若竜 他竜(エゼレクス)と遭遇する

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若竜 他竜(エゼレクス)と遭遇する

 シュナの視界に映り込んだのは、一瞬で消え失せた影達の直後、さっと横切った緑の姿である。なだらかな曲線の中には逞しさも同居しており、シュナよりもごつい、のだろうか。比べるとシュナの線の細さと小柄さが際立つとも言える。  瞬く間に点に見えようかというほどの距離まで遠ざかったそれは、真上から真下に落ちるように進んでいったかと思うと、一度羽ばたいてからまたまばゆい光を放つ。  二発目であらかたの影達を追い払うと、悠々と旋回して戻ってきて、落ちそうになっていたシュナにぶつかる勢いで突進してくる。 《きゃあっ》 《ヘ・タ・ク・ソ・か》  シュナの悲鳴にぴしゃんと言い放った聞き慣れぬ声は中性的で、どちらかと言えば少年のようだ。声の主は緑色の身体をした竜。先ほど大木の枝からこちらを観察していたうちの一人のようだ。 《ちゃんと羽ばたいて、ワン・ツー・スリー。見てらんないよそんな無様な飛び方。はい、深呼吸。大丈夫今の君はワンノブザドラゴンズ、この程度の事で落ちたりしないって。まずは浮き方から思い出す。早く早く。重たかないけどこの体勢楽じゃないんだ、自分で飛ぶんだよ、ほら》  かなりの早口の上言葉遣いは乱暴だが、落ちそうになったシュナの身体の下に自分が入る形で支えてくれる感触はなんとも丁寧であり優しく頼もしい。  慌ててシュナが言われたとおりに翼をバタバタ動かすと、落下の感触は止まり、浮遊感に変わる。  パニックから戻り、自力で飛ぶ方法を思い出した彼女から、緑色の竜はさも面倒は見終わったとばかりに離れていく。 《ほら、お姫様。お手本見せてやるよ。的にご注目!》  おそらくシュナに向かってかけられた声だ。彼女が言うとおりに大人しく見守っていると、竜はそのまま上の方に向かっていったかと思えば、デュランに絡みついている最後の影達に向けて大きな口を開く。 「おい馬鹿、まさか――」  デュランが何かうめき声のようなものを上げた。シュナも咄嗟に、あ、と思う。  案の定、緑の影はデュランごと巻き込んで光線を吐き出した。 《デュラーン!》 「大丈夫、たぶんなんとかギリギリ大丈夫――!」  シュナの悲鳴に、人間の言葉での応答があった。光が消えると、顔まで覆った鎧からぷすぷすと煙を上げるシルエットが浮かぶ。どうやらかなり頑丈な鎧のようだ、デュランは動いているし言葉を上げる事もできる。  騎士はぶんぶんと首を横に振ってから、露骨に自分事巻き込んで攻撃した竜に拳を振り上げた。 「エゼレクス! お前今、わざとやったな!」  緑色の身体の竜は、ハン、と音を鳴らした。ちょうど人間が鼻を鳴らすのにとてもよく似ている。どう頑張って好意的に解釈しようとしても、相手を舐めている様子が伝わってきていた。 《デュラン、大丈夫?》 《大丈夫。ごめんな、危険な目に遭わせて》 《ううん、平気。この人、知ってる人?》 《まあ……昔ちょっとね……》  慌てて再び彼の横に降り立ったシュナが心配の声をかけると、デュランは優しく応じた。しかし、対話を試みようとする際にいちいちあちらが笛を咥えなければいけないのは不便そうだとシュナは感じる。  笛がなくても問題なくそちらの言っている事は理解できるのだと、言うべきかどうか迷っている間に、二人から少し距離を置いた場所に降り立った緑色の竜がかっぱり口を開いた。 《先に礼を述べたまえよ、浮気性のナンパ師クン。久方ぶりの第一声が悪態とは随分と冷たいじゃないか。……おい、それ以上近づかないでくれないか? お前呪い持ちなんだから臭くて仕方ねえんだっつーの。この距離でもキツいんだからそれ以上こっち来んな、シッシッ》  竜はデュラン達が――というか、デュランが近づこうとすると牙を剥いて唸った。  仕方なく何とも言えない微妙な距離を保ったまま会話を続けることになる。  シュナは目をぱちくりと瞬かせてから、確かに助けてくれたらしいことは事実なのだろうと思い出す。 《……ありがとう》 《どういたしまして》 《シュナ。あんまり相手にするな。コイツかなりのくせ者だから、下手に出るとつけあがるぞ》 《酷いこと言うなあ》  どことなく硬い表情のデュランの一方、新たな竜の方は全く傷ついた様子を見せずからりとした態度である。竜に表情と言うものがあるのか謎だが、あるとしたらこれは悪戯っぽく笑っているのだろう。  シュナは謎の緊張感を間ににらみ合っている(?)二人を見比べてから、一応喋っても良さそうだと思って騎士のことをちょんちょんつつく。