第六章

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 2  いまいちピンとこない僕の代わりにホタル、という音に反応したのはケイだった。  彼女は初めて表情を変えた。きりっとしていた顔からは血の失せていき、眉は八の字に下がり、瞳は恐怖で開かれる。 「オジサン」  僕には意味の分からない言葉を彼女は呟く。白いチョークで描かれた魔法陣がフラスコの呼応で赤くなったが、今度はケイの足元から赤から黒に変色していく。  ケイを魔法陣からどかさなければ、と思う前に煙を吐き続けるフラスコからベタリと泥が這い出てきた。それはモゾモゾと動きまるで生きているかのように身をくねらせている。  黒い泥はゆっくりと形を変え、高く積もりあがり、そして僕の身長より大きくなると、足元から次第に色を、形を整え始めた。  僕にとって、それは数分の、数時間の感覚ではあったが動けないケイを見ると数秒しかたっていないのだろう。  その間にも泥は形を変え、整え、そして白衣の男性に変わった。癖のある黒髪に、黒い瞳、無精髭。……日本人だろうか。細身の男性が、そこに立っていた。 『ホタル。ドウシタンダ?』  僕には分からない言語で、泥で出来た男性は言う。  まだ泥が固まり切っていないのかケイへと伸ばされた手は、ボタボタと悪臭を放つ泥を落としていく。ケイはそれを振り払おうとも逃げる様子も見せず、ただ恐怖に固まりながらその手を凝視していた。 『ドウシテ、オレヲ、ミテイル?』  泥が再びそう言うと、突然その足元から真っ黒に染まりあがった。  泥のような色ではない。まるで、燃えていくかのように色鮮やかな赤から黒い焦げた色が足元から頭へと伸びていく。その急激な色の変化にヒッと声を上げたのは決して僕ではなかった。  同じように不明瞭な言語。それでいて悲鳴のようにケイは何かを叫ぶと、容赦なくその泥とフラスコを狙撃した。  撃たれた男は何一つ抵抗も見せずに、ただただ満足げにケイを見つめ口元には笑みさえ残しながら泥に還った。割られたフラスコは、中身を四散させ、そして瞬きをする間もなく魔法陣も跡形もなく消え去っていく。  その一連の出来事は、本当に一瞬のような出来事だった。  ケイは息を荒らげたまま銃をしまうよりも先にへなへなと脱力しその場に座り込んでしまった。 「ケイ……」  座り込んだケイは頭を垂れたまま動こうとしない。震えている手からはBB弾が詰まっていた銃がカシャンと落ちた。  床は泥とケイは撃ったBB弾で溢れかえり、汚れている。僕は傷心の魔女に何も告げる事が出来ずただただ見つめていただけだった。
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