これカノン

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これカノン

家にも、品の良いのとそうでないのとあるのだと、ここへ来ると子どもながらによく判る。 うっかり者を容赦しない街の住宅地はいつも水の中の宮殿を思わせる静かさと荘厳さでつづくが、いつもわたしたちはその最中、小道に右に入り、種類の判らない高い数本の、濃い緑色の大きな厚みのある葉の木と、周辺の家に似合わないアパート一軒を左に見ながら静かに五メートル程、家の詰まっていない特別区の方へ行く。 少し小高くなり、より人々を見下ろせる場所に出る。 すると、さっきの洋風の木と違う年代物の和の背の高い木々の間に、和風の玄関、その前に和洋折衷デザインの鉄製の扉となる。 父が、鉄扉の留め具か何かを数秒いじると、その音だけでAおばは彼女独自の魔法で察知して、サイレン並みにとおる声で「どうぞー開けてくださーい」多分中の長い廊下の、玄関手前一メートルから叫ぶ。 長男の嫁というのはここまで感知能力がなくちゃいかんのかと、わたしは毎正月すこしぞっとするが、三日後には忘れてしまう。 一年経つとまた同じことを思い、忘れる自分に驚くのだ。 父が門を開けて、玄関の横開き和のドアを開けるとき、大体母はわたしを押しながら、持って来た紙袋を確認したり落としたりする。 紙袋はいつも四つあり、一人で持ちきれず落としたり、車の中に忘れたり、そもそも車に持って入るのを忘れたりと、毎年すんなりいっていない。 「ねええ、どれがBおばさんの」わたしに云うので「知らないよ、お母さんしか判らないでしょ」 「あんた、ランク付けしてんの、バラさないでよね」 「今の今まで、ランク付けしてるなんて知らなかったよ」 「うっそー」 「母さん、早くしなさいほら」 玄関に入ったら一度三人で横に並んで、おめでとうございますを云おうとするが、Aおばの「まー!あーけましておっめでとうございまーす。タカアキ!タカアキ!ユキヤ!カノンちゃん達いらしたわよまーあかーわいい、ねえ、なんて良いんでしょう女の子って、ねえ」大声に消されるのが慣例だ。 タカアキだけがすぐに駆けつける。長男の嫁とその長男の行動。 「カノンちゃんに新しくね、可愛いスリッパ買ったのよ、ほーらどお」 「おねえさん気をつかわないで下さい」 「そうですよあらーこれ、タカアキ君、持ってもらえる。あのね、これ、じゃなくてこれかしらね、あのね」 「全部一旦貰いますから、茶でも飲んで、落ち着いて下さい」 「あらそうお、あのね、そうね、そうかしら」 「カノン、スリッパの御礼を云いなさい」「ありがとうございますAおばさん」 Aおばは、多分、五オクターブある。こういう時は、低い、しっかりした、地面を這う、全て濁音に思える発声法で返す。「まーあーなーんて可愛いのかしらっねえ!女の子が来るとぱあーっと華やかになるものねーえもーずーっとおばさんカノンちゃん待ってたのよー」 Aおばは、タカアキの、地黒なのと背の高すぎが嫌だと云う。男の子で見た目がこうでしょ、ときめきがないのよね、と。 玄関は黒い石が詰めて敷いて固めてあって、靴の裏が気持ちいい。いつでも髪の毛一本落ちていない。 右に応接室、その左に洋風階段二階へ曲がり上がる先は見えない。真ん中は長い焦げ茶の廊下、先は見えない。左におばあちゃんの部屋、その向こう、廊下沿いに少し行くと洗面所など水まわり、掃除機やらの入っている荷物入れを過ぎるとダイニング、そのまた向こうはキッチンで、そこにあるコーヒーの豆ひき道具を気にせずにいられない。うちにはないし、いつも、使いたくて堪らない。でもそれを口に出してはならない。ドラマに出てくる金持ちの家ではたいてい応接室に暖炉だが、この家ではダイニングにある。 応接室には、直径が一メートルくらいのシャンデリアと、大人が十人近く座れるソファーと、祖父とおじ達が足をのせるガラスローテーブル。 鳥かなんかの毛のいっぱい付いている茶系のグラデーションの、長さ五六十センチの、シャンデリアの埃取りと、タカアキのダンベルがいつも入ってすぐ右の辺りにある。 