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仙人に逢った日
「ちょっとイメージと違うかなぁ」
一眼レフのファインダーを覗き、早朝の仲見世通りを見渡しながら私、横田浩子は呟いた。
『浅草で建物の写真を撮るなら朝早くがいいですよ』
同じ会社の後輩、伸行のそんなアドバイスに従い、早朝6時発の電車に乗り込んで千葉くんだりから浅草にやってきた私。
たしかに雷門の前の観光客はほとんどおらず、ベストな視点から撮影し放題で、テレビなどで普段の芋洗い状態な風景しか見たことが無かった私にとって、とても新鮮なこの状況にはちょっと感激した。
何よりも、早朝の陽光が作り出す明暗の陰影はどこか瑞々しく感じられたのは小さな、それでもかなり、胸をくすぐられる発見だったのは否めない。
「でもなぁ」
ファインダーから再び目を離し、仲見世通りをふらふらと進みながら呟く。
朝の7時過ぎでは何処のお店もまだ開店前。
シャッターは降ろされたままで参道を行き交う人もまばら。
シャッターには四季折々の伝統行事を壁画調にペイントした浅草絵巻が再現されてはいるが。
それじゃない。
まったく生活感が感じられなくて、まるで精巧な箱庭を見ているようだ。
なるほど、
『建物の写真を撮るなら』
という彼の忠告はまあ正しかったのだが。
私はそのまま浅草寺へと向かった。
建物を建築的、或いは美術的に捉え、細部と造形の記録として残すには、私はまだまだ知識不足だし、その知識を広める予定も今のところない。
プロのように、人と違った着眼と技術も持ち合わせていない。
私はやっとAvモードの切り替えを覚え、F値の切り替えや明るさの調整、ホワイトバランスが何たるかとかを覚えたばかりの超初心者なのだ。
そんな私の徹底的な私見ではあるが、活気のない風景を写真に撮るというのはもの凄く難しい。
主題が定まらないし、なによりテンションが上がらない。
感覚的に写真を愉しむレベルの私には、あまりに難題な対象風景だった。
とはいえ、やはり神社仏閣は緊張感が上がる。
ことさら、この浅草寺は都内最古のお寺であると言う事実もロマン値が上がる要因だ。
うん、来て良かった。
私は夢中でカメラのシヤッターを切りまくり、設定の数値をあちこち変えまくった。
何が良いか悪いかは後でゆっくり考えればいい。
とにかく、今はこの閑散とした状況と、瑞々しい陽光の条件の中で、ひよっとしたら撮れるかも知れない奇跡を手探りで探す。
それだけに集中して、ただひたすらシャッターを切りまくった。
ふと、光りの変化を感じた。
新鮮で生気に満ちていた陽光が暖かみのある光りに変わったのを感じた。
見れば、回りの参詣客もかなり増えてき始めていた。
時計を見ると、8時半を回っている。
一時間ちょっとの撮影時間。
だけどあっという間だった。
参詣者が少なくて集中出来たのだろう。
伸行に感謝。
(我ながら現金な事だとは思う)
仲見世の方は、店が開き始めてはいたが、まだ閑散としていた。
お店の開き具合から、9時頃が開店の時間なのだろうかと予想する。
うーん、やっぱり仲見世は活気のあるところを撮りたいかな?
