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結末からのパラノイア
現実味のない真っ黒な空間。
普通、壁や床が全て黒く塗られた部屋でも、構造による影や光源の関係でどうしても黒みが場所によって変わってきてしまう。
ここにはそれすらない。暗い場所で目を閉じているというのが一番近いだろうか。
全てが一様に真っ黒だった。
「確かに、お前の人生は不幸だった」
温度や湿度など、感じるはずのものを何も得られない不思議な場所で、目の前の存在は厳かにそう呟いた。
それは、よく創作物に出てくるようなヒゲを生やしたお爺さんでもなければ、容姿端麗な美少女でもない。
無機物を思わせるような淡々とした音声と、真っ白な影。それだけの存在だった。
まるで機械やシステムといった方が近い印象。
普通に考えれば憎むべき相手なのだろうが、そうは思えない。
もはや、全てがどうでも良かった。
「幸せってなんだと思いますか?」
僕は微笑んでそう問う。
相手の答えなど期待していないが、会話の切り口としては上々だろう。
「それは、個々人によって違うだろう。私にはこうだと断定することは出来ない」
システムらしく、無味乾燥で当たり障りのない答え。
これが平等や公平ということなのだろうか。
今まで生きてきた中で、ついぞ実感することのなかった概念なので、よく分からない。
僕の人生の中では、人は全て不平等不公平の中にいた。
「僕は、過去を肯定出来ることだと思います。『あの過去があったから、今こうしていられる』、そう思うことが出来るのは、まさに幸福だ」
それは、現在が人生の絶頂であるということ。
どんなに辛い記憶も、幸せな現在までの道標だったのだと思えれば救われる。
俗に言う、神の与えた試練だ。
生きている意味だとか、こんな辛いことをしている意味だとか、つまり宗教の領域。
論理的な根拠や証拠なんて、あってもなくてもどうでも良いのだ。
人は、何か良いことがあると過去と結びつけずにはいられない。
例えば、朝に占いで赤がラッキーカラーと言われて身につけて行ったら、偶然宝くじに当たった場合。
根拠なんて全くなくても、あの占いが当たったと思う人は多い。
その過去が悲劇であったとしても、現在が良ければその幸福の原因の一つとみなされる。
ハイデガーの言う通り、人間は根源的に時間的存在なのだ。
逆説的に、過去を肯定できるのならば、それだけ今が幸せだということだろう。
「お前がそう思うのならそうなのだろう。あくまでお前にとってはだが」
影はそうやって適当に流した後、一呼吸おいてもう一度口を開いた。
「さて、本題に戻そう。お前の人生は、確かに不幸だった。だから、機会をやろう。やり直す機会を」
「やり直す?」
「そうだ。過去を変えられる」
突然の言葉に一瞬頭の中が真っ白になる。
呆然としてしまい、言われた言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
「さぁ思い出せ。変えたい記憶を。そして願うが良い」
「どんな選択も、1つだけ変えさせてやる」
そう言われ、崖の前で靴をそろえた直前から、物心がつくまでの記憶を掘り起こす。
職にあぶれた僕を見て、『お前なんて産まなければよかった』と叫んだ母親。
大学に馴染めず単位を取りそこなった僕を見て、『無能には金の無駄だからさっさと退学しろ。この社会不適合者が』と詰った父親。
学生時代、僕がいじめに苦しんでいる時、見て見ぬふりをした自称友達。
『頑張ったかどうかは自身ではなく、周りが評価することだ』と、ゴミを見るような目で諭してきた中学の教師。
……そして、将来の展望や『やりたいこと』すら見つけられなかった、惨めな自分。
――暫く考えて結論を出した。
「辞退します。変えたい選択なんてない」
僕がそう言った時、影は初めて感情らしきものをうかがわせた。
息をのむような動作をする。恐らく、多少動揺しているのだろう。
「それはどうしてだ?」
そう問う影に対し、皮肉をダース単位で目いっぱい詰め込んだ、とっておきの笑顔で返す。
「そんなことしても、どうせ無駄ですよ。僕の人生に他の道なんてなかった」
「それに、今僕は幸せなんです。自殺という選択が出来て、ようやく過去を肯定できた」
「この腐った世界から脱却する。自分を蔑ろにした世界に一矢報いられた」
「それで満足です」
「そのために僕は生きてきた。そう思えますから」
言い終わると、しばらく沈黙が流れた。
そして、僕の決意が変わらないことを読み取ったのか、影が口を開く。
「……そうか」
目の前の存在は真っ白の姿で器用に頷いてみせると、最後にこう呟いた。
「やはり、お前の人生は不幸だった」
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