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第一節 難事の始まり
中央大陸の南部に広がる平原。その緑豊かな肥沃な大地を国領として、“エレン王国”と呼ばれる大国があった。
エレン王国は遥か古の時代から存在する、歴史深い由緒ある国であり――。その国は独自の技法を有し、そして多くの騎士団などを持つ故に、数多の戦禍を経験した記録も万斛に残されている。
北方に存在する“フィネロ王国”とは、懇意にする同盟国として。
東方に広がる大草原に住む民族が集まる“ゼクセ多民族国家”とは、不干渉協定を結び。
西方に建つ“ニルヘール神聖国”とは、長く敵対関係の立場を取る。
そのような立ち位置に存在するエレン王国は――、今、“豊穣祈願大祭”と呼ばれる、国を揚げての政の最中にあった。
“豊穣祈願大祭”は、“全知全能の女神・マナ”を崇め讃える世界宗教の風習の下で、世界各国で秋に執り行われる古い俗習からなる豊穣祭である。
この時には、“全知全能の女神・マナ”を“豊穣の女神”と名称を変えて祀り上げ、その年の豊作を祝い感謝をすると共に、次の年の豊穣を祈願するために行われる。どの国でも、国を揚げて執り行われる、非常に盛大な政の一つだった。
建物から建物を繋ぐように張られた縄には、色とりどりの飾り罫が飾り付けられる。軒を連ねる家々には、鮮やかな花などで飾りが施され、至極華やいだ雰囲気を醸し出す。
エレン王国を統治する王家、“ファティマ一族”が住まう王城へと続く大通りとなる道には、多数の出店が立ち並び――、多くの人々が行き交い、賑やかな様相を呈していた。
そんな人出の多い大通りに、人混みを縫うように歩く、二十代前半ほどの年齢であろう青年が一人――。
色の抜けた淡い金髪に赤茶色の瞳をした青年は、欠伸混じりに大きく伸びをする。身に着けている赤い上着の左腕側には、エレン王国の自警団の証である腕章が嵌められており、その青年がエレン王国の城下街を警備する存在である自警団の一員であることを指し示す。
「さて、と。今日も何事もありませんように……」
身体を伸ばし、青年は気怠げに独り言ちた。
エレン王国で執り行われる“豊穣祈願大祭”は、他国で行われる祭りに比べると特に盛大で、この時期になると近隣の街や村、他国からの観光客も多くなる。余所の街や村、国からの来訪者が多くなる――、と言うことは、それだけ揉め事も多くなる可能性を意味している。価値観の相違から来る言い合いから始まり、質の悪いゴロツキ同士の喧嘩。実に様々な厄介事が舞い込む。
そのような場面に出くわした際に、仲裁に入り場を丸く治める。それが青年の所属する自警団の、仕事の一つでもあった。
「ん……?」
何事も無いようにと今しがた、願うように口にした青年であったが――。
はたと、自身の歩く大通りの先で、何やら揉め事が起こっているのが目に付く。
数人の如何にも質の悪そうな粗暴者、ゴロツキと――、ゴロツキたちに囲まれるように、黒い外套を身に纏い、外套のフードを目深に被った人物が言い争いを――。否、ゴロツキたちがその黒い外套の人物に対し、一方的に捲し立てていた。
「おい、小僧っ!! 人にぶつかっておいて、謝罪の一つも無いってのは、どういう料簡だっ!!」
青年のいる場所まで聞こえるほど、ゴロツキの一人の怒声が上がった。その大きな怒声に辺りにいた人々も、驚きからざわついた様子を見せる。
「…………」
ゴロツキの怒声に対し、黒い外套の人物は何か言葉を発していた。しかし、その声は静かで小さく、青年の耳には届かなかった。
だが――、その人物がゴロツキたちに対して、更に気に障ることを発したのを青年は察する。ゴロツキの顔色が見る見る内に、怒りで赤く染まっていったからだ。
「テメエ、よくもいけしゃあしゃあと――っ!!」
再びゴロツキの、怒りを大いに含んだ大きな声が上がる。
「もういいっ!! 制裁を加えてやろうっ!!」
怒りに顔を赤く染めるゴロツキの仲間の一人が、提案のように口にする。すると、他のゴロツキたちも厭わしい笑みを浮かべた。
「ちっとばかり痛い目に合えば、自分が悪かったって分かるだろうよ」
言うと、ゴロツキたちはゲラゲラと下品な笑いを上げる。
そうして、黒い外套の人物を強引に押しやるように――、ゴロツキたちは大通りの外れ。路地裏へと姿を消していった。
「あちゃー……。事案発生か……」
ことの成り行きの一部始終を見ていた青年は、煩わしげに呟く。
「仕方ない。仲裁に行きますかね――」
青年は呟くと、自身の右側の腰に携える剣の存在を確認した。
それは、場合により仲裁と称して抜剣し、脅しも含めた裁定を余儀なくされることがある。そのことを視野に入れての行動だった。
剣の存在を確認した青年が、路地裏に向かおうと足を進め始めた時であった。
「こらーっ!! お前たち、何やっているんだっ!!」
突として、その路地裏に向かい、大きな声を上げながら少年が二人――、駆け込んで行った。その姿を見止めた青年は、ギョッとした表情を浮かべてしまう。
「あの馬鹿たちがっ!!」
路地裏に駆け込んで行った二人の少年は、青年の顔見知りであった。
まだ年端もいかない少年たちではあるが――、その正義感は人一倍で、時にそれがトラブルに繋がることを青年は知っている。そうして、今まさに、自らトラブルに首を突っ込んでいった様を目にし、青年は焦燥してしまう。
青年が慌て、路地裏へ駆けていくと――。
ゴッ――!!
鈍い音を立て、路地裏に入り込んでいったゴロツキが一人。大通りに向かって吹き飛んできた。
「うおっ?!」
青年は咄嗟に身を捻り、吹き飛んできたゴロツキの身体を躱す。
吹き飛ばされ、地面に叩きつけられたゴロツキは――、完全に目を回していた。
(なんだ? 何が起きている――?!)
青年が注意を払いながら路地裏を覗き込むと、そこにはゴロツキに囲まれる黒い外套の人物が――、手に何か棒のような物を持ち、構えを取っている姿が映る。
「て、テメエ――っ!!」
仲間の一人を突然の応酬で仕留められたゴロツキの、怒りを含んだ声が上がる。
その怒りの状態にどこ吹く風と言った気配を窺わせ、黒い外套の人物は手にした棒を容易く片手で回転させたかと思うと――、迷い無く次なる相手へ、刺突となる一撃を食らわせていた。刺突の一撃を鳩尾に見舞わされたゴロツキが、息を肺から絞り出したような声を吐き、その場に崩れ落ちる。
「この野郎……っ!!」
いつの間にか手に折り畳み式の短剣を手にしたゴロツキが、黒い外套の人物に切り掛かった。だがしかし、その人物は棒を薙ぎ、ゴロツキの手から短剣を叩き落とし――、瞬く間に腹部へ蹴りを食らわせた。蹴りをまともに受けたゴロツキはいとも簡単に吹き飛ばされ、路地裏の壁に身体を強か打ち付け、伸びてしまう。
そんな凄惨な状況を――、青年は呆気に取られた面持ちを浮かべ、見つめていた。
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