と、成ればここいらはもう充分堪能したから、小一時間ほど、町中でも撮って回ることにした。
とはいえ、浅草は浅草寺に初詣に来たことしかない町だったので見当も付かない。
インターネットで多少情報を収集はしたが、大体が仲見世通りかその近辺のグルメ情報に終始していた。
そう言うところの調べ方しか知らない自分も悪いのだけど。
そう言えば、近くにはなやしきが有ったはずだ。
結構有名な遊園地だし、そちらに向かって町中を散策すれば何か面白い物が有るかも知れない。
私はそう決めて散策に乗りだした。
で、数分後に私は知りたくもなかった事実を2つ知ることとなる。
一つ目は、
有名な施設は、有名だからと言って必ずしも簡単にたどり着けるとは限らないと言う事。
そして、二つ目は、
私は自分がビックリするほど方向音痴だったらしいと言う事だった。
あとで調べたのだが、浅草寺からはなやしきまでは、迷いようが無いほどのほぼ一本道。
その道すがら、途中の風景を写真に納めつつ、私は2度もお店の準備をしている店員さん達に道を聞いて慎重に町歩きをした結果。
あざやかに迷子になっていた。
自分のアホさ加減に吐きそうだ。
十字路のど真ん中、4~5人でお笑いライブのチラシ配りをしていた人の良さそうなお兄さんに、私が今居る場所を尋ねたところ、『浅草六区』と言う地区らしいと言う事が解った。
なにやら、結構、活気がある街角だ。
時間は9時を回っていた。
仲見世に戻ろうかと思ったのだが、また迷ってしまってもしょうがないと思い、折角縁のあった場所だし、とりあえずは暫くこの辺りをぶらぶらとしてみることにする。
十字路をそのまま真っ直ぐ向こう側に行った辺りが何やら賑やかだった。
何か催しでもやっているかもと思い、まずはそのまま進んでみることにした。
間違えたと思ったらば引き返せばいい。
そう、当てなど端から無いのだ。
引き返せば住む話だ。
そう思った。
そこに展開する景色は異様な物だった。
5、6m程の幅員が有る舗装道路の両側に20件ほどの居酒屋が、長屋のように並んでいる。
居酒屋は店舗ではあったが、店の軒が解放されて長机や椅子の置いてある店がほとんどで、一寸見には屋台が連なって居るようも見えた。
それの何が異様かというと、まだ朝の10時前だというのに、ほとんどの店に客が集っているのだ。
呑んでいるのだ!中には出来上がってる一団もあった。
休日の私が、いつもなら眠い目を擦りつつ、朝ご飯を食べている時間に!
あろうことか、盛り上がっている!
さらに、
「オネェさん、どう?まだ、座れるよ」「うちはクジラがあるよ!美味しいよ!」
等々、お店のお兄さんやお姉さんが客引きをしてる!
客引きだよ!
「ちょっと休憩していきませんかー」
いや、無理だろ。
居酒屋で休憩とかしたら、その日はそれで終わりだろ。
とか、自分は常識人で有る事を心の内で主張しつつ、それでも、その背徳の香りのする並々ならぬ雰囲気を、被写体として欲っする感情は禁じ得なかった。
だけど、コレって撮影して良い物なんだろうか?
ああ、あのオジさんイイ顔してる!
雰囲気のいい店、雰囲気のイイ酔っぱらい……。
ああ、撮りたい、撮ってしまいたい!
一体、どんな手続をすればいいの?
あまりに未知でカオス過ぎる。
多分、私は、カメラを小銃のように握り締め、物欲しそうな顔で彷徨って居たに違いない。
通りを先に進むに連れ、呼び込みから掛けられる声の数が増えていくもの。
こーいうのだよ、私の撮りたかったのは。
日常に潜む非日常と混沌。
だけど、それは何も特別なことではなくて、ホントはずっと当たり前に有る日常。
そんなのを、自分の回りにはない街並み、仲見世や仏閣に求めていたんだ。
私はこの強烈な場の空気でそんなことを自覚していた。
そんな私はあろう事か、物欲しそうな表情を振りまきつつ、その400mばかりの通りを往復し始めていた。
そして、もと来た十字路が見え始めたとき、私は衝撃の出会いを迎える。
連なる居酒屋通りの外れに当たる一軒のお店。
そのお店は、店の前の路上に張り出して15人ほどが座れる長テーブルの客席を設けていた。
まばらだがそこそこの賑わいを見せるその隅っこでジョッキ片手に酒をあおる眼鏡と口ひげのオジさんが、
すごくいい!
