贈る言葉

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2004年3月14日 1週間前の昼休み、教頭先生からの呼び出しを受けた。何か、気付かないうちに悪いことでもしていたのだろうか、と多少叱られることも覚悟し、職員室のドアをノックした。 「失礼します。」声が少し震え、上ずる。 「教頭先生に用があって来ました。」職員室の奥、黒板を背にした席の教頭と目が合う。白髪で天然パーマの少し武田修宏に似ている基本的に笑顔な人だが、本当のところ何を考えているのか知れない。基本的に笑顔、ということは常に場を明るくしてくれるということもあるが、表情が変化しないという恐怖もある。その場の 生徒同士のおちゃらけた「ノリ」で、怒られても仕方ないと思う時でも、この教頭は笑顔でいる。しかし目を見て、雰囲気を感じれば、どう叱るべきか、という計算を頭に巡らせていることがわかる。 叱られるのは、どの様な形にせよ、時間の問題であり、いつその爆弾が破裂するのかが恐ろしい。 とは言え、元々の非はこちら(生徒側)にあり、それを丁寧に伝える理知的な人だという印象がある。 「I(私の名前)くん、よく来てくれたね。」いつもの笑顔だが、声のトーン、目の奥の光からは怒りを感じられず、少し安心する。 「いぇ、まぁ、はい。」 「それでだね、卒業式が近づいているんだけど、実はIくんには在校生代表として卒業生への贈る言葉を任せたいんだよ。」 「え、僕ですか。」安心したところで、急にその様なことを言われ、思いがけず大きな声を出してしまう。 「そうだよ。Iくんなら、上手くやれると思うんだけどねぇ。それに、先輩に対してはIくんだって色々とお世話になったじゃないか。」 「それは、まぁ、そうですけど。」 「Iくんならできるよ、大丈夫。」 本当は凄く断りたい。 先輩に感謝の気持ちはある。しかし、こちらから頼み込んで先輩に何かをして貰った気も、救われた気も、先輩には悪いがそんなにないし、先輩とより交流を持っていて、より感謝の気持ちを伝えられるであろうクラスメートの顔が2,3人思い浮かび、彼らの方が良いのでは、とも思う。 「正直、自信ないんですよ。」 「いい、いい、大丈夫。Iくんなら大丈夫。」 言った後に 「しまった!」と思った。 「正直、自信ないんですよ。」という発言は 「自信はないんですけど、ないなりに頑張ってやってみます。」と捉えることができる。ここで明確にNOを突きつけることが、普段あまり接することのない且つ笑顔の教頭にはできず、結局贈る言葉を担当することになった。 頼まれて数日、自宅の机で渡された原稿用紙を見て、何を書くべきか、伝えるべきか、考えあぐねていた。こちらはこちらで、授業もあるし、宿題もある。僕より宿題をしていないであろう生徒もいるのだから、そちらがやればいいのにとも思った。 原稿を提出する前日、いよいよ何かを書かなくてはという切迫した状況になり 嘘は良くないだろう 薄っぺらなことを言ってもしょうがない と先輩に対する気持ちを正直に書き 漫画の『バガボンド』で使われていた「心の琴線に触れる。」 という表現が気に入っていたのでそれを織り込んだ。 3時間ほど真剣に取り組んだこともあり、仕上げた原稿用紙3枚は、数回読み返した上でも、なかなか良いものになったという自負があった。 そして今日 教頭に「自信はないんですけど…」と保険をうっておいたこともあり、意気揚々と職員室のドアを開ける。 原稿のチェックは卒業生の学年担当でもあるG先生が行うことになっている。前髪がカールしていて、背も声も大きく、小太りで、スイーツの鎧塚シェフに似ていて、音楽を教えエリッククラプトンが好きで、言葉遣いが少し荒い人だ。 「失礼します。G先生、これ贈る言葉の原稿です。」 「おぉ、O(私の苗字)か。じゃ、これな。」 原稿を渡す。G先生は手早く原稿に目を通す。 「これはダメだな。」 血の気が引く。 「え!何でですか!」 「正直に言う、内容全てがダメだ。」 全てがダメだ   の一言が脳内にこだまする。 この場に立っている気がしない。 G先生は何かアドバイスをしていたのかもしれないが、悔しさやら情けなさやらで言葉が頭に入ってこない。 職員室を出て、教室に向かう階段を昇りながら、少し冷静になる。 こちらは教頭に頼み込まれ、真面目に原稿を書いたのに なぜ全否定されなければならないのか。だいたいG先生のあの言い方は、好意で引き受けて、不慣なことに時間と労力を割いた少年に対して、ひどすぎるのではないか。怒りの炎は木枯らしに吹きつけられた様に燃え広がる。この校舎を灰にしてくれないものかと思う。 自転車で20分程、帰宅する最中にまた少し冷静になる。 帰宅し一息ついた後、とりあえず事情を説明した上で、返された原稿を兄に見せる。 兄は読み終えて、開口一番 「お前、性格悪いよ。」 と言った。兄からの悪口は耳慣れているので、あまりショックを受けない。 改めて原稿を読み直してみると、その内容の9割は先輩への生々しい非難と、1割は先輩への心からの感謝であった。 