竜の方も質問攻めにしたい気持ちはあるのだが、まずはある程度勝手知ったる知り合いからだ。 《デュラン。ところで、ウワキショウノナンパシクンって、なに?》 《待って、どういうこと》 《聞こえてなかったの? さっき、この人があなたのことをそう言っていたわ。ね、どういう意味?》 《……気にしないで。特に意味はない言葉だから。エゼレクスさん? 俺とちょっとお話ししましょうか》  デュランが言いながら近づこうとすると竜は後ずさって逃げ、ついには一度飛び立ってしまう。しかしそのまま行くかと思えば戻ってきて、また別のちょっと距離を置いた場所に降りてから口を開くのだ。 《いや、誰にでも乗れる変態だったことは事実じゃん。何しても落ちねーしさ。まあ、あんたとのフライトはなかなか楽しかったけど》 《デュラン、ヘンタイって、何? フライトって何?》 《おいエゼレクス、どういうつもりだ。さてはわざと俺に聞こえないように喋ってるな!》  デュランにまた拳を振り上げられて、緑色の竜は口笛を吹くような音を出した。  あれは挑発と言うものなのではなかろうか、とシュナにも想像できる。  それよりも彼女は先ほどからちらほらと感じている違和感の方が気になった。首を捻り、騎士に更に尋ねる。 《デュランの笛は、竜の言葉を翻訳してくれるんじゃないの? だからこうして、いちいち笛を吹かないといけないんじゃないの?》 《えっと……笛は必ずしも吹く必要はないみたいなんだけど、吹いた方が正確に確実に互いの思っていることが伝わるから。それと、俺たち人間には、君たち竜が伝えたいと思って、ちゃんと人間用に喋ってくれている声じゃないと聞こえないんだ》  なるほど、とシュナは合点する。  必須ではないが推奨、といったところだろうか。デュランが毎回シュナと話す時にそういう事情があって一生懸命笛を使ってくれていたのかと思うと、なんだかこそばゆい。  もじもじとしつつ、そういえば自分はその聞こえない音域とやらで無意識に喋ってしまったことはないのだろうか、と彼女はふと不安を覚える。 《わたくしの言葉はちゃんと届いている?》 《ああ。聞こえているよ》 《ちょっとー、ぼくのこと放っておいていちゃつかないでくれませんかー》 《……今のは聞こえた》  シュナの首を優しくポンポンと叩く騎士に横から野次が飛んできた。彼はげんなりした様子である。  大きく翼を広げ、どこか舞台に立った役者のごとく大仰に、緑色の竜は自分に関心を取り戻した二人に向かって、口笛を吹くかのごとく軽やかに語りかけてくる。 《ほーらやっぱり浮気性。ぼくたちだってなかなか深い仲だったくせにさ。夜を共にしたこともあるし、寝相と寝癖も知ってる。やめときなよシュナ、こいつは確かに乗り手としては超一流だけど、誰とでも寝る男だよ》 《シュナ、ごめん、教えて。俺は今コイツがピイピイ言ってるようにしか聞こえてないんだけど、君にはなんて?》 《ええとね……この人、デュランとフカイナカだったって。夜を共にしたことがあって、寝相と寝癖も知ってるって。乗り手としては超一流だけど、誰とでも寝る男――》 「お前最低だぞ、エゼレクス! 何をシュナに吹き込んでるんだ! 限りなく誤解を生むように喋ってるのに一応ギリギリ事実と言えなくもない所がなおタチが悪いぞ! でもそうだよな、元からこういう奴だったよな、ぜんっぜん変わってないんだな……」  エゼレクスと呼ばれている緑の竜は勝手に色々言ったくせにくあっと大きな欠伸をし、我関せず状態だ。思わずだろう、笛なしに叫んでから頭を抱えている騎士を前に、シュナはきらきらした目を向けた。 《デュランってどこでも寝てしまうってこと? お寝坊さんなのね》 《俺、君のこと、絶対大事にする……》  首元をひしと抱きかかえられてきゅう、と思わず声を出したシュナはしばらくされるがまま大人しくしていたが、ふと思い出してどこか眠たそうにしている緑色の竜の方に首を向け、おずおずと声を掛けてみる。 《ねえ、あのね。あなたさっき、わたくしのことをシュナって言っていた?》  先にデュランに話しかけられて翻訳作業に勤しんでいたから指摘が遅れたが、デュランがこの竜の名を自然と呼んでいたように、この竜は今シュナの名を自然と呼んでいた。デュランがシュナの名前を呼ぶ前に、である。まるで元から知っていたようではないか、名乗った覚えなんてないのに。 《そりゃあね。竜は皆君のことを知ってるよ、ぼくらのお姫様。なんで君だけ起きてるのか知らないし、シュリの行動についてはぼくらまだ皆判断を保留中なわけけど、とりあえず百年ぶりにオハヨー。