壺だとか絵画は一切ない。あるのは大きな出窓と、タバコの煙だから、わたしにとってドラマの応接室はリアルじゃない。誰が壺買ってんだと。 この人達は、壺やら絵画に関心は一切ない。芸術がすきな人間はこの一族には居ないと、おじ達はいつもさも楽しげに笑って云う。マネーはマネーに使うんであり、余りすぎた所から妻に宝石や服を買い別荘を買い、おいしいものをひたすら食べて飲み、たまにゴルフをして、車は買わない。 マイカーを持つのはうちの父だけで、それは、ドライバーをつけられないくらいの権力しかないワセダだからだと。 ここに居る間、わたしはやたら華やかな女の子のカノンであり、ワセダの娘というシールが付いている。 Aおばは、色白だから良いと云う。 「カノンちゃん、色白はお金で買えないのよ、おばさん、買えるもんなら買いたいわ、ね、きれいな手。きれいな手も買えないのよ、見てBおば、ね、皺が、ぜーんぜんないのよ。しみも皺もないきれいな手はね、一億より価値があるわよ、ね、Bおば。五十過ぎたらほうら御覧なさいこうなっちゃって!カノンちゃんみたいな手なら宝石なんて着けないのよ。手が一番の宝石だもの」 おばあちゃんは数年前に死んだ。とても怖い人だったと皆云う。 生きているおじいちゃんも、一度も笑わない。バウムクーヘンを頬張る母に訊いてみたことが去年あるが「はんは、そあ、せんえんうまえの、せんちゅうを知ってる人だからじゃん」 「お母さんのお母さんのおばあちゃんは怖くないよ」 「ほうお、あれじゃん、体弱いからじゃん」「バウムクーヘン食えてよかったね」 「バウムクーヘン、最高じゃん。あんた食べないのね、変な子」 おじいちゃんは、何だか赤外線の発明をしたらしく、高度経済成長期とかでとにかく儲かったのだと、父が云っていたが、赤外線を用いた機械の話は難しくて理解できない。 センゴの日本には、とても必要だったらしい。 「昔、人の手や指は今より簡単に切れてしまってたんだ。工場なんかの安全面が十分じゃなかったんだな。今そうじゃないのは、おじいちゃんみたいな人達がそうならないで済むように色々頭を使って工夫して、それでお前やお友だちが指を切断されなくていい安全なものを使えるんだ」 父はおじいちゃんのことを、誰よりも苦手に思っているのが、いつもよく判る。 わたしが判ってしまうから、父は、わたしに色々話しすぎてしまうし、わたしばかり大切にして、お母さんのことは二の次なのだ。そして最後にかなしくなるのはわたしだ。 わたしは、カゾクってそういうものなんだと、七才の時から思ってあきらめている。 きれいで輝かしいものじゃない。Aおばの必死さも、東大に入らなくてはいけないタカアキもユキヤも、あたたかい木漏れ日を見ずに、有っても知らず生きていく。 この家に来るたびに、何かの絶望を見ている気がする。何のだかは知りたくないので考えないようにする。判ってしまったら、もうこの家に来られない気がするのだ。 どうせ母方の半額しかお年玉をくれないのだから、来なくてもよさそうなもんなんだが、合理的だという免罪符は、かなり使えない。 父の家で出される豪華な食い物達は、全て、おじ達のタバコの煙を吸ってタバコ味のベタベタしたかたまりになる。 それでも嫁いで来たAおばとBおばはおいしいおいしいと五十回も云い、そこまで気のつかえない母は「まーもーねー」と云いながら、三分にひとかけ食べ物をテーブルにこぼす。 おじ達は、ビールで食べ物を流し込みながら、いつも実質インサイダー取引に当たることをしている。父は決してその事に触れない。 ここの家でしか見ない事聞かない事は多く、良いか悪いかではなく、世の中にはほんとうに色んな人が居て色んな暮らし方をしているんだと、頭と心をヴァージョンアップする役には立つ。 いつも学校のお友だちと話す時、わたしだけ少し上に抜けているのは、そういうことが要因になっている気がする。判らないけれど。 いつもいつも、そこそこ下流と中流と、超々上流のそれぞれの暮らしを見て暮らしていると、どれかだけに染まることはできない。 