五年前:不運な少年は墓前にて呪われる

1/1
前へ
/116ページ
次へ

五年前:不運な少年は墓前にて呪われる

「うーわ、やっちまった。というか、やられたなー、これは」  少年はガシガシと赤い頭髪を引っ掻きながらぼやいた。瞳の色は金色。冒険者の地味な格好をしていて暗がりにいても目立つ、派手な見た目をしていた。  彼はいつも通り竜と一緒に迷宮探索に興じていたのだが、その心強い相棒に裏切られた。  いや、裏切られたは言い過ぎで、単に愛想を尽かされたと言うべきか。  彼はこの未知なる世界に潜るのが好きだった。  竜乗りに天才的な才能を示し、どの大人よりも巧みに多くの竜を乗りこなすことができたから、多少は探索が容易だったということもある。  彼はよく、迷宮の中に一人でやってきて竜を呼び、気ままに飛び回っては彼らの身体を枕にうたた寝した。  今回も、いつも通り何匹かの魔物を撃退し、迷宮内部に落ちている魔石や迷宮神水(エリクシル)を回収し、さてちょっと疲れたから一眠りしてから帰ろう――と寝て起きたら、相棒こと一緒に探索をしていた緑色の竜の姿がなかった。  慌てて笛を吹いたが、誰も応じない。彼はすぐに悟った。これは日頃枕にされている彼らのささやかな抗議だと。それが一瞬でわかる程度には気心知れた仲である自信があった。  しかしちょうどいいひんやり感と温もりと弾力なんだからしょうがないじゃないか、なんて若干反省していない思考を浮かべつつ、仕方ないので彼はため息を吐き、てくてくと歩き出した。  幸い、そんなに深い場所ではない。最悪竜を誰も捕まえられなくても自力で出口まで行けるだろう。  ――と楽観的に考えていたのだが、そこは迷宮、浅い層、物理的に出口に近い場所だからと言って油断は禁物なのである。  欠伸をしながら歩を進めていた彼は、つるりと足を滑らせた。自分の身体が傾いて、転がり落ちていく。  どこまでも、深く、深く、深く――。  かなり長い間落下した割りに無傷で済んだのは、落ちた先が柔らかくて衝撃を吸収してくれたからだろう。  驚きの低反発性のせいで立ち上がるのに苦労したが、なんとかやれやれと身体を起こす。  見慣れた場所から一転、見知らぬ場所だった。洞穴もどきだ。狭くはないが、立って歩く際にジャンプを頑張れば上部に手がつくかも、その程度の広さだろうか。周辺を囲むのは岩壁、足下は巨大なキノコのような……たぶん、植物。嫌な感じはしないが、いささか静かすぎる気もする。光源が乏しい場所のため、手探りで荷物をまさぐって明かりをつける必要があった。  周り一面希少性の高い魔石が輝いてなかなかに壮観だったが、今日はもうノルマ分を集めて後は帰るばかりと思っていた身にはいまいち気勢が上がらない光景だ。  これも見つけて嬉しくないわけではないが、それより今は別の物がもっとほしい。  一応笛を吹いてみる。無反応だ。無慈悲な沈黙だ。  だろうと思った、ここに竜が飛んでこられるとも思えない。  わかったよ次からもう少し昼寝の頻度を減らすよ、だからもう機嫌直してくれよ、なんてブツブツ口にしながら、彼は歩いてみる。  魔物と出くわす危険性もあるが、その方が自分にとって良い状況になるだろうと計算できた。体感と経験則上、魔物と竜の活動エリアは重なっている。何も気配がしない所にとどまっているより、何者かがいそうな場所に顔を出した方が、結果として味方を呼びやすい。自分は竜に好かれている自覚と自信を持っていたから、ピンチになればなんだかんだ言いながら助けに来てくれるだろうという謎の慢心もあった。  歩き続けていると、洞穴の先にぽつりと明かりが灯った。  近づけば、手の中の光が必要ないほど明るく開けた場所に出る。  少年はしばしあんぐり口を開け、目を何度かこすった。  それなりに迷宮を探索した経験が豊富な彼だが、こんな場所には初めて来る。  そこには一面の花畑が広がっていた。  どこからか月明かりのような銀色の光が差し込んでいて、色とりどりの花々が揺れる様子を照らしている  引き寄せられるように彼が足を踏み入れれば、ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐった。  