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第二節 黒い外套の人物
黒い外套を身に纏った人物の立ち回りは、現場の状況を目にしている青年から見て、かなりの手練れであるということを悟らせていた。
(手にしているのは――。もしかして、棍か……)
外套の人物が武器として振り回している棒。それは、今は廃れて久しいと言われている古い武術――、棍術で扱われる木製の棒だった。
珍しい――と。そう内心で思わず感心していた青年であったが――。
「小僧っ!! そこまでだっ!!」
外套の人物に対し、一番怒りを露わにしていた最後の一人となったゴロツキが、大きく怒声を上げた。その声を耳にし外套の人物も、大通りから路地裏を覗き込んでいた青年も、息を呑む様を窺わせゴロツキを見やる。
「痛てえよっ!! 離せっ、おっさんっ!!」
ゴロツキの声に視線を向けた青年が目にしたのは、ゴロツキによって、服の首根っこを掴み上げられている少年の姿であった。少年は先ほど、この路地裏の現場へ仲裁に駆け込んで行った内の一人だった。
突如ゴロツキに掴み上げられた少年は、大きく声を張り上げてジタバタと暴れている。
「アイン君を離せっ!!」
もう一人の少年が、掴み上げられた少年――、アインと言う名前の少年を解放させようと、ゴロツキに飛び掛かる。だが、その少年にゴロツキは一瞥を送ると煩わしげに舌打ちをして、少年を蹴り飛ばした。
ゴロツキに蹴り飛ばされた少年は、容易くバランスを崩し、地面に尻もちをついてしまう。
「シフォンッ!!」
そんな状況を目にしたアインが、声を上げる。そして、怒りの様相を浮かべ、更に暴れる様態を見せた。
「おいっ!! おっさん、ふざけんなよっ!!」
「うるせえガキ共だなっ!! どいつもこいつも――、俺様たちをコケにしやがって。まとめて始末してやるからなっ!!」
ゴロツキは鬱陶しいと言いたげな声音で、如何にも粗暴者といった風な言葉を発する。すると徐に、ポケットから折り畳み式の短剣を取り出す。そうして――、首根っこを掴み上げているアインに、その短剣の刃を向けた。
「――――っ!!」
自身に短剣の刃先を向けられたアインは、絶句して押し黙ってしまう。
漸く静かになったアインに、ゴロツキは満足げな下卑た笑みを浮かべ――、再度外套の人物へと目を向けていた。
「小僧。このガキを助けてほしかったら、その棒は捨てな」
ゴロツキは、厭らしくしたり顔を浮かべ、外套の人物に言う。
外套の人物は、その状況を暫し黙したまま、接受していた。かと思うと――、「はぁ……」と小さく溜息を吐き出し、手に握っていた棍を素直に手放した。
カランッ――と。木が石畳の地面に当たり、乾いた音を鳴らし、転がっていく。
(これは――、もう黙って見ていて良い状態じゃ無いな)
今まで、外套の人物の立ち回りを目にし、自身が手を下さなくても大丈夫なのではないかと。そう考えて傍観していた青年であったが、流石に現状は、外套の人物に対して不利なものとなっていた。
青年は腰の右側に携える剣を抜き、それを左手に持ち、路地裏に足を運ぶ。
「そこまでにしておきな――」
剣の切っ先をゴロツキに向けるように構え、青年は凛とした覇気のある声を発する。
突として背後から上がった青年の声に驚いたように、ゴロツキは勢い良く頭を動かし、青年の方へ目を向けていた。
「――なんだ、テメエはっ!!」
怒り冷めやらぬ風体でゴロツキは、青年に対しても怒声に近い声を浴びせ掛ける。
「エレン王国公認の自警団だ。この国で無作法を働くことは、許されるものじゃないぞ」
自警団という名称を聞き、ゴロツキの顔色が一瞬変わる。しかし、その表情の変化もほんの僅かな時で、次には嘲笑いのそれとなって、青年を見下すものとなった。
「何が自警団だ。こっちには人質がいるんだぜ。見えないのか、兄ちゃん?」
ゴロツキは下品な笑みを表情に帯び――、掴み上げているアインの頬へ短剣の刀身を叩き当てる。
掴み上げられてしまっているアインは、悔しそうな面持ちを浮かべてはいるが、現状を打開することができずに歯噛みする様体を見せていた。
先ほどゴロツキに蹴り飛ばされ、地面に尻もちをついた少年――、シフォンも心配げな表情で、それを見守るしかできないでいる。
その状況を見据え、青年は大きく溜息を吐く。その溜息は、「現状を分かっていないのはどちらだ」――と。そう青年が思った末のものであった。
「あのな、悪いことは言わない。早々にその子供を解放した方が、あんたの身のためだと思うぜ。何せそいつはこの――」
青年がゴロツキに対して、暴挙を止めさせるためにと諭しの言葉を口にしている最中だった。
バキッ――!!
