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第2週
1週間経って、僕は科学室へいた。
前回、来週にも会を開くということは決めてはいなかったが自然とここへ来ていた。科学室の扉が開く。クーだ。
僕:お前も物好きだよな。
絹川:まぁ暇なんだよ。暇なことを悪いとは思わないけどね。
また扉が開く。ゴッスが笑いながら入ってくる。
僕:うぃーっす
絹川:ちわ
後藤:あぁどうもー(笑)
また扉が開き、視線を送る。誰もいない、と思っていたら高田が入ってくる。
絹川:変な間を取るなよ。
高田:うわ、全員いるじゃん。誰が来たのかドキドキさせようとしたのに。
後藤:僕はドキドキしたけど(笑)
僕:俺ら以外、来るわけねーだろ。
黒板に向かう。前回は話の内容を頭に溜め込みながらだったので、あまりうまく話せていなかった気がしたので、今回は要所、要所を書いていくつもりである。黒板の右上に殴り書きで、「生ける屍の会 vol.2」と書く。
絹川:vol.2って生きてんのか、死んでんのかはっきりしてくれよ。
高田:どっちでもよくね、名前だし。
僕:それではですね、今日のテーマは、死ぬことです。
高田:丁寧に言葉を区切るな(笑)
後藤:いや、いいと思う(笑)
僕:前回は「生きてる」という体感の話だったけれども、その反対だよね。だから裏面から前回の内容を補強、説明していくってことになる。
絹川:まぁ、おおよそ反対ってことだろ。前も言ったけど次元を変えれば似たようなことにもなりそうだし。どちらにせよ、「死んでる」というのを現象では話せないだろうから、それの印象というか、これも体感だよね。どんなことに対して「死んでる」と思うか。
僕:何だろな。
高田:担任の添島。
僕:死んでる(笑)
絹川:教頭の高頭。
僕:死んでる(笑)
高田:祖父、竜也。
僕:死んでる。 え、マジ?
高田:うん。生物的に。
絹川:いつ?
高田:えっと、2012年の5月。
僕:それ、この流れで笑えるのお前だけだぞ。他のやつには、なんていうか、そもそも資格がない。
高田:いや、すまん(笑)
僕:悪いやつだな。
絹川:人のこと死んでる、死んでるって笑いながら決めつけてるやつが言うなよ。
僕:あのテンポで言わせといてそりゃないよ。
絹川:でも添島にせよ、高頭にしてもあんまり楽しそうじゃないっていうか、時々マジで表情死んでるよな。
高田:よくあんなおじさんの顔、見てるもんだよな。
絹川:お前、人の目を見て話を聞けって教わんなかったのかよ。
高田:でもさ。
絹川:でももへちまもないだろ。ゴッスーは見てるだろ。
後藤:見てないです(笑)
絹川:まぁ、 いいけど。
僕:じゃあ「死んでる」イコール、活き活きしていない、つまらなそう、何考えてるかわからない。添島さんも高頭さんもずっとじゃないけどね。でも、正直あの2人、疲れてるよね。
高田:マジで疲れてる。添島、あいつ大丈夫かな。自習しとくから1週間位休んで欲しい。もう少し気力が出てきてから働いて欲しい。
僕:高田いいやつ!
絹川:高田いいやつ!
高田:(笑)人の疲れた顔見たくないってだけでね。 で、だいたい大人ってどこか表情死んでるんだよね。言い方難しいんだけど、ていうか年齢的なことなのかな、しょうがないかもしれないけど瑞々しさがないんだよね。遊んでる小学生は表情死んでない。まれにいるけど、逆に表情死んでる小学生は凄い。
後藤:そうだね(笑)
僕:人間が農耕を始める前の、狩猟採集を行っていたころの平均寿命が23位だったかな。とりあえず30になったら長生きした部類だったらしい。となると20代半ばから先は肉体的に死んでいってると言ってもいい。
絹川:じゃあ大学生って卒業してる段階で、これから社会に出るぞ!って時にもう肉体的に死に始めるって切なくない。
高田:その話聞くと、見た目にシビアな女子が恋愛に莫大なエネルギーを注いでるのも分かる気がするな。じゃ、20半ば過ぎの人が表情死んでいくのはある程度仕方ないかな。
絹川:いや待て、人間のDNAとかがそんな数万年で変化するとも思えないが、狩猟採集の頃と現代で比較するのは早計じゃないか。犬の品種改良みたいに、人類の環境における変化と人類自体の変化もあるだろう。
僕:なら、もう感覚でいいだろ。何歳位からおじさんだと思う?おれは35。
後藤:32(笑)。
高田:30。
絹川:38。
僕:じゃあ34でいいか。そこから先の人間で、見た目から死んでる、死んでないって言うのは、まず体が死に始めている、つまり老化し始めていることだからあまり意味がない。
高田:でも、いや、どうかな、表情って微妙じゃない。それは皮膚とか皺とかシミとか、色々関係すると思うけどさ、何を思ってその表情になったのか、その表情によって表されたもの、感情の方が表情に関係するんじゃないの。
僕:どうだよ、ゴッスー。
後藤:え、僕?