昔の映画の西部劇に出てくるカウボーイが被っているようなテンガロンハット。
口ひげは無精ひげではなく、短く唇に掛からないようにキチンと切りそろえられて、赤系統のアロハシャツのような服を着ていた。
そのオジさんが、頬をほんのりと赤くして、左腕をテーブルに預けクタリと軽く重心を預けながら楽しそうに笑っている姿。
決して渋くも格好良くもなかったが、最早、私の中では国宝級にいい味を出していた。
「すいません!写真撮らせて貰っていいですか!」
刹那、私はカメラを構え、オジさんにそう声を掛けていた。
オジさんは驚いた風でもなく、極々当たり前のように、ジョッキグラスを私に向かって突き出し、微笑んだのだった。
これって、撮影してイイって事だよね?
夢中でシャッターを切った。
オジさんはすぐにジョッキを持った別の手でサムアップしてみせると、煽るように下から上に手をひらめかせた。
我を忘れるまで撮った。
オジさんはその間中次々に自然にポーズを変えて応えてくれた。
一言の応対もなかった、だけど、なんだろう、そのポーズの一つ一つが、この人の人柄や、今のこころもち、延いては場の雰囲気を醸し出していた。
納めたい。
全て!
気がついたときには、回りの客がどん引きしたように静まりかえっていた。
しまった、やり過ぎたことを悟る。
「すぃませんでしたぁ!」
恥ずかしいことに声が裏返ってしまった。
回りから笑いが起こる。
なんか、手を叩いてる人も居る。
ハズかしい。
「まあまあ、座んなよ」
テンガロンのオジさんが自分の隣の丸椅子を引き出して私に奨めた。
「それが仁義ってもんだ」
なんだか解らなかったが従った。
この状態を回避するには輪の中に入るしかないような気がした。
まあ、それほど動転していたのだ。
「オネェさん何飲むの?」
お店のお兄さんが威勢の良い声で尋ねてきた。
ああ、そうだよね。
居酒屋の席に座ったって事はそう言うことだよね。
「折角だからコレの飲みなよ。ぽッピー」
テンガロンオジさんが自分のジョッキを突き出して奨めてくる。
自分と同じ物を飲んだらいいと言う事らしかった。
「それ、何ですか?」
私が尋ね返す。
「だから、ぽッピー。サワーってあるでしょ?焼酎をレモン味の炭酸みたいなので割った奴」
「あ、はい」
コクコクと頷きながら返事をした。
「アレのね、ビール味。焼酎をビール味のサワーで割った奴」
説明を聞いてもよく理解できなかったが、取り敢えず味がビールに近いと言う事は解った。
私は「あ、じゃあそれで」と無責任な答えを返していた。
「ボクが奨めたんだから、一杯目はボクが奢るからね」
「あ、それじゃ悪いです」
遠慮する私にオジさんは「仁義だから」と言って微笑んだ。
それじゃ、お言葉に甘えて、と一息ついたとき、
ひょっとしたら、私はナンパに引っかかったのかも?とかの不安が過ぎった。
いくら人が良さそうに見えても、朝っぱらからお酒を飲んで出来上がっている変なオヤジで有ることに変わりはなかった。
なんか、急に目のやり場に困り、テーブルの上を目が泳ぐ。
割り箸の束が入った箸立て、各種の調味料瓶。
カードケースに入ったメニューが目に入り、そこにソフトドリンクの名前が並んでいるのを見付け、ああ、お酒を頼む必要は無かったんだとちょっと後悔の様な物を感じた。
ふと、異様な物が目にとまる。
テーブル、テンガロンオジさんの前にプラスチック製の蓋付きコインケースが置いてある。
お店で営業のおつり用に10円玉や100円玉を入れておくあのケースだ。
なぜ、おつり用のコインケースがお客さんのテーブルの上に?
だって、相手は酔っぱらいだ。
いくらまだ日が高いとは言え、間違いが無いとは限らないではないか。
テーブルの上のコインケースは百円硬貨の入るタイプで、確か、一杯にすれば5,000円に成るはずだが、今は2/3程になっていた。
色々頭の中が一杯になってきたとき、ジョッキに並々と注がれたぽッピーが運ばれてきて、私の前に置かれた。
すると、テンガロンオジさんは目の前にある件のコインケースに手を伸ばし中から数枚の100円硬貨を取りだして店員に渡す。
「はい、50円バックね」
店員さんはそう言ってオジさんにお釣りを渡した。
って、えー!それ、個人の所有物だったの!
