『インジャイ&イザベラ』

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   ― すれ違うイメージ ―  この前Kさんから「スシを喰わせてやるから来いよ!」と、なんとも粋な電話があったので、ボクは張り切って3日ぶりにお風呂に入り、ヒゲを剃り、ムダ毛を抜き、お気に入りのジャージに着替え、髪型をバッチリとキメると、最後の仕上げとして普段は滅多に付ける事のない口紅を塗って、いそいそと出かけて行った。  主食がサニーレタスというヘルシーな食生活を送っているので、葉っぱ以外の物を食べる時は妙に力が入ってしまう。  ところが、Kさんがボクの前に出してくれたのは、スシはスシでも自家製のちらしズシだった。  ボクの様なブルジョワにとってスシといえば江戸前にぎりと決まっていたので戸惑ったが、Kさんは別にフザケてちらしを出してきた様子でもなく、食事中もずっとちらしの事を「スシ、スシ」と言っていたので、(ああ、この人にとってスシ=ちらし、なんだな)と理解すると共に(きっと貧しい家庭の出なんだ)と推測した。  この様な感覚のズレというのは、誰しも1度や2度は経験した事があると思う。まだスシ=にぎりとちらし程度のズレならいい方で、中にはスシといえば巻寿司やいなりズシを連想する人も居るかもしれない。  カニといえば、どんなカニを連想するだろうか?  大抵の人はズワイガニとかタラバガニ、毛ガニといった感じの物だろう。また、カニ捕りといえば? と聞かれれば、日に焼けた角刈りの似合う男達が沖に出て、網とかカゴとかを“エッチラ、ホッチラ”と引っ張り上げる姿を想像するんじゃないだろうか? 少なくともボクはそうだった、あの日までは……。    ― レアな誘い ―  ある日、イザベラさんに「明日、カニ捕りに行こう」と誘われた。こんな誘い滅多にあるモノじゃない。  一見「明日、釣りに行こう」と誘われるのと同じように思えるかもしれないが、カニ捕りに誘われるのと、釣りに誘われるのとは似ていてまったく異なる物。レア度が全然違う。 「明日、釣りに行こう」などと言うのは、親子や友達同士、男女の間などで週末ともなれば日本全国一日100万人ぐらいの人が言っているセリフだが、「カニ捕りに行こう」と言うのは、銚子などの港町で限られた一部の人間だけが使う一種の専門用語みたいなモンだ。  イザベラさんは不良外国人の見本の様な人なので、ボクはこの話は、断った方が無難だと思ったが、そんなボクの雰囲気を察したイザベラさんは、ボクのむなぐらを掴み、 「朝5時出発だからな、遅れるんじゃねぇぞ!」  と一方的に言い、ボクの事を地面に投げつけ、スタスタと行ってしまった。  気乗りはしないが、すっぽかすと後が怖いので、ボクは仕方なくカニ捕りに参加する事にした。   ― 早朝 ―  もしかして、水夫として売り飛ばされ、外国の漁船に乗せられべーリング海沖の荒海で、朝から晩まで働かさせらたあげく、ホモの船長の相手までさせられる様な悲惨なめにあうんじゃないか。と一抹の不安を抱きつつボクは翌朝5時、約束の時間通りに集合場所に到着した。  ある程度、予想していた事だが集合場所には、まだ誰も来ていなかった。仕方なくボクは趣味のパントマイムの練習をして時間を潰した。  イザベラさん達がなかなか来てくれないので、1時間以上パントマイムをしていると、早朝働いているタクシーの運転手や、アルミ缶集めのルンペンなどが時折ボクの芸に興味を示し、小銭を投げていってくれたりした。  たっぷり2時間は待たされた後、ようやくイザベラさん達が来てくれた。集まったメンバーはボクとイザベラさん以外に、インジャイ君とコチョウラン氏、コチョウラン氏の奥さんのコチョウラン夫人、そしてコチョウラン夫人の妹さんであるカリフラワー嬢。計6人だった。いずれも超が付く不良中年である。  一行はコチョウラン氏のワゴン車に乗り込み走り出したものの、ボク以外は皆、寝不足丸出しの不機嫌なテンションで車内は重苦しい雰囲気だった。しかし、しばらく走ると、ついさきほど消し止められたばかりと推測出来る火災現場に出くわし、それを見た一同は大喜び。車内の雰囲気が一気に明るくなった。   どうやら燃えたのは、骨董品やリサイクル品を雑多に集めて売っていたガラクタ屋らしく、火の手を免れた品が僅かばかり表に出ていた。  インジャイ君は、それを見て「あんな物は全部、二束三文だ! 高価なヤツは全部燃えたんだ、全部燃えたんだよー!!」  と独自の目利きを披露、さらに「もっと早くに来て炎が燃え盛る中、店主が泣き叫びながら逃げまどう姿が見たかった」  と悪魔の様な発言をして笑った。あんなに嬉しそうな顔で笑うインジャイ君を、ボクは後にも先にも見た事がない。  ― カニ取り ―  しばらくして車が止まり、インジャイ君とコチョウラン氏は積み荷の中からカニ捕り道具を取りだし始めた。しかし周りには山と畑、そして川。海は見当たらない。  川も、四万十川や信濃川の様な川ではなく、東京、大阪の町中にも普通にあるような、むしろ「中の川サウナ」の方に近いぐらいの川だった。  