わたしの大すきな真壁くんの家は、そこそこ下流なのだと思う。 うちの半分の大きさの古い型のテレビ、そこら辺で売ってるチップスと、曇りの日でも昼からはつけられない照明、昭和型らしき郵便ポストのある玄関前の狭さ、向こう三軒までの薄暗さ。 徒歩で三十分くらい離れたうちの辺りとは違う。 そこそこ下流の玄関に、新しい靴はない。真壁くんとその弟がはきつぶし中のスニーカーがバラバラになって、そういう家独特の変な色とりどりになり、仕舞われることはない。 同じくクラスメイトのサナちゃんちみたいな、綺麗なものが棚の上に飾られていて毎回行くたびに目がいくとかいうこともない。真壁くんは靴べらという物を知らない。 それでも、わたしは、知っている人のなかで真壁くんをいちばん幸せそうな人だと思っている。 子どものくせに「正しい奴なんか、いねーんじゃねえの、わかんねえけど。俺は一生正しくなんかねえし」と云った。夕方。 彼がどうしてそういう思想になったのかは全く判らない。彼は、思想という言葉を知らない。生活に最低限必要な熟語以外は覚えないのだと云う。「あんま、俺にわかんねえ難しい言葉使うなよ、友達なんだからよ」そう云うとき顔は穏やかで、音量もおさえられていて、責めてるんじゃなくて伝えたいだけって、伝わってくる。 いつもわたしが喋ってばかりいるから、何かをキャッチしそびれているのは、何となく感じているのだけど、喋るのをやめられない。 真壁くんとわたしは五才で出会ったのだそうだ。覚えていないが、彼がそう云う。 真壁くんとわたしはお互いに大すきだけれど、子どもだし、お付き合いだのしたり、ケッコンすることはない。 わたしはケッコンするタイプの女の子ではないと何となく知っている。 そして、真壁くんは結婚をするのだろうと思う。二十五六とかあたりで。子どもを作って育むうちにおじいさんになって、老衰で死んでほしい。 なるべく不幸な目にあわないでくれればわたしはそれでいい。 彼はわたしの魂をわたしに自覚させた。自分にそういうものがあると、知らせてくれた人だから、大切にしなくてはならない感じがする。その感覚を何と呼ぶのかは知らない。 真壁くんと一緒に過ごすといつもそう思う。わたし達がケッコンしなくても、二人でいる時ほど幸せなことは、本を読みふけったり、女の子でいちばん仲良しのサナちゃんと美しい音楽を聴きながら前向きな話をすることとか、お母さんの手作りプリンの、カラメル無しの温かいのを食べることとか、春を感じるときとか、まあ、色々あるけど、どれもとてもすばらしい。 サナちゃんは、わたしの良いところしか見ないし、批判的精神には欠けていて、わたしを、まるでお父さんがいつもそうするように美化して語るくせがある。 ミキちゃんや今日子ちゃんはそもそも知性が欠けていて、皆基本的に良い子だけど、余りにも流されやすく、それだからつまらない展開になりやすい言動しかできていない。光るものがない。時々、わたしなんかより良い子達なんだろうなと思うけれど、光がないのはけっこうキツい。 サナちゃんの持つ光りは、三日月を連想させる。彼女がドビュッシーの曲をすきだからかも知れない。 彼女ほど正直ですなおで、明るく、清潔で、何に対しても最低限以上のセンスを持ち、ひけらかさず、感じよく笑う女の子には、今のところ他に出会っていない。 わたしからして、彼女の一番の欠点は、わたしを誉めすぎることだ。 それはちっとも本当じゃなく、彼女の願いみたいなもので、甘えで、出来れば一生わたしとの間柄をそういうようにしておきたいという気持ちが透けている。出来るわけがないと思う。 真壁くんやサナちゃんと別れて、一人で住宅地の道を歩くとき、なぜこんなにネガティヴなのだろうと考える。 わたしは自分が光りを持っていて、一部の人たちからとても眩しく思われているのを知っている。三ヶ月に一度くらい、そう実感する体験があるものだ。 誰もわたしをふつうの子だとは云わない。母はクレイジーだと、広岡先生は明るすぎて喋りすぎだと、道端先生は、美意識が高くて落ち着きのない芸術家タイプだと、日名先生は、女の子でこんなにケンカの強いのは見たことないと。