最初は警戒もしていた彼だが、すぐに警戒は飛んで好奇心のみが残る。  美しさと危険が同居しがちな迷宮において、この場所には棘が一切存在しない。  ただただ壮麗であり、可憐であり――そしてなぜか、どこまでも寂しかった。  ぼーっと花の群れの中に立ち尽くしていた少年が、びくりと身体を震わせる。  自分以外の気配に気がついたのだ。  それは広大な花畑の中心にあった。  大きな箱のような何かに、人がもたれかかるようにして眠っている。  恐る恐る近づくと、寝ているのではなく、箱に取りすがっているのではないかという気がした。  どうやら女のようだ。さらさらと流れる長い青色の髪の下から、囁き声が聞こえる。 「エルヴァ・ラス・トゥラ・ロヴェ――」  呪文なのか、歌なのか。少女とも大人の女性とも言えないような、可憐で妖艶な声。  彼には意味のわからない言葉が途中でふっとかき消えた。  こちらを察知したらしい。箱から身を起こす。  そこで少年は、相手が己の長い髪のみしか身につけていないことに気がつき、真っ赤になって目をそらす。 「……だれ?」  一瞬だけ見えた彼女の双眸は銀色、金属でできた刃のように鋭かった。  問いかけられた彼は、わたわたと視線を泳がせながら、それでも礼儀正しく姿勢はきっちりと伸ばす。 「お……俺は、デュラン。デュラン=ドルシア=エド=ファフニルカ、です……」 「そう」  彼女は短く答えると、値踏みするように目を細めた。 「竜騎士なのね。それも、たくさんの竜に好かれている」 「いや……まあ、他の人より、応えてくれる竜の数が多いという話は、確からしいですけど……」 「適性があるのでしょう。それがいいことなのか悪いことなのかは、今のわたしにはもう無意味なことだけど」  静かで抑揚のない喋りがふっつりと切れると、花畑の中には静寂が広がる。  どこに向けていいかわからず視線を彷徨わせてから、少年はおずおずと口を開いた。 「あの……もしかしてここは、お墓ですか?」  彼女がもたれかかっている箱は、よく見れば棺桶の形に似ている。――いや、一度わかってしまえば見間違えようもなく棺桶そのものだ。そう推測すれば、この場の静けさにも、彼女の憂いと徒労に満ちたような表情にも納得がいく。  女性はどこか遠くを眺めたまま消え入りそうな声で答える。 「……そうよ」 「だったら、手を合わせてもいいですか?」 「あなたも願いを叶えに来たの?」 「え?」  少年としては、知らなかった事とは言えこの場に踏み入ってしまったことに対するせめてもの贖罪のような意識が強かったのだが、女から新たに向けられた問いは全く彼の思考と異なるものだった。  女は銀色の目を瞬かせ、無機質な声で言う。 「迷宮に潜る人は、皆願いを、欲望を胸に秘めている。それを具現化させる代わりに対価を差し出す。それが規律。それが約束。あなたもそうなんじゃないの」 「ええと……俺は、その。今はこう迷子なだけというか、相棒に見捨てられたというか……」 「何かを犠牲にしても、どうしても叶えたい望みはないの?」  なおも向けられる問いに、少年は一度黙り込んでから真面目に答えを考えた。 「そういうものは、ないかな。別に目的があってきているってわけじゃない。俺はただ、迷宮が好きなんだ。不思議で、楽しい。だから潜る。それに、望みは自分の手で叶えたい。……今はまだ、そこまで大事な物を見つけられていないだけかもしれない、けれど。俺がここで手を合わせたいのは……願いがどうとかではなくて。ただ、この人の安らかな眠りを祈りたいからです」  少年は金色の目をまっすぐ女に向けて、相手が真っ裸だったことを思い出し、慌ててまた下を向く。  女性の興味が自分から逸れた気配がすると、恐る恐る、なるべく相手の裸体を視界に入れないように、身体ではなく顔だけを見るようになんとか視線を戻してみる。  彼女の横顔は大層寂しげだった。 「大切な人、だったんですね」 「そうよ」  彼女の細い指が棺桶をなぞる。とても大事な物を愛おしむように。 