正直に言えば、己の中で嘘を排すればそうなるのである。 好き同士でもない人間が、週5、6日、全校生徒が80人にも満たないところで2年間暮らすのであるから、いい思い出もあるが、悪い思い出が消えてくれないのである。 また、ドラマや漫画のどんでん返しに影響されたのだろう。よくよく読み返せば、穏当でない言葉が目を引く。 昨日書き上げた段階では、全く気が付かなかった。 また、夕食後、父、母にも相談した。 最低、明日まで寝なくて11時間程ある。その時間で何とかするしかないだろう。 父の厳しいがもっともな意見を聞き、実際それより他、打つ手はないと覚悟が決まった。 机に座り、新しい原稿用紙に書き始める。 とにかく、多少ものの見方を変えるようであっても「いいこと」を柔らかい表現で書かなくてはならない。「心の琴線に触れる」も分かりにくいから、なしだ。 2時間程経ち、書いては消し、書いては消しとする。先輩方の顔が思い浮かぶ。これは嘘なのか、嘘でないのか。事実無根の当り障りのないだけの言葉ではないのか。書いていて、迷いしか浮かばない。しかし時間は過ぎ去る。徹夜で書いて発表の際に頭が働かなくなることは避けたいので、睡眠はとりたい。 4時間半程経ったところで、一応原稿は仕上がった。数回、音読を繰り返し細々としたところを直す。30分程で発表用の、お経の様な形で折られている用紙へ書き写す。明日はこの用紙を見てはいいものの、全校生徒と先生方とよく知らない大人たちの前で発表をしなければならない。30分程、口を慣らすために音読を繰り返す。 気づくと深夜2時半を回っていた。 大丈夫、大丈夫なはず と言い聞かせて眠った。 2004年3月15日 緊張感のせいか、いつになく良い寝起きだった。考えたくはない。しかし贈る言葉のことを頭の片隅で考えてしまう。朝食を味わえない。 学校に着くと、すぐ教室に鞄を置き、職員室へ行き、G先生に新しく書いた原稿を見せる。またG先生は素早く目を通す。 「いいんじゃないか。昨日のよりは格段にいい。」 「マジすか!?」 つい砕けた言葉が出てしまう。 「これでいこう。」 原稿を受け取り、職員室を出る。 G先生は本当に新しい原稿を良いと思ったのだろうか。前の原稿の欠点は、自分でも認識した上で書き直した。とはいえ、新しい原稿の言葉はどこかよそ行きの気取ったもののようだ。それを加味しても、最早時間がないから、これで良いということにしてG先生は僕を落ち着かせようとしているのではないか。 とにかくGOサインが出た。これで行くより他ない。 午前中の1~3時間目が卒業式に充てられている。在校生が体育館へ移動する。入口の、金属製の重い扉を先に歩いていた男子が開け、皆中へ入る。昨日の6時間目に並べたパイプイスが静寂をより引き立てている。朝の澄んだ空気の中で、改めてその光景を見渡すと これからも会いたい人には会えるという気持ちではいたけれども、今日で何かが決定的に変わってしまうという気持ちにもなる。 在校生が体育館の奥へ着席する。学校の先生方が体育館の校庭側、横並びに着席する。来賓の方々が1人1人、拍手で迎えられ、入場し礼をして先生方と向かい合う様に横並びで着席する。 そして卒業生の先輩方が、拍手と共に迎えられる。つい先日まで、しょうもないこと、為になるのかよく分からないこと、微妙な声量での悪口、突発的な大声でのギャグを言っていた先輩方は、どこを見ているのか分からない。神妙な表情で入場してくる。先輩方が全員、入場し終えて、ステージ手前の各々の席の前に立つ。拍手が止まる。司会の女の先生が、抑揚の無い声で 「卒業生、着席」と言う。 ついに始まってしまった。先輩方を良い気分で送り出したい気持ちはあるものの、発表しなくてはならない、ということがまず念頭に来てしまう。来賓や校長が話をしている間も、原稿の内容を思い出して、イメージトレーニングをする。 式は卒業証書授与の段階に入る。これが終了すれば、在校生の贈る言葉である。今更、とも思う。しかし何もしないよりはマシだとも思い、イメージトレーニングを続ける。特にお世話になった数人の先輩が名前を呼ばれると我に返り、卒業証書を受け取る後ろ姿を眺めてしまう。 「在校生の贈る言葉」と例の声が響く。 「ハイッ」自分なりの大きく、通る声で返事をし、立ち上がる。 卒業生のパイプイスが半数ずつ分けられ、その中央に通路が作られている。その先には マイクと白く発色が良い木の箱が置いてある。 その通路を横切る。 視線を感じる。これはどういう会なのだろう。ただ単純に楽しい会ではないのだろう。茶目っ気を振りまくわけにもいかず、どの様な表情をつくればいいのかもわからないまま、強いて誰の顔も見ようとせず、木の箱の上に立つ。マイクの位置を合わせ、ポケットから用紙を取り出し、始めて先輩方全員と対峙する。 期待という圧力を感じる。 深く礼をし、発表が始まる。 2004年3月15日 11:08  短く息を吸い込む。 「先輩方、本日はご卒業おめでとうございます。 