自動販売機人間

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 竹川勇樹は就活の真っ只中にあった。彼にとつて就活は苦痛でしかなかった。まだどの企業からも内定をもらえなかった。自己アピールが苦手でエントリーシートを上手に書くことが出来ない。ウェブテストも問題の意味がわからず全然解けない。  疲れてきた。最初は苦手意識と闘いながらの就活だっのたが、次第に希望のない無駄な努力に思えてきた。止めようか。どうせダメだ。そんなことを考え始めた時に、友人の広田翔が訪ねてきた。広田はこんなことを言った。«お前、人の心操れるだろ。それを売り込めよ。»  勇樹は自動販売機をこよなく愛していた。それとこの能力とが関係あるのかどうか分からないが、役に立つ。飲料会社の就職担当者は、«本当にそんな能力があるんですか?»と腰を乗り出して聞く。こくりと頷いた。誰かが自動販売機で飲み物を選ぶときに、例えばサイダーを飲みたくなるように念を送ると必ずサイダーを選ぶ、というのだ。«ちょっと一週間テストしていいですか?本当だったら賃金出します。»  就職担当者はその実績に唸った。毎日違う商品を指示したのだが、その通りに売り上げがついてきた。貴重な逸材だ。こんな人間が世の中にいるんだ。会社にとってものすごく強力な助っ人だ。そこで、特別な自動販売機が彼のために作られることになった。見かけは普通の自動販売機と全く変わらない。内装が特別なのだ。彼は小柄だったので、その自動販売機の中に入ることができた。彼にとってそこは天国だった。  毎日、朝から晩まで彼は自動販売機の中で過ごした。食事もできる。暖かい。消臭機能付きトイレもある。休憩もできる。外から中は見えないが、中から外はよく見える。ネットも使える。しかし、お客様に存在を悟られてはいけない。客足が途絶えた午前2時、彼はそーっと出て来て、ゴミを捨て、マンションに帰りお風呂に入って来る。そしてまた午前4時に自動販売機に戻る。  今日も彼のいる自動販売機の前に人が立って飲み物を選んでいる。彼に選ばされているとは露知らず。あ、それから、当たりくじ付きの機械は、彼が個人的な好みで当たりを出しているのだ。実は、この事が彼の人生を変えるきっかけにもなったのだが。  彼は次第に仕事に慣れてきて緊張もしなくなっていたある日、その日がちょうど百日目だった。そして、その日の百人目のお客様が来たとき、うっかりととんでもない失敗をしでかしてしまった。当たりボタンのつもりで、間違って全排出&自己解体ボタンを押してしまったのだ。機械の中のすべての飲み物がゴゴゴゴー!という振動と共に次々に飛び出した。最後にドーンという音がして自動販売機が爆発し自己解体した。  それと同時に彼も吹っ飛んだ。線路に落下して気を失った。気が付いたとき、彼は病院のベッドに横たわっていた。テレビも新聞もこの爆発事故で大騒ぎしていた。しかし、真相は露見していなかった。彼も通行人の一人で事故に巻き込まれた被害者とされていた。幸い、死者は出なかった。  彼の枕元で、お見舞いに来ていた飲料会社の人事担当者が心配そうに覗いていた。彼の意識が戻ると、すまないことをしたと謝った。あのボタンは実は万一の場合に備えて、会社が証拠を残さないようにするために秘密でつけさせたものだった、という。そして、ロックを外さないと、百日目の百人目の時にその機能が有効になる仕組みだったと。それを彼に伝え忘れたらしい。  勇樹がぼんやりと聞いていると、人事担当者は、彼を正社員として雇うことにしたと伝えた。しかし、彼はもう自動販売機に対して何の好奇心もなくなっていた。彼にとって今は自動販売機の中で過ごした時間のみが幸せな思い出だった。  彼は子供の頃を思い出していた。集配所で段ボール箱の一つに入って遊んでいた。蓋を閉めて中に隠れているうちに眠ってしまった。突然、段ボール箱が持ち上げられてトラックに積まれて運ばれた。どこかへ向かう途中、トラックがでこぼこ道でガクンと上下に揺れた。その時、彼の入った段ボール箱だけトラックから落ちて河原に転がった。段ボール箱の中から泣きながら這い出して来た。あの時の段ボール箱の中の心地よさと突然の恐怖感。その思い出と重なった。  その後、彼には飲み物を選ばせる能力は消滅したが、新たに別の能力が開花した。まだ差し障りがあるので話せないが、公けの組織と契約して、今日も鼻唄を歌いながら超狭い職場で“仕事“を満喫しているのは確かだ。彼の存在を何となく感じる人がいても不思議ではないくらい、大勢が行き交う場所に彼はいる。
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