ボクは(おいおい、カニってまさか、ザリガニ捕まえに来たんじゃないだろうな)と思いながらも、インジャイ君とコチョウラン氏の後へ続いた。  2人は胸の所まであるゴム長を着込んでいたが、ボクとイザベラさんに用意されていたのは、学童用の黄色い長靴と婦人用ロングブーツ(ハイヒールタイプ)だった。  ボクは「何だよ、これ!」と文句を言ったが、イザベラさんは「アラ、これシャネルのプラダのフェンディーだわ♡」と言って、結構喜んでいた。  川の水は意外と透明度が高くキレイだったが、ボクの履いている黄色の長靴は丈がくるぶしぐらいまでしかなかったので、一歩あしを踏み入れた瞬間に中に水が大量に入ってきて、早くも何の意味も無くなった。  インジャイ君とコチョウラン氏は、カニ捕り初体験のボクとイザベラさんの事などおかまいなしに2人で“キャッキャッ”言いながら川ガニを捕り出した。  2人が捕まえてる川ガニというのは、手のひらぐらいの大きさで、取り方は巣穴に手を突っ込み指をハサませて、巣穴から引きずり出すという、肉を切らせて骨を断つ的なやり方だった。  そんな捕り方では、力の強いヤツを捕まえる時などはやはり痛いらしく、インジャイ君は時折「イタタタタ!」と声を上げていた。  ボクはそれを見て(ああ、だからインジャイ君は左手の小指が無いんだな)と前から気になっていたが、本人にはなかなか聞けなかった事の理由が分かってスッキリした。  巣穴を探すため川の中に生えている雑草を、下の土ごとどかしながら、上流に向かって進んでいった。  インジャイ君とコチョウラン氏は、慣れた手つきで次々とカニを捕まえていたが、イザベラさんはカニを逃がすという失態を何度も繰り返していて、それを見たインジャイ君とコチョウラン氏は2人してイザベラさんに罵声を浴びせたが、キレたイザベラさんは足元にいたカニを空中に蹴り上げ、それをチョップで叩き割るというアメリカンスタイルの捕り方を披露して2人の事を黙らせた。  ― 新しい遊び ―  コチョウラン夫人とカリフラワー嬢は、女性らしくカニ捕りには参加せずに2人であやとりや、アリ潰しなどをしながら遊んでいたが、それに飽きると今度は、車内にカギを置いたままドアを閉めるというイタズラ遊びにトライした。  その結果、当然の事ながら車のドアが開かなくなってしまった。  楽しそうにクスクス笑う2人の横でオロオロするコチョウラン氏。愛妻家だけに、こういうときに怒ることが出来ない。  イザベラさんが「カギ穴を石でガンガン叩けば開けられるよ」と言うので本当にやってみた! しかし衝撃でバンパーとホイールが外れただけで、ドアは開かなかった。  カギ屋を呼ぶと高くつくのでコチョウラン氏は自宅まで戻りスペアキーを取ってくると言い、近くの農家に忍び込み、500mlペットボトル入りのスポーツ飲料とバナナ、干柿、そして自転車を盗んで自宅へ向かった。  コチョウラン氏が抜けると、イザベラさんはそのスキに、網持ち係というカニ捕りではけっこう重要なポジションに成り上がた。  インジャイ君はカニを捕まえる度に「これを市場に持っていけば1匹5、6百円で売れる」としつこく言っていた。大量に捕獲される川ガニに混ざって1匹だけサワガニが捕まった時も、「これを京都の料亭で食べれば1匹800円はするぞ!!」と熱のこもった口調で言い、サワガニをギュッと握り締めた。  なぜ急に京都の料亭が引き合いに出されたのか? それに京都の料亭でなら大根の葉っぱだってそれぐらいの値段はするのではないか? という疑問はさて置き、それを見てボクは(この人にはカニがカネに見えるんだ、だからこんなに必死になって捕まえてるんだ)と思った。    ― ……終演 ―  その後、ボクとイザベラさんが疲れてきたし、飽きたのでカニ捕りをヤメ、川から上がっても、インジャイ君は1人でカニを捕り続けた。インジャイ君に、もうそろそろヤメるか、せめて休憩ぐらいした方がいいんじゃないかと声を掛けても、 「この川にまだカニが居ると思うとハラが立ってヤメられねぇ! 川からカニが居なくなるまで俺は捕り続ける!!」  と叫び、まるでユダヤ人を憎むナチスの党員の様な形相で川を上り続けた。  インジャイ君の中では、カニを捕るという当初の目的が、いつしか川からカニを殲滅する事へと変わっていた。  コチョウラン夫人とカリフラワー嬢の姉妹は、そんなインジャイ君の事を見ながら、 「カニを捕るときに雑草をどかしていくから川がキレイになったわねー」  と、なんとも的外れなコメントをした。  カニ=カニ道楽、スシ同様カニに対してもそんなブルジョワなイメージしか出来なかったボクの右脳に強烈なドロップキックを喰らわせたインジャイ君は、その後もドンドン、ドンドン、川を上りながらカニを捕り続け、やがて姿が見えなくなるほど遠くへ行ってしまった。  そして二度と  戻って来なかった。
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