男子たちの、主に運動が得意で自信のある群は、海野のやり方には容赦がねえ、恐ろしいと云う。 気の弱い者をからかっているのを見ると、加害男子の胸ぐらを掴んでそのまま後ろに倒したり、そいつのバッグでそいつの側頭部を打ったりして来たからだろう。 わたしのおばで、昔ケンカの強いひとが居たらしい。母の姉らしく、十年以上前に、出産の際に体調をおかしくして亡くなった。 その時に女の子が生まれたらしいのだけど、母方の集まりに来ないので、常々、忘れられた人みたいになっている。 血の繋がらないおじの一人に当たる、その子の父親も、数年前にガンで死んだと、母から聞いた。 それで、その女の子はどうしているのと訊ねると、母は例によってバウムクーヘンを食べながら「ひあないわよ」と云った。 「姪だよね、お母さんにとって」 「ほうほ」 「それなのに、そんなんでいいの、気の毒とかなんか、そういうのないの君には」お茶を淹れるわたしに 「だから図書カード一万円あげたわよ」ありがとうも云わず茶を飲み出すから、 「君みたいのがおばで、会ったこともないイトコが気の毒だ」と云うと、 「その子の父親も、もう死んだけど、あたしがギフト券送っても御礼状一枚よこさない親子なのよ」まだバウムクーヘンを食う。 「御礼状もらわなきゃやだなんて、子どもの言い分だよ」湯のみを片しながらつきはなすと、 「あーおいしいわ、カノンも食べればいいのに、口の中の水分持ってくのやなの、お父さんそっくりね」 わたしと同じように、女の子のくせにケンカが強かったというおばさんの娘は、どんな子なんだろう、やっぱりケンカ慣れしてるのだろうか。 女の子で男に立ち向かって行くようなのは父方でも母方でもわたしだけと云われるからには、わたしだけじゃないという証人可能性の唯一の候補なのだが、写真一枚見せてもらったことがない。イトコXは、どこかで生きている。 母たちが、居ないような扱いをしているだけで、ほんとうは生きている人がいることを、時々不思議に思う。人の存在って、そういう要素抜きにとらえられないのだと。 わたしのことを明らかにちっとも愛していないAおじやBおじからしたら、わたしだって、居ないみたいなことだろう。 去年のお盆に、父の実家の一番楽な時間帯に当たる、御手伝いの忙しくない昼の三時過ぎに、和のリビングの中のひとつで、座って、村上春樹のノルウェーの森を三ページ読み進めていたら、Bおじから「そんな、どうせ将来何にもならねえもん読んでんじゃねえカノン。しょうがねえな」と、笑われた。 「そんなしょーもないもん読んでるのはこの家でお前だけだぞ」 それで、少し後、母に小声で「おじさんのやってるゴルフだってしょーもなくないかね」と云ったら、パウダーファンデーションをパフで足しながら、鼻の下を伸ばして 「なんか役に立つんじゃない、お偉いさんがた同士で」と云った。 母は薄化粧で、直した後も全然変わらないので、意味なくないかと訊ねたら、変わってなくても何となくやんのよ、変えたいからやってんじゃないわよという返事だった。 こればっかりは、自分が本格的に化粧するようにならないと、何とも云えない思えない。 うちの近所に、昔からませていて、一年中オフショルダーの服ばかり着て、小学四年からカレシの絶えたことのない、たまに人をいじめる、優子ちゃんというのが居て、母は数年に一度、彼女について、自分の娘でなくてよかった、やさしくないし、優秀でもないのに優子ちゃんなんて笑えると云う。 わたしと母の気持ちが少しだけ近くなる貴重な案件。 優子ちゃんの家の前には、いつもカレシの車かバイクが停めてあって、近所の人たちは自分ちの車を通すのに邪魔で仕方ないと云う。 彼女は中学一年の時からうちの母の十倍くらいのファンデーションを使って毎日フルメイクしていて、小学生のわたしにイヴ・サンローランというメーカーの香水を付けた。 母も、父方母方双方のおばたちも香水を着けないから、生まれて初めて香水に触れた機会だった。 