目と口を半開きにしていた。 何か大きなことが起きてる訳じゃない。とーさんがとーさんしたりりょーしんがりこんしたり誰かが死んだりしていないし、怪我も病気もしていない。 ほぼ全てのことが、今まで通りに一日一日過ぎているだけなのに、月は欠けても満ちるけど、家はそういう仕組みではないらしい。 わたしの靴が大きくならないように、母が若返らないように。 「ずい分とゆぶんが無くなってんのよ、あんたもそうなるわよ」 わたしは、あぶら分だと思うのだが、彼女はゆぶんと云う。 母はよく判っていない、本も読まないし、父がお風呂に行って見えなくなったら寄って来て「で、あんた何したのよ」と云う。 「お母さんには判らないようなことだよ」 「あらいやだ」 黒目をぐるりと回す、ちっとも怒っていないんだろう。 「だって、お父さんが、謝んなくちゃって云うからさ」 父の残したおかずを、朱の箸で口へ入れながら 「変な人だったわね、あの先生」 「そうだよ」 「変なスカート丈だったし」 「そうだよ」 点けっぱなしのテレビの民放で、有名タレントが母親の無償の愛について語りだしたので、 「お母さんにも、無償の愛っていうの、あるの」 横から見ているわたしの顔を見ずに、テレビの方を向いたまま、がんもどきの中に含まれていた汁を一滴吹き出しながら口に入れて 「ある訳ないでしょ」 と云うから、 「あの人はああ云ってるよ」 ねばってみると、口もとを左手で拭いながら 「あんな人、子ども産んだことも、育てたこともないでしょ、あんな綺麗事じゃないわよ、子育てって。いつもいつもねえ、いい母親でなんか、いられる訳ないじゃん、バカじゃん」立ち上がり、シンクにおかずの入っていた小さな器を片しに行った。 大したことないとはいえ一騒動あったことを、サナちゃんも真壁くんも知らないようだったし、わたし自身も面倒にも思えて、話さなかったので、何もなかったかのように学校での暮らしは行われてた。 わたしの今のクラス担任をしている教員が認識しているのかは判らなかった。顔に出ないタイプの男で、例の女教員には関わらないようにしているようなふしもあった。 ラコステのポロシャツの、色違いを三百六十五日着ていて、あずき色のをいちばん気に入っているようで、それを着ている日は少し調子良さげに見える。 わたしがそう感じると真壁くんに云うと、彼はまた悪意ゼロのマイルドな苦笑いを二秒して「いや、俺はぜんぜんわからんけど」と云った。 例の日から、一週間目の夜、八時過ぎに、ダイニングテーブルで、頂き物の高級ビールを飲んでいた父の横を、たまたまうっかり通りかかったら、赤ピンクの顔と耳と首の父に、ちょっとそこへ座りなさいと云われ、仕方なく父の向かいの椅子に座ると、高級ビールのラベルに目をやった状態で 「俺はな、インディペンデントという言葉がとてもすきなんだよ」一人で話し出した。 こういう時、いつも逃げそびれ、聞き続けることになってしまう。 父は、わたしを黙らせて動けなくさせる魔法が使えるのかも知れない。つまり洗脳だな。 「俺はな」 わたしの顔は見ないで、自信に満ちたテノールで話す時の彼は、どこかの世界に居て、わたしや母とは一緒に居ない。父だけの惑星を心に持っているのを感じる。それが良い物なのかどうかは判らない。 「自分でものを考えることの出来ない人間なんて、人間と云えないだろう、な。カノンにはな、きちんと、自分の心で一つ一つ感じて、自分の頭で考える人間に、大人に、なって行ってもらいたいんだよ」 それならどうしてあの読書感想文を少しでも擁護しなかったのかと思うが、わたしの口はたぶん洗脳が効いていて開かない。ロープで身体を縛られている自分の姿がイメージされる。 「俺はお前をそう育てているんだ、判るか」 ビールはなくなったようだった。中身のないグラスに右手を添えたまま、やはりわたしのことは見ずに、ついに目をつむってしまった。お前の惑星どんだけだよ。 「独自性のない奴はな、皆将来ダメになる。奴隷だよ、世の中の、社会の、政治の。そんなのはな、人生じゃない、家畜って云うんだ覚えておきなさい。カノンが家畜にならないように、インディペンデント精神あふれるひとに成るよう、俺は出来うるだけのことをしているんだ、判るか」 判るけど判りたくないと思うと同時に、母には判らないだろうと思う。 「まったく、勇気をもって行動出来ない奴のなんて多いことだろうな。今の父さんの職場でな、そういうのの典型の奴が居るんだよ。そのせいでな、俺は今とても大変なんだよ。そいつは、しっかりした意思ってものを持ちあわせてないんだな。つまらない男だよ。ああなっちゃ人生ダメだよ。やっぱり大切なのはな、他者からどうかなと、思われることが時には有ってもだな、これぞというものは、自分の強い意思で貫く、そういう力を持つことだよ、カノン」 「そうだね」 「カノンは、そういうことを決して忘れるんじゃない。判ったか」 「はい」 一週間前に父が着ていたグレーのセーターを思い出していた。ぜい肉のないソリッドな身体にぴったりついた、質の良い製品。上品の極みですといった風情。 父のような人達は、そういうのを着ながら、自らを控え目な方の人間だと認識しているように見える。 「カノンはスズキみたいになるんじゃない。迎合してはダメだ。