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若竜 他竜(ネドヴィクス)と遭遇する
(何か嫌なことでも書いてあったのかしら?)
デュランが受け取った物をほぼ反射的に、という風に握りつぶしているのを見て、シュナはこっそり思う。
「ちょっと。あんた一応それ、領主印ついてる公文書なんだから。紙だって一番上等な物使ってるのに、そんな雑にしないの」
リーデレットがたしなめるように言えば、デュランは拳をぶるぶる震わせたまま、取り繕ったような笑みで返す。
「うん知ってるよ。伝言は聞かなかったことにされるから駄目、手紙も紛失されるから駄目、だから最終形態伝令付き公文書の手渡しという、“うっかり者”の息子に対するこれ以上ないフォローだね――畜生め。これだと証拠隠滅ができないじゃないか」
「ちゃんとわかってるじゃない。半分ぐらいはあんたの自業自得よ」
騎士は話しながら、受け取った物をリーデレットに返していた。リーデレットはちょっと苦労しつつ、ぐしゃぐしゃになった紙をできるだけ元通りにしようと広げようとしているようだ。
「本当に緊急の案件を見逃したことはなかったじゃないか……どうでもいい近況とか、日頃の愚痴とかが内容の大半のくせに。いい年こいて日記かよ。いや別に日記でもいいけどなんで息子に宛てるんだよ。この前のなんか特に酷かったぞ。“息子へ。パパは今年のママの誕生日プレゼントを豪華にしたいので、宝石がたくさんほしいな♡”なんて、個人的なプレゼント強請りやがって」
「そんな内容だったのね」
「……まあ、ゴーレム一体倒してバラして送ったけど」
「送ったの!?」
「あいつはどうでもいいけど、母さんに罪はないから……喜んでくれたら嬉しいし。たぶんあいつの思う喜び方じゃないと思うけど」
「あたし、そういえばあんたってモテる男だったってこと、こういう時は思い出さざるを得ないわ……あっ」
「あっ」
四苦八苦していたリーデレットの手元で、ビリッ、と音が鳴ったのがシュナにもはっきり聞こえた。
騎士二人は顔を見合わせた後、目配せして何か身体の動きで意思疎通をしている。デュランが無言で筒を開け、リーデレットが無言でぎゅうぎゅう中身を詰める。カパッ、と音がして蓋が閉じられると、二人は何かの達成感に満ちた顔を見合わせ、拳を合わせて親指を立てた。
あれ、今何かこう、見逃してはいけないことが行われていたような、とシュナが思っている間に、二人は何事もない顔になっているので、まあいいか、と思う。
「あいつとか言わないの。一応この辺では一番偉い人よ。その前に、あんたの実のお父様でしょ」
「俺との共通点、髪の色ぐらいしかないじゃないか。しかも最近禿げてきてるし」
「やめなさい。親の髪をあざ笑う者は、未来の自分の髪に泣くわよ。あと、親子で同じ事言うのもやめなさいよね。あたし達聞いてる方がついうっかり頷いちゃいそうになるでしょ」
「頷けば? 怒らないよ、本人も常々言ってるし。“どうして儂からこんな完璧な息子が生まれてきたんだろう――”って」
「もう一度言いますけどね。あの人一応、この辺りで一番偉い人だから。あと今省略されたけど、必ずその後に、“あ、でもこのええかっこしいは間違いなく儂譲りだわ、くうっ……!”って言葉が入るから」
「なんなんだろうな、その最後のくうっ、て。何を噛みしめてるんだろうな」
「喜びじゃない?」
「さてはどうでもいいと思ってるね、リーデレット?」
なんだかよくわからないけど楽しそうだなあ、と何とも言えないほわほわした雰囲気を作り出している二人を見守っていたシュナだったが、コホンと咳払いしたリーデレットが筒を振ると、真面目な空気が戻ってくる。
「はあ……嫌だなあ、憂鬱だなあ、心配だなあ……」
「そうでしょうね。だからネドヴィクスを呼んで、一緒にいてもらうっていうのはどう? 逆鱗だから何かあればすぐあたしにはわかるわ」
「ネドか……逆鱗と一緒にいてもらうのは願ってもないけど、人選で別の心配が出てくるかな……」
「ちょっと、あたしの逆鱗の悪口言うつもり?」
「だってあいつ、悪い奴じゃないけどまともに意思疎通をしようとする意思を感じないというか……シュナはちゃんと話してくれるし、何より可愛いからなあ」
「ネドは、あの喋り方ヘタクソなところがいいんでしょ! それとどさくさに紛れて惚気ないのっ!」
「ネドがどうして君を選んだかはともかく、君の方はどうせ見た目で……いって!」
「だってピンクいいじゃない、ピンク! 好きな色なのよ、文句ある!?」
「わかった、わかった、だから正拳突きはやめろ、装甲あってもちょっと響く!」
話している間に殴り合い(いやデュランはやり返していないので一方的にサンドバッグにされているだけなのだが)に発展しかけている二人に、この雰囲気ならそろそろ声を掛けてもいい――というかむしろ声を掛けた方がいい頃だろうか、と思ったシュナがピイ、と鳴いて注意を向けさせる。
《デュラン、これからお外に帰るの?》
リーデレットがデュランを遠くに連れて行って小声で話していた内容は聞き取れなかったが、それ以外の部分はシュナにも二人の会話が聞こえている。デュランがどうやら迷宮の外から戻ってこいという命令を受けて、シュナのために渋っているらしい、という所までは容易に理解できた。