「カノンちゃん腕出してみ」 「高いんでしょ、勿体ないよ」 「いいから腕出してみ」 左の手首に付けられたイヴ・サンローランは、ほんの少量なのに強烈で、背徳の甘さを知らせて来た。 この間、優子ちゃんに久しぶりに遭遇したら、髪が更に長くなってくるくる巻かれてボリュームがでて、所々に黄土色のメッシュが入っていて、例の香水っぽい、それに何か混じった、よく判らない匂いを纏って近づいて来て「みてみ」と左腕を出した。 「カノンちゃんみたいな子には腕輪って思えるだろうけど、バングルだよ」 「バングル」 「きれいでしょ」 「全体的に、少し見ない間にパワーアップしたね」 髪をかき上げて笑って 「まあね、いい年だからね。自己満だけどね所詮」と云うので、銀色の、ネイティブアメリカン的な紋様を細い面積に無理やりうまく詰め込んだバングルを見ながら 「どういう意味」この人こっちに時間が有るか聞かないなと思っていると 「こういうのってさ、メイクもネイルも全部、結局自己満なんだよ。うちのお母さんとか、友達とか、色々いうけど、別に、自己満だしって感じってこと」 「優子ちゃんのする色んな事……おしゃれとか、いい香りとかそういうのは、自己満足の為って云ってるの」 「そうだよ」 また髪を同じやり方でかき上げて 「カノンちゃんもその内わかるよ。ほんとの恋して、もっと、メイクとかもちゃんとするようになってさ、ある程度すれば。でもいいんだよ自己満でまじ。女の人生って、自己満じゃん」 住宅地に上から強く降る日射しで、数秒に一度何色かわかりづらく見えるカーキ色の地に、アロハっぽい、白い花柄の、背中と胸元が大きくVに開いている、薄くてひらひらする布の、ブラウスみたいなトップスに、白のショートパンツで、脚は日に焼けていて、左膝の所に新しい赤い、三センチかける三センチ大の傷。 「ちょっと、判らないけど……心にとめておくよ」 彼女は、三階建てでこの辺りで目立ちがちなうちの外壁に目をやって 「あんたんち大変だね、めんどくさそう」と云ってから、右の口の端だけで一秒笑って、去って行った。 優子ちゃんは、たぶん二桁の暗算くらい出来るんだろう。 わたしは出来ない。幼稚園児の頃、父から特訓されて、口頭による出題から十秒以内に答えろと云う父の圧に動揺しすぎて却って出来なくなってから出来ない。 学校で、たまにそれはダークなタイプの驚き案件になる。 女の子も、男の子も、先生も、本当に信じられないという顔をし、そう云う。奇妙な空気感は三十秒はなくならない。わたしはいつもその間を自分の精神力を信じて堪える。 頭いいのに、どうしてこんな簡単なことが出来ないの、クラスメイトの女子の何人かは笑う。 書けば分数の割り算でも人より速く正確に解けるのだけど、暗算は出来ない。 サナちゃんだけが、気にすることないと云う。そんな案件より、ドビュッシーの偉業について語り合うのに時間とエネルギーを使おうよと。そして二人で廊下をスキップして笑っていると、先生から注意される。 暗算出来なくなったのが直っていないことを、父には云っていない。母には一生云うつもりもない。彼女には飲み込める話ではないのが判るから。 サナちゃんは、カノンちゃんにはリストが似合うと云う。 おじ達からしたら、音楽もムダなのだろうか。 サナちゃんのお父さんは銀行の支店長をしているが拝金主義的な雰囲気の人ではなく、レコードをたくさん持っていて、大切にしている。 Aおばの兄弟の誰かが、その銀行の頭取をしている。 母は、頭取は運転手がついてるから運動不足で太るのよと云う。バウムクーヘン真理教の女の云うことかと云うと、あんたってほんとあーいえばこーいう教ねと。 父も母も、無信仰無宗教だ。だから、何も信じなくていいと云われて育った。父は、何かを信じるから争いになると、自分で考えることを放棄するなと、夜ビールを飲みながら云い、父さんは大人になってからも何かを信じてしまわない人生の大変さと格闘してるんだとか、平和や政治についてオリジナルの感じ方や考え方を模索しつづけない人間は四十も八十も同じだと云って、目を閉じて、自分に酔いしれる。 