俺は迎合する奴が大嫌いだ」 スズキという、父と日々仕事で関わらざるをえない人を多少気の毒に思う。さぞ息苦しいことだろう。きっと、父のきらいな「男のくせに水玉」とかのネクタイをしているのだろう。 サナちゃんは、水玉という表現が好きじゃなくて、いつも「ドット柄」と云う。カノンちゃんの着るドット柄は他の子のよく着てるのと違って大人っぽいのばかりだと。カノンちゃんの選ぶのはいつも絶妙に間隔があきすぎず狭すぎずで、ドットの大きさや色がセンスがいいので幼稚な感じにならなくて好きだと。 サナちゃんはいつもそういう所をとてもよく見ている。 何となく階段を登り、二階の、例のクロゼットのある廊下を通って自室に入り、何となくラジオをつけると、また英語のロックミュージックがかかっていた。 何かについて怒っているように聴こえる。誰かの代わりに。編曲、コード進行、ベースの音の太さと速さ、ストリングスが作る背景のムードが。歌い手というより、大きなどこかから、どこかへと、エネルギーや思想が流れ通る感じがしてくる。 そう、本にもそういうのと、そういうんじゃない感じのとあるとわたしは感じてて、それを誰も理解したり共感したりはしてくれない。母が云うようにわたしが変な子だからだろうかと不安になる。 白の天井を見上げて、十秒、いつかこういうことを、話し合い、理解し合えるような時があるんだろうかと思い、心が八十パーセント挫けそうになる。 もう少しすればまた学年が一つ上がるけれど、その学年を一年間やりきれるのか自信がなくなってきている。飽きているのだ。周りの子達に対しても、張り合いのない先生や革新的でないシステム、誰も政権交代について話さないこと、解りきった方程式を応用すること。いっそ学校から飛び出して一日中映画を見たり図書館で調べものをしたりした方がどれだけ有意義に二度と返ってこない時間を後悔なく過ごせるか思ってしまうし、今の野党がどこがダメなのか、どういう手を打ったらわたし達の将来がよりましになるのか具体的に考えたいのに、みんなドラマやアイドルの話ばかりしている、その場に毎日通うことのうんざり感を、見ないようにして来たのに、もう無理そうで怖い。 白すぎるとよく云われる手を、胸の下に当てる。昨日から、お腹の上の方が痛くて、生まれて初めてのことで対処法もよく判らないし、母に云いたくもないから、ふつうに一人で抱えている。 何の痛みなのか知りたくないし、知らないまま終わって欲しいとも思っている。百パーセント近く、それはないと判っていても。 学校から持って帰って渡した、百点のテストの内の一枚を、母は、一昨日PTAのお知らせの紙と一緒に捨ててしまったし、その事を指摘しても謝らなかったし、そんな人に体の痛みを相談しても仕方がない。 サナちゃんには、荷が重いだろうと思うし、真壁くんにこれ以上甘えて行きたくない。そんな事をいつまでもやっていたら、大人になったら生きて行けなくなると思う。真壁くんはわたしの為に居るんじゃないし、わたし自身ではないのだから、わたしのことに責任は持てない。わたししかわたしの責任者じゃないから、わたしがしっかりと自分の足で立って、歩いたり、適切に歩をゆるめたり、時には止まって休む判断をしなくってはならない。きっとそう。 英語の曲は別の声になり、さっきより怒っていなくて、荘厳なメロディーラインになった。英語の発音のしかたもさっきとニュアンスがだいぶ違うように思うが、詳しいことは判らない。 DJは何か云ったと思うが、わたしは聞いていなかった。この、判らない感じがいい。 簡単にに判るものはつまらなさすぎて未来に希望を見つけられなくなる。世の中にはまだまだまだまだ判らない知らないことがあって、知ることも出来うると思うとき、色んな嫌な事や不安から解放されて楽しい気持ちで過ごせるようになる。 リビングのテレビでかかるタイプじゃない曲達は、そういう気持ちをくれる。 優子ちゃんなんかはきっと、日本語の、聴けばそりゃわかる曲を聴いているんだろうと、見下す気持ちがはっきりとあることに気付く。見ないようにしようか迷う。 それなのにワタナベ君の事は許さない矛盾にも気付くのに、開き直りそうになって、開き直ったら彼と同じだと、自分を引き留める。 この時間の中で手離さずに見つめ続けようとする。 きっとそれは、ずい分先に、このお腹の上の方の痛みに効くような気がしてならない。これはきっと力だ、というフィーリング。 男の人が歌い上げる曲は長く、ラジオとDJは辛抱強くかけ続けている。 何層ものコーラスが後ろにあり、エレキギターはロックというよりクラシック的に演奏されている。 あとでこの曲の事を調べようと、机の上のメモ帳に、部分的に聞き取れた言葉や曲の要素を書き留める。ペンのインクが切れかかっている。 別のペンを新しく出そうと、机の引き出しの一番上を引き、ストックしておいた、使いやすそうだったり、特別に綺麗に感じられるものや、Aおばから貰った使いづらい万年筆とそのインクや、サナちゃんの家の三軒先に住んでいる、とくにわたしとは仲良くない子が去年唐突にくれたシャーペンを右手人差し指と中指でよけて、気が付くとハサミを手にしていた。
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