2年前、何もわからず入学してきた私たちを先輩方は優しく、笑顔で迎えてくださいました(本当のところ、小学生までの緩い友達関係から強制的に上下関係を持ち込まれる中学校は、かしこまらなくちゃいけない気がして緊張して入学当初の頃は良く覚えていないんですけど)。 何も分からなかった僕たち、今の2年生に色々と丁寧に教えてくださいましたね(色々ってなんだろう。挨拶の仕方かな。でもきっと、最早無意識レベルで、教わっていたはず。当たり前になり過ぎて、気付けていないことって多分沢山あるはずだよ。)。」 先輩の方をちらりと見る。7割くらいはこちらを見てくれていて、3割くらいは視線を落としている。ただ視線を落としている先輩の方がより耳を澄ませている気がして尚更緊張する。 「今の1年生にとっても先輩方はいつも優しく、時に厳しく、部活や学生生活のことを教えてくれていました(実際のところ、1年生はどう思っているのだろう。いつも優しく、時に厳しくって言っているけど人によっては逆で、いつも厳しく、時に優しくだったよ、と思っているのかもしれない。少数派の人?多数派の人?、無責任かもしれないこと言っちゃってごめんね。)。 先輩方はいつも僕たちのお手本になってくれていました。いつでも積極的に部活や陸上大会や文化祭へ取組んでいました(とはいえ先輩達が一番いきいきとしていたのはゲーム、テレビ、漫画、恋愛、他人の短所の話をしている時だった気がします。僕たちだって多分そうです。しかしそのことを話すのはこの場における正解ではないのですね。本当は部活をサボって体育館倉庫でポケモンの攻略本をコソコソ読んでいたI先輩とU先輩の笑顔が忘れられません。部活であんな笑顔、僕は見ていないです。)。」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 話している途中で、場の雰囲気に慣れていき始める。先輩達の表情を見る。少し辛そうだ。 そうだよな、この人たち、小学生までは気楽な友達だったけど、中学生になったら僕ら下の人間の為に、わざわざ先輩をやっていてくれていたんだよな。 好意じゃなくて、環境が原因だとしても、それでもそういう役割を演じてくれていたんだよな。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「今年の文化祭で私がビックアートの担当を行い、悩んでいた時に同じ文化祭実行委員会の先輩方に色々と相談させて頂きました。どの先輩も熱心に、誠実に私の悩みに答えてくださりました(Y先輩とG先輩はそうだと思う。あの時は、頼ってもいい人がいてくれている、と救われた気がした。ただ相談した先輩全てでは勿論なかった。そもそも僕が悩んでいることに対して、まったく何も考えていない先輩もいたし、その場限りの何となく前向きなことを言ってその場を切り上げる先輩もいた。ただ相談に乗ってくれていたことは事実。熱心に、というのは僕の感じた印象ということにすれば誰もそれを嘘だとは言えないはずだから、いいのだろうか。)。 先輩方のご助言やご指示がありませんでしたら、あれ程までに素晴らしいビッグアートは完成しなかったでしょうし、先輩方がいてくれたお陰で皆が一致団結して文化祭に取り組むことができたのだと思います(しかし80人にも満たないこの学校。全生徒を中体連にも、陸上大会にも、駅伝にも参加させて、揚句文化祭までやらせるなんて、全くどうかしている。そんなにイベントで忙殺しておいて、将来のことを考えておけ、できれば友人とも仲良くして、本も読んでおけだなんて。こっちは仕事を自分の判断で選んだ大人じゃないんだ。強制ばかりしないでくれ。それこそ、何かを誠実に行おうとする気持ちが薄れるじゃないか。都市部の学校では、そんなことはないはずだ。勉強と基本的な生活習慣以外は、やりたい人がやりたいことをしているはずだ。だからあんな風に単純に笑えるんだ。こんな若い頃から、自主性より人に飼い慣らされることを学ぶ必要があるんですかね。とはいえ、先輩達も僕たちも何でこんなに頑張ったのだろう。それぞれが、自分で決めたことでもないのに。)。」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ すすり泣く声が聞こえる。冗談だろう、と驚き、先輩達を見る。確かに、数人泣いている。 なんでだろう。こんな嘘しかない贈る言葉に涙なんて流れる訳がない。きっとこれ自体ではなく、これが何かのスイッチになって別のことを思い出しているんじゃないかな。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2004年3月15日 13:05 卒業式が終わり、職員室へ向かう廊下の途中、前後に誰もいないことを確認する。 口を押え、声を出さずに笑う。 嘘で人は感動して泣く。あるいは嘘から生じた勘違いで人は感動して泣く。 ある程度、笑い終えて、ふいに中庭を眺める。木々の葉が青々と、陽を浴びて揺れている。そういえば、あの先輩達との想い出はここでもう増えることはないんだな。
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