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快晴の空を、海鳥たちが渡ってゆく。羽ばたきの合間に船舶の汽笛が混じって、澄んだ初秋の空気をぼんやりと震わせた。
観光シーズンのピークは過ぎ、漁港の午后は長閑なまどろみに満ちている。
僕たちが歩いて(引きずられて)いるこの石畳の遊歩道は、熱海随一の散歩コースとして有名なスポットだ。
左手に海を眺めながら、恋人の聖地「ムーンテラス」を背に、スカイデッキ、レインボーデッキ、そして渚デッキと三つのエリアに分かれて続いている。
石畳と真っ白な段々のテラスが連なる景観は、地中海北部のリゾート地をイメージして作られたらしい。正直な所それぞれのエリアの違いはよく分からないのだが、いずれも異国情緒あふれるとびきり素敵な散歩道であることは確かだ。夏の終わりの風が海原に吹き渡る、こんな日は特に気持ちがいい。
ところで、僕は常々こんな事を考えていた。
それは……、旅客の皆様はそれぞれ、熱海に求めているものがちょっと、いやかなり、むしろ十人十色で異なっているらしい、ということだ。
例えばある人は、ゆったりと温泉で癒されたいと思ってやってくる。またある人は、街の隅々に残るレトロな味わいを求めて。ある人は輝くビーチで思い切り海水浴を楽しみたいと。
花火大会で家族の思い出を作りたいと思っていたり、はたまた最新のアートやスイーツを満喫したいと訪れる、流行に敏感な洒落たマダムたちもいる。
そして僕は、こんな風に思った。
このマリーナを……「渚町」を求めてやってくる人は、一体どんな人なのだろう? と。
「ややっ、あんな所に可憐な適齢期の女性がッ」
純白の手すりに肘をついて一人海を眺めている女性を発見した僕は、歓喜して花束を構えた。まさしく、この港にぴったりな風情ある独り身の佇まいではないか!
目を輝かせて飛びつこうとする僕のタキシードの襟首を、くいっと何かが引っ張った。「……ん?」
釣り針である。
そしてそのまま一本釣りのごとく、僕の体は勢いよく持ち上げられた。
「……オメーは本っっ当に……」
「うぎゅ」
どうしようも、ねー、「なッ」の合図で、ぽーんと空中にリリースされる。
宙を舞うハンサム。彼の竿捌きがあまりに見事なものだったので、僕はキレイな弧を描きながらそのままくるくる回転し、やがてあるべき着地点へぴたりと着地した。
同時に、重低音で船の汽笛がどこからか聞こえてくる。………………汽笛?
「あっ、ちょっ!?」
出航の鐘の音と共に、僕を乗せた遊覧船リビエラ号はその鮮やかな船体を海原へ向けて悠々と滑り出した。
「南クーーーンッ!?」
「ばーーーーーーか!」
親指を下に向けて僕の船出を見送る和田浜南町の姿が、どんどんと遠くへ離れてゆく。
リビエラ号の遊覧時間は約三十分。
がっくりと項垂れて、僕は船の朱塗りの屋根の上から、手すりを乗り越え甲板の内側へと移動した。
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