僕:そうだよ。今日、32、位しか言ってないだろ。
後藤:そうですねー(笑) 表情って自分で思っているのと相手に伝わっているのと違うんじゃないかな。だから相手の表情にもよるけど、それをどう思うかはこちらの問題だから んー(笑)今回は年齢で区切っちゃっていいんじゃないかな。
僕:いいんじゃないかな。
絹川:キリがなさそうだから、いいと思う。
高田:この場では、そういうことで。
僕:ていうか「生きてる」の話より、「死んでる」の話の方が具体的な話がポンポン出るもんだね。
絹川:老い、とか病、っていう現象が割と分かりやすいからじゃないかな。その延長上で「死んでる」っていうのが分かりやすくて話しやすいんだと思う。
高田:だからか!俺ら「生きろ」て言うことは滅多になくても「死ね」とか「死ぬ」は割と言うよな。「生きる」より「死ぬ」の方が分かりやすいよな。
僕:それに変化がある。一応、物質的には、生物的には「生きている」訳で、「生きている」ものに「生きろ」っていうのは、それはそうだけどって気になるけど「死ね」って言うと「生きている」ものに、そうなるなって言うことになるから、それなりに言う意味とか面白味がでてくるよな。
絹川:ゴッスーは毎日「生きてる」んだよな。
後藤:毎日「生きてる」ね(笑)
僕、高田、絹川:(笑)
僕:彼女にさ、「死ね」って言われたらどうすんの?
後藤:それは、嬉しいですね(笑)
絹川:なんで(笑)
後藤:その位打ち解けたなぁって思えるから(笑)
高田:俺毎回言われるぜ。
後藤:羨ましい(笑)
高田:んで俺が言うとあっちが微妙に凹むから、俺からは言えない。不平等(笑)。例えだってあっちも分かってるんだけど、絵的にきつくなるよね。
僕:彼女、口悪いね。
高田:それは俺以外言っちゃダメなやつ。
絹川:うっぜーー。
高田:いやホントホント。あいつ人当り凄くいいから。その分、俺への当りが強いってだけで。俺だってそうだし。
僕:まぁ。うん。で、戻るけど、どうせ現状「生きていて」、どうせ「死ぬ」訳で、「生きている」時に「死ぬ」こと考えるのもいかがなもんかだよな。前シルクが無理はあるけど無駄じゃないってこと言ってたけど、変な話、「死ん」でから「死ぬ」こと考えた方がいいよな。矛盾してるけど、今「生きてる」訳で、大体の人はいかに「生きる」かを考えて行動してる訳で。だったら「死ん」でからいかに「死ぬ」か考えた方がマシな気がするんだよね。
絹川:理屈はあってる気がするが、違和感半端ない。「死んだ」らもう終わりだよね。
僕:うーん、生物的には間違いなくそうなんだけど。あ、そう体感としての「死ぬ」ね。どういう時に「死ぬ」「死んだ」って思う?
後藤:落ち込んだ時(笑)
絹川:落ち込んだ時、って言う時まで笑うなよ。そうだな、絶望した時。
高田:疲れ切った時。試合で負けた時。
僕:もう既に終わり切った時。変化がない時。
高田:で、いかに「死ぬ」かだけど、えーっとスギ的にはどういうこと。
僕:なんていうかな、さっきの状況だったら、どうなっているのが望ましいかってことね。俺はぼーっとする。「死ぬ」のに飽きるまで、その状況がどうでもいいやと思えるまでぼーっとする。
絹川:俺は公園にいく。そしてそこでぼーっとする。
高田:お前らジジィみてーだな。
後藤:僕もぼーっとします。
高田:え、ゴッスも?ジジィの集まりだな。俺は「生きてる」人間に会うね。んで食いたいもの親に頼んで、食うだけ食って、ゲームして寝る。
僕:あれ、これって凹んだ時の対処法じゃね。フツーじゃん。
高田:フツーのどこが悪い。
僕:いやいいんだけど。何か予想してたのと違うなぁと思って。
絹川:高校生に高尚さを求めるなよ。
僕:いや、違うけど、なんかさ、こう、「生きてる」の時みたいにいまいち話が積み重ならない気がしてさ。
高田:まとめたの見ようぜ。
これまで書いたものはどれもこれも酷い殴り書きである。僕しか読めない。もし誰かがここに来て、この黒板を見た時に変な勘繰りや気遣いをして欲しくないからだ。
僕:体感としての「死ぬ」 疲れた時、負けた時、終わった時、変化がない時等 つまりネガティブだったり無だったりする時に起きる
表情や相手の状況として「死んでいる」 34以上の年齢の人間は老化が始まっているから、言い換えると死に始めているから、相手の印象から「死んでいる」と今回は考えない。
高田:これでいいんじゃないか。むしろ「生きてる」の話よりもまとまっていていいと思うぞ。