「わたしの一番叶えたい望みを捨ててでも、星空を見せてあげたかったのに」  少年に、彼女の言葉の意味はわからない。  ただ、彼は手を組み、指を絡めて黙祷した。  この場に眠る人に祈りたい、と口にした通りに。  女はしばらく彼の好きにさせていたが、やがて彼が瞑っていた目を開けると、見計らったかのようにまた声を掛けてきた。 「お前、望みは自分の手で叶えたいと言ったわね。望み自体がないの?」 「うーん……。強いて言うなら。迷宮の至宝を、見てみたい、かな。女神様のとても大事な物って何なのか、知りたい」 「そう。どうして?」 「どうして? え、なんでだろう……」 「それを手にした人間は、なんでも欲しい物が手に入る。だからなの?」  少年は追求されてまた考え込む。しばらくしてから、無邪気で人好きする笑顔になった。口から見える歯はまばゆく見えるほど白い。 「違うよ。俺はそれが、この世で一番美しく尊い物だって聞いたんだ。だって、女神様が一番大切にしているものなんでしょう? きっとすごく綺麗で……素晴らしいんだと思う。だから見てみたい」 「ただ、見るだけ? 手にしなくていいの?」 「そんな……持っていってしまうなんて、きっと許してくれないよ。女神様の宝物なんだから。俺だって、自分の宝物を勝手に持って行かれたら嫌だ。だからちょっとだけ、こっそりそっと見せてもらって……それで、すごく自分は幸運だったなって、満足できると思う」  女は眩しい物を見つめるかのように目を細めた。ぐっとその口元が歪み、彼女は何かを堪えるように空を振り仰いで目を閉じた。  再び目を開けた時には、銀色の双眸に何か決意の光が宿っている。  彼女が片手を上げると、少年の傍らにガシャンと何かが落ちてきた。  驚いた彼が少し後ずさってからよく見てみれば、それはどうやら鎧のようだ。 「持ってお行き。貸してあげるわ」 「……へっ?」  どこから出てきたのだろう、と目を丸くしている彼に、女は凛とした声を上げる。  先ほどまでは弱々しかった響きには覇気が宿り、神々しささえ感じさせる。 「その鎧はいかなる危険からもお前を守るでしょう。ただし、お前は二度と竜に乗れなくなる。それは生きた竜を変質させて作られた。こびりついた同族の屍肉の臭いを、彼らは見逃さないし、許すこともない」 「あの――あの、待ってください。全然話がわからない――」 「これも何かの縁。その願い、保留にしましょう。あの人のために祈ってくれたお前をわたしは祝福し、あの人の亡骸を見てしまったお前をわたしは呪いましょう。探しなさい。迷宮で、お前の願望を。探しなさい。迷宮に、お前が差し出せる対価を」  女はゆるりと立ち上がる。  またも取り乱しそうになった少年だったが、今度は目を離す事ができず、瞠目して立ち尽くした。  なるほど上半身は確かになだらかな曲線を描く女性のものである。  けれど長い髪で隠れていた下半身は鱗で覆われ、蛇のような胴体とつながる。そしてミシミシと音を立てて背中から開くのは翼――少年は飽きるほど見飽きた、竜の翼が生えている。  ああ、羞恥を捨ててきちんと見合わせれば。  彼女の瞳孔もまた、人間のそれより遙かに細い、人外のものではないか。  思わず後ずさる彼に向かって、女は腕を広げ、朗々と唱えるように言葉を続けた。 「お前がもし、本当にあの子と会えたなら。そしてもし――あの子が心から、お前と共に在ることを望んだなら。もう一度、わたしの一番奥深くまで潜っておいで。女神に額ずき、無様に慈悲を希うといい。幾多の人間がそうしてきたように。……あの人が、わたしにそうしたように」  女はそこで微笑んだ。  初めて見せた彼女の笑顔は、優しくありつつどこまでも残忍な色を宿していた。 「イシュリタスにお前の価値を示すが良い、人間よ」  突風が吹き、少年は自らを庇うように両腕で顔を覆う――。  そして彼が気がついたときには、見慣れた迷宮出口付近に一人立ち尽くしていた。  けれど傍らに落ちていた黒い鎧が、今のことがけして夢幻の類ではなかったのだということを何よりもしっかりと表していた。
/116ページ

最初のコメントを投稿しよう!

31人が本棚に入れています
本棚に追加