「この通りのお店はね、大体、キャッシュ・オン・デリバリー。お金と引き替えにお酒やおつまみを受け取るのよ」
そう言って黄色いコインケースを摘み上げ振ってみせる。
「いいでしょこれ、払いが簡単だし、お金の減り具合でどんだけ飲んだか目に見えるから、適当なとこで飲みを切り上げられる。お店も小銭の方が助かるしね」
何?
何なのこのオジさん。
なんか、カッコイイ……んじゃなくて、ダサ凄い。
私は多分呆気にとられていた、そして笑っていた。
あんまり、馬鹿らしくて、なんかどうでも良くなってきて笑っていた。
「それが仁義なんですか?」
私が笑い涙を指ではらいながら、そう尋ねると、オジさんは、
「ホントは仁義なんて無いんだけどね」
と言って、一際大きく笑みを浮かべた。
それから暫く、私はオジさんと杯を交わした。
オジさんおすすめのぽッピーは、すっきりしてて飲みやすかったし、おすすめの銀ダラの煮付けや牛すじ煮込み、特に座布団のような豆腐が一緒に煮込まれた牛すじは他にないほどの絶妙な甘辛さの絶品だった。
オジさんは浅草について色々と教えてくれた。
一番興味深かったのは浅草寺本尊の聖観音像は未だに秘仏とされていて、一般には公開されないのだそうだ。
「特別に公開して人を集めるような事をしている所もあるけれど、そんなことしなくても、浅草には人が集まってくるんだよ。それだけ浅草という町は良い町なんだということなんだね」
嘘か真かは定かでないが、妙に説得力があった。
そのうち、先に席を立った一団にいたオバさんの独りが、オジさんに声を掛けた。
「仙人、またね」
『仙人』とはこのテンガロンオジさんの事だろうか?
「オジさん、仙人なの?」
そう言うあだ名なのか?と聞きたかったのだが、かなりお酒が回っていたんだと思う。
なんだが頭の悪い子の大変失礼な問いただしみたいになってしまった。
「そうさなぁ」
仙人は顎を掻きながら応えた。
「ボクが仙人というならば、いうところの酒仙と言った所か」
「酒仙?お酒の仙人?」
仙人は大笑いした後で、『そうかもしれんなあ』と楽しそうに言った。
「ああ、アレでしょ。『酒は百薬の長』とか言っちゃう人でしょ!」
すでにタメ口である。
仙人はそんな私の問いにフームと一息ついて答えた。
「酒なんぞ呑んで身体が健康になることなんぞ有るはずがない。身体の事を思えば呑まないに越したことなど有るはずもない。長く呑んでれば身体を壊し、数時間でも飲み過ぎれば狂い水、命を落とすことすらまま有る」
なんだか、意外な話の成り行きに、私はちょっと呆気にとられていた。
「だがな、酒は人の心を解放する。悪い方にも良い方にも。解放されれば楽になる事も有る、酌み交わせばわかり合える機会にもなる。『酒は百薬の長』。それは文字通りの生身に対する薬ではなく、精神に対する薬だよ。
もちろん、薬である以上、その使い方や量を間違えば毒にもなり得ると言う事だ、お立ち会い」
ああそうか、私が今感じている気分の良さは、精神の開放感なんだ。
仙人とわかり合えるかも知れない期待感なんだ。
ヤバイ、泣きそうだ。
私は必ず、また、この町に来るだろう。
カメラ片手にお酒を呑んで、この町に精神を解放し、町とわかり合い、
もっと素直に写真を撮るのだ。
「ねぇ仙人さん。この町いい町だね」
仙人は何も言わずにテンガロンハットの具合を直すと、ジョッキを掲げて応えるのだった。
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