ご機嫌いかが?》  ちょうどシュナがそれに答えようとした時、のことである。  最初彼女にはそれが、どっと何かが押し寄せる響きに聞こえた。 《ふざけんなよエゼレクス! マジ絶対許さねえ!》 《違反行為だぞ、バラバラにしてやろうか!》 《ずるいよ! 禁則に足突っ込んでるとかそれ以前の問題で、皆が我慢してる中勝手に一人だけいい格好してるって、お前本当頭おかしいんじゃねーの!?》  後から、それらが竜達の鳴き声であり、抗議の声であり、それが一斉に群れでかかってきたため聞き取りきれなかったのだということが理解できる。  上空から色とりどりの影が舞い降りてきたかと思うと、緑色は逃げるように空に飛び立った。  シュナを庇うように前に出たデュランがあんぐり口を開けた。  どこから湧いてきたのか――いや、迷宮の竜達がこの場においてデュランとシュナを様子を見守っているのは前からわかっていたのだが。  その数、両手で数え切れないぐらい、といったところだろうか。  少し前は遠巻きにしていたのがこうも一気に出てきて周囲を取り囲むと、なんというか壮観だ。  彼らはデュランには一定の距離から近づいてこようとせず、緑色の一点に向かって飛びかかっていく。それを次から次へとひらひらかわしつつ、空中でまたエゼレクスはハンと鼻を鳴らした。 《囀るじゃないの、その他大勢。規範に逆らえないお前らとは性能が違うのだよ、性・能・が》 《性能じゃなくて性質の問題ですー! ぼくらべつにお前に力で負けてるわけじゃないですー!》 《つーかどんだけこっちがハラハラしながら見守ってたと思ってるのさ、それをあっさり破るなんて本当お前、お前って奴は!》 《アグアリクスに言いつけてやるからな! てか今もう呼んだからな! 覚悟しろよ!》 《やめろよな。いやいつものことだけど。遅かれ早かれアグちんに話が行くのはわかってるけど。あいつは根っからのシュリ教だから、ぼくがシュリにあんなことをしてシュナにこんなことをしたと知ったら、さぞかしお怒りになられてとても楽しいことに――やっべ、洒落にならねえ勢いでガチギレしてるし今すぐこっち来るつもりじゃん。これはまずいね。ぼくちょっと逃げるわ》  今までずっと余裕の崩れなかった緑の竜が、喋っているうち真顔になったかと思うとぴゅんと下方向に向かった。本人が潔く宣言したとおり、逃げたのだ。どうも他の竜が呼んだ相手を苦手としているらしい。 《待てー!》 《野郎、ボコボコにしてやる!》 《シュナ、また後でねー!》 《駄目だよまだ話しかけちゃ。決まってないんだから》 《あ、そっか。おのれエゼレクスー! 許さんー!》  わあわあとやかましい気配が遠ざかれば、大木の間には静寂が戻る。  呆気にとられているだけだった二人は、しばらくの後、顔を見合わせた。 《……終わったのかしら?》 《……なんだったんだろうな》  徒労感に満ちたため息を吐いて、デュランはシュナにひらりとまたがる。 《とりあえず、またいつ何時襲われるとも限らない。ここからなら比較的安全なルートを知ってる。落ち着ける場所まで行こう。あと少し、頑張ってくれるか》  シュナは了承の意思を示してから、翼を動かして上方に向かう。  ふと、足下を見下ろした。  大木の根の広がる場所に、もうどこにも竜の姿は見られない。 (勢いに圧倒されたのと、ちゃんと返す前に邪魔をされてしまったせいもあるけれど。あの人達は、少なくともわたくしのことを知っていた。たぶん、わたくしが知らない、わたくしのことを。それから……)  ――()()()。  父が死の間際口にしたのと同じ言葉を、さっきの竜もまた繰り返した。  シュナの言い間違い、というわけではないのだろう。  おそらくは、誰かの名前。響きが似ているのは、偶然か、それとも……。 (デュランに聞いてもいいけれど……この人も全てを知っているわけではなさそうだわ。竜のことは、まずは竜に直接確かめた方がいい気がする。きっと不可能ではない)  悶々とした思いを振り払うように、シュナは一度大きく首を、身体をぶるっと震わせる。  乗っているデュランが驚いたように身体に力を入れてから、なだめるように彼女の首を撫でてくる。そうされていると、少しずつ心が落ち着いていくような感じがあった。 (今はまだ、不思議が増えるだけだけれど。そのうち、全部の答えがわかるのかしら。ちゃんと全部、わかる日が来るのかしら)  それでも当座の目的――デュランを安全な場所まで送り届けることに、ひとまずシュナは集中することにした。
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