絹川:そうだな、付け加えるとするなら、ネガティブだったり無だったりを感じる時って割合あるもので、その程度が問題じゃないか。
後藤:クーちゃんいいこと言う(笑)
僕:ただ単に疲れた、負けたじゃなくて、再起不能なまでに疲れた、負けたっていう、極端さがあるか、ないかだよね。
高田:それも人による。
僕:それもそうで、主観だよね。思い込みの強さ。あ、でも相手にも確実にそうだとわかる位強くないとダメだよね。ちょっとやそっとの指摘じゃ揺るがない位の。
絹川:自他ともに認める「死んでる」(笑)
高田:いや、でも本当に、生物的に死んだ時に「死にました」って誰かが言わなきゃ「死んだ」ことにはならないだろ。承認は必要だよな。
僕:なら付け足すと「死ぬ」は自他ともに承認できる程の極端なネガティブ、または虚無な体感 ということでいいかな。
後藤:いいと思う(笑)
絹川:いいっしょ
高田:はい、おしまーい
僕:なんか34歳以下の「死ん」でる状況について放置してるけど、これでいいでしょ。
科学室の人体標本を見る。体は複雑な、かつ無駄のないものの集合体だと思う。ついさっき「死ぬ」ということをベラベラと喋っていたが、膨大な細胞の集合体がこの体になることを考えればただの言葉遊びのようにも思える。なんでこんなことを考えるのか、考えさせられるのか。社会やこの国が行き着くところまで来てしまったその余波ではないか。生きることが当然になった、いかに生きるかしか考えなくなった。そしていかに生きるかを考えに考えに考え尽くして、あとは死ぬことを考えるという遊びしか残っていない。いざとなれば、1つ1つの細胞が、器官が1分の隙もない的確な決断を示してくれるのだろう。ただその声が、様々なものにかき消されている。メディア、学校、会社、他人、ただそれを悪いことではないとも思う。
人類は進化している。それは間違いない。ずっと洞窟の中にいる訳でもなければ、食う為だけの暮らしをしているわけでもない。さっきの能天気なお喋りだってできている。しかしどこか上っ面なことしか話していない気がする。 働くようになったら、自分の生活を自分で立てられるようになったら違うのか。いや、そうとも言い切れない。そもそも個人がするべきだったことを、社会に依存している。着るものも、住むものも、自分が生きるシステムを効率がいいものだろうと考えもなしに、確かめることもせず、それに乗りかかり、大分楽をしている。 それを進化と呼ぶべきか、否か。
アフリカの原住民族と話したい気分だ。彼らからすれば、僕は軟弱な実感を伴わない薄っぺらなやつなのか。それとも過去の遺産を継承し、人生を謳歌する現代人なのか。
郵便受けに手紙が来ている。母からだ。何を今時、手紙なんかを書く必要があるのだろう。部屋に帰って読んでみる。黄色いボールペンで書かれており、やや読みづらい。
ケンちゃんへ。元気にしていますか。ゆーちゃんは元気です。相も変わらず家事、パート、家事、パート、家事、パート、家事、パートです。最近始まったスダマサキのドラマが唯一の心の支えです。嘘です。ケンちゃんもヒロくんも心の支えです。でも時々マサキくんが1位になる時があります。ひ弱そうに見えて、ワイルドな所があり、演技力はピカイチです。 ケンちゃんは、勉強や部活を頑張っていれば大変なこともあるでしょう。でもゆーちゃんを見習い、ささいな幸せを見つけて欲しいものです。ではでは。
そういえば、母はこういう人だったなぁと思い出す。こんな人でも、あるいはこんな人だから世の中を渡ってこれたのかと思う。面白いから写メを取っておく。明日、自分の席の左隣りにいる斎藤に見せてみようか。でも見せたら見せたでマザコンっぽいから止めておこう。写メを消す。
母や父にも生きるとか死ぬとか考えたことはあるのだろうか。おそらくあるだろう。僕が尊敬している人も尊敬していない人も、歳を取っていようといまいと、あることにはあるだろう。ただ今はあの3人以外でそのことを話す気が起きない。もし聞いたなら、それはどこかお説教に聞こえてしまうし、こちらが聞いてあげなきゃいけない立場になる気がする。なんのかのと興味があるのは、他人の生きるか死ぬかの考え方よりか、自分のそれであり、内面から浮き上がってきたものを捕まえることでしかない。酷く独善的だが、誰がどうすることもできないし、そうしようとしているやつがいたなら放っておいてあげるしかない気がする。
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