シュナになんと説明したものか迷っているのだろうか。二人とも答えようという意思は感じられる。笛を手にしてはいるが、口に入れる前のポーズで固まって目を泳がせていた。
《きっとその必要があるのね。わたくしはついていっては駄目な所なの?》
シュナがもう一声掛けると、リーデレットの方が先に、迷うような素振りを見せつつも笛を咥える。
《迷宮で産まれた生き物は、外に出られない。正確に言うと、出ること自体は可能よ。ほんの一瞬、すぐそこまで。それなら大丈夫なの。でも、長くは活動できない。一定の時間、あるいは一定の距離以上迷宮から離れれば……死んでしまう。だからあなたは連れて行けないのよ》
静かに説明するリーデレットの言葉に重なって、シュナの頭の中に男の声が蘇る。
――宝器や、宝石、魔石……そういったものは、持ち出すこともできるけれど。迷宮の生物は、誰も迷宮から出られない。彼らは囚われている。永遠に、迷宮に囚われ続ける。どれほど力があろうと、外には出られない。本当の星は見られない。これは迷宮の主である女神さえ例外ではない、絶対不変の約束事だ……。
そういえば、父も繰り返しそう言っていた、だろうか。
ならば――かつて塔で暮らしていた記憶があるとは言え、今の自分は竜の形をしており、おそらく迷宮のルールとやらの中にいる。どうしても、という事情ができない限り、外には出ようとしない方がいいのだろう。
シュナは微笑んで見せる。竜の姿だからそこまで表情は動かないだろうが……小さな青い竜は、何でもないことのように言った。
《大丈夫。待っていたら、戻ってきてくれるのでしょう? あのね、わたくし、待つことには慣れているのよ。何年経ったって全然平気、へっちゃらなの。……最後に迎えに来てくれるなら、いいの。わたくし、信じるもの。信じていたもの……》
塔の中で、十八年間。そうして過ごしてきたのだ。今と何も変わらない。塔が迷宮に、人の姿が竜の姿に、待ち人が父親からデュランになっただけ。
――苦い記憶が、蘇りそうになる。信じていた末に、起きた事。果たされなかった約束。十八歳の誕生日。穴の開いた身体。止まらない血。光を失った目……。
――シュナ。戻っておいで、シュナ……。
首を振って暗い幻影を遠ざける。
(大丈夫……きっと、大丈夫。だって、今度は飛ぶ翼があるもの。きっとあそこまで悲しいことには、ならない……させないわ)
シュナの言葉に、眉をひそめたリーデレットが何か言おうとする。デュランがさっとそれを制するように手を出すと、はっと息を呑み、譲るように一歩下がった。
デュランは彼女の前まで歩いて戻ってくる。しばらく何かを問いたそうな目をシュナに向けていたが、彼女がきらきらとした真っ黒な瞳を向けていると、真剣な顔になった。
《本当は、ずっと一緒にいたいけれど……できるだけ早く、用事を済ませて帰ってくる》
《ええ。いい子にしているわ》
ぎゅっとデュランが抱きしめる。少し遠くで見守っていたリーデレットは、抱きつかれてそのまま瞬きしているシュナと目が合うと、そっとしゃべりかけてきた。
《大丈夫? あなたやっぱり、何かこの男に騙されてない? 悪人ではないけれど、お調子者であることは間違いないから、言ってる事全部信じると後で幻想ぶち壊れるわよ? ちなみに根拠はあたし自身。経験者の言葉は重みがあるでしょう》
「おい」
《だってあんた、地上と迷宮でキャラクター違うんだもの》
リーデレットは大きく息を吐き出してから、桃色の笛を改めて構え直した。
《じゃあ、一応話もついたってことで、あたしの相棒を呼ぶわよ――ネド! ネドヴィクス!》
女騎士が大きく息を吹き込むと、一際鋭く笛が鳴った。シュナやデュランの奏でる音とはまた少し違う。
シュナの音が晴れの日の空を渡っていく鳥のような澄んだ響きがするなら、彼女が桃色の笛で相棒に奏でる音はもっと……なんだろう。こう、ド直球に警告音というか、もう少し無機質というか、はっきり言ってしまうと耳が痛くなりそうな鋭さをしている。
デュランなんか両手で耳を押さえていた。シュナも一度、思わず反射的に飛び上がってしまってから、デュランの後ろに戻ってきて身を縮こまらせる。
デュランが少し考えた顔をしてから、そっと自分の手を外してシュナの耳を覆おうとした。
……最初は間違いなくちゃんと覆おうとしていたのだが、そのうちシュナの耳の後ろを弄る方が楽しくなってしまったらしい。
《やめてー、やめてー!》
《ふふふ……ここか、ここがいいのかい、シュナ――うっ!》
最終的に頭突きを受けて鈍い声を上げる竜騎士である。
ぶんぶん頭を振ったシュナは、いつの間にか警告音が止んでいることと、リーデレットが走って行くのを発見する。
《ちょっとネド、あんたまたそんな端っこから半分だけ覗いて……もっとこっち来て、ほら!》
何が変わったのかわからなかったが、リーデレットの走って行く方向をよくよく目をこらして見ていると、遠くの岩場から何かこう、はみ出しているピンク色の身体が見える。
……リーデレットの持つ笛の色と同じだから、たぶんあれが彼女の相棒なのだろうということは、わかるが……。
《逆鱗。要請。応答。肯定。姫。接近。判断。保留。最適解。この場。待機》
遠くの岩場から半分だけ身体を覗かせたまま、新しいピンクの竜は竜の顔でもわかる無表情で、ブツブツと呟いていた。
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