やにわに、路地裏に鈍い音が響く。
その音を発したものの正体に、青年は目を丸くしてしまう。
青年が目にしたのは――、ゴロツキが青年に気を取られている隙に、外套の人物がゴロツキに向かい地を蹴ったかと思うと、瞬時に身を屈め跳ね上がったと同時に、ゴロツキの下顎に掌底を食らわしている。そんな瞬間であった。
下顎に全くもって予想をしていなかった一撃を食らったゴロツキは、声を上げる間もなく、その場に仰向けに倒れ――、昏倒する。
青年が呆気に取られている間、外套の人物は、倒れるゴロツキに掴み上げられていたアインの身体を攫うように奪い返し、抱きとめていた。
「…………」
アインを抱いた外套の人物は、アインに向かって小さく言葉を発する。すると、アインは満面の笑みを浮かべ、大きく頷く。
「大丈夫だ。ありがとうなっ!!」
アインの発した言葉で、恐らくは外套の人物にアインが『大丈夫か?』と。そのような言葉を掛けられたのであろうと、青年は察する。
アインの返礼を聞き、外套の人物は頷いて、アインの身体を降ろす。そして、その外套の人物は、未だに尻もちをついて呆然としているシフォンの元へも歩み寄り、手を差し伸ばしてシフォンを立たせてやっていた。
「ありがとう……」
おずおずとした様を見せ、シフォンも礼の言葉を口にする。そんなシフォンの礼の言葉に対しても、外套の人物は静かに頷き、何やら声を掛ける。
そうして、そのまま外套の人物は、先ほどゴロツキの命に従い手放した棍を拾い上げると、場の仲裁に入ってきた青年と、アインとシフォン。その三人を目の前にして、声も無く佇む。
目の前に立った外套の人物をまじまじと見て、青年は思っていたより小柄な人物であることに気付き、内心で驚いていた。
(――この小さい身体のどこに、あれだけの力があるんだ。こいつ、かなり凄い奴だな……)
先ほど見せつけられた棍捌きと言い、大の大人の男を吹き飛ばすほどの蹴りの威力と言い。素早い身のこなしから繰り出した体術と言い――。それらは、かなりの鍛錬と場数を踏まなければ、あのような立ち回りはできないであろうと。青年は思う。
自身の身より大き目な男物の外套を身に纏っており、ゴロツキたちからも『小僧』と一喝されていたことから、この小柄な人物は少年なのだろう。そう青年は思い込んでいた。
だがしかし――。
「――助けに来てくれて、ありがとうございました」
小柄な少年――、と思われていた外套の人物が発した声の高さ。その高さは――、少女のそれであったのだ。そのことに、青年は更に驚いてしまった。
深々と頭を下げ、礼の言葉を口にした少女と思しき外套の人物は、はたと動きを止めた。自身が外套のフードを、まだ目深に被ったままだったことを思い出したからである。
「ああ……。フードを被ったままでお礼とか、失礼ですよね。ごめんなさい」
そう言葉を零すと、外套の人物は、頭からフードを脱ぎ払う。
脱ぎ払われた外套のフードの下からは――、亜麻色の長い髪を一括りに結い、煌めきを帯びる翡翠色の瞳をした少女の笑みが、姿を現した。
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