父の語りつづけるダイニングから、自分の使った皿を片す口実で離れ、キッチンに行くと、母が牛乳パックを冷蔵庫に仕舞いながら「何あれ、またきれい事いってんの、ばかじゃない」。 わたしは、去年から真剣に強く政権交代を望んでいる。 少女マンガに夢中になれず放り出し、日本の社会保障制度について調べだしたら余りにも脆弱なので、真壁くんに云うと「俺にはわかんねえよ、お前が、思いたいように思ったり、考えんのはいいけどよ、俺は興味ねえよ」ということだった。 彼とは今まで、死刑についてとか、仮釈放について、自殺幇助罪について語り合った、というかわたしが話し意見を求め、少し彼が話して苦笑いし、わたしがまた語りまくるということをして来た。 地主の家の壁に与党議員のポスターあり、母は知らず、父は半ば諦め、ヒロナカデンキの娘婿という背の低い赤ら顔のカリスマ性ゼロおじさんが市長選に出るに際して、辺りの人々にギフト券を配り、うちの玄関では母は困ってどうにも出来ず、父が出動して夜の八時過ぎから三十分近く話し合って、受け取れないことを了承してもらい、うちから百メートルの所にあるヒロナカデンキはもはやデンキに関する仕事はしていない。 国道沿いのレストランは十年閉店したまま建っていて、暗茶色い。その向こうのドラッグストアーの、店頭に置いてある制汗スプレーのパッケージの浮かれた色が、通りをいっそう落ち込ませる効果を発揮している。 わたし達はすごい金額の年金をおさめて、たぶん受けとることはない。極端なことを云えば一円でも払えば破綻はしていないと政治家は言い張ることが出来ると父は云い、消費税は子どもながらにもうおさめていることになる。 だけど良い野党が居ないから仕方がないと父は云い、娘はそれを育てるべきと思う。仕事が忙しいとそれは出来ないと話す両親を情けなく思い、髪をとかし、作文を書き、テレビを見ず、芸能のトレンドから日々遠くなる自分と友だちや同級生たちの違いに不安になり、どうしていいか判らない。 怖いときは社会保障制度は改善案を考えて、父から貰ったノートに書いて、読んで、直して、まとめ、また書いて、イラストもそえる。そうしていると気がまぎれるし、無駄じゃない感じがするし、良くなることを考えるのは楽しい。 野党育成を諦めることは、自分たちの人生を諦める事だと思うが、それを話せる相手が居ない。 これからも居ないのか、そうじゃないのかは考えないようにする。 ジヴァンシーの香水は、去年、男子にからかわれていたのをわたしに助けられたと一方的に主張して来るくるみちゃんがくれた。カノンちゃんのイメージにぴったりな香りなの。 優子ちゃんのとは香りからボトルから随分ちがう。 わたしは、白のコットン百パーセントの、フロント部に細かなプリーツによる縦の線の五本入った、ウエストの左右にリボンの一つずつ付いたブラウスに、シンプルなジーパン、黒のエナメルパンプス。 母は、父方の謎の集まり用に買ったのを毎日はくなと云うが、わたしははくのを止めない。 「どうせそうしている内に、また足が大きくなって、新しいの買うなら、沢山はいた方がもとが取れるでしょう」でも本当はもう最近は、足はほとんど大きくなっていない。 新聞が伝える東ヨーロッパの惨事を日本人は語り合わず、ほとんど知らず、わたしも、東ヨーロッパがいまいち捉えられていない。 西ヨーロッパのちょい右。右ではなく東。だから東ヨーロッパ。 昔から東西南北を左右上下に頭の中で言い換えてしまうくせが直らない。あと、Europeと書くとき「えうろぱ」と心の中で云わないと書けない変なくせ。 えうろぱは一つに成る。イギリスだけが文句を云えて、超ビートルズ、文化を世界に与えてやった国って感じがいい。国の広さは、地図で見ると日本と同じくらいに見える。えうろぱは広いが、イギリスの近代の文化の出し方は半端じゃないから、狭い感じがしない。お父さんは、昔植民地だとかひどい事をしての事だと、イギリスを決して褒めない。
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