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「お前、ヘンリーおじさんを覚えてるか?」
ニヤニヤ顔をどうにか殺しながらニックは言う。
「うん。畑いじりの好きな人だよね」
「先々週、森の付近で死んでたんだ。こっそり聞いたら頭をブン殴られてたみたいでさ。警察は、転んで頭を打ったんだって言ってるが、ここいらでは『森にやられた』って言ってんだ」
死。森にやられた。
その単語から急に現実離れした気分になった。
ヘンリーおじさんは知っている。去年、僕がこっそり森を覗こうとした際に注意してきた人だ。畑の作物が一部荒らされていて怒っていたのを覚えている。
「『また』だって言ってるヤツもいるから、これが初めてじゃねぇんだ。そこで丁度お前が来たから一緒に調べようぜって話でさ。勿論、乗ってくれるよな」
何も言わずに頷いた。
危ないとは思うが、好奇心に勝てそうにはない。原因を知りたいだけ、森に入る訳ではない。原因さえ知ってしまえば、これからは絶対、森へは近づかないだろう。
怖い話をしている筈なのに、僕の反応に気を良くしたニックは破顔する。
「オヤジが酔い潰れた時、問い詰めてみた。何で森に行っちゃいけないのか、そうしたら『吸血鬼がいる』って言ったんだよ」
思いがけない言葉に、僕は馬鹿みたいにその単語を繰り返す。
絵本や小説の中に存在する仮想の生き物ではないのだろうか。けれど、ニックは大真面目に話を続ける。
「オヤジも詳しく知らないんだと。なんぜひいじいちゃんの時の話らしくて」
噂には尾ひれ背びれがつくものだから。とか、大袈裟になってるだけだよ。等という言葉を飲み込みながら僕も彼に合わせて頷いて見せる。
「ここのバラだってそうだ。みんなバラばっか育てる、家を囲うようにさ。吸血鬼。それが森の答えだ」
「証拠は? まさか話だけでは信じてないよね」
ニックは大真面目に頷いて、使い古した鞄から古い手帳を取り出した。
「倉庫から見つけてきた。ひいじいちゃんの日記。……ここ」
そういいながらぺらぺらと紙をめくり一文を指さす。インクの滲み、保管状態が悪かったのか本の日焼け、水による汚損のせいで滲んで文字が読めない。
――化け物がいる。
そして二ページ後の一文をさす。
――かの醜く末恐ろしい化け物は魔女裁判のように磔刑に処し火で炙った。
何枚か破れたページが続き、そして十ページ後。
――犠牲者がまた出てしまった。柵を、バラを……。
「吸血鬼を退治しに行くの?」
僕の問いにニックは手帳を鞄に戻すと、森と村とを隔てる柵によりかかった。頼りない柵は今にも倒れそうに斜めになる。
「やってはみたいけど、吸血鬼って殺せるか? ちょっと調べたけど杭だの銀の弾丸だのあって準備でき……」
「止めた方がいいんじゃない?」
ニックの言葉を遮る声があった。後ろから聞こえた声に僕たちは驚いて振り返る。悪い事をしているという自覚でもあったのか、僕の心臓は止まりかけた。
そこに居たのは、祖母の家に行った筈の緑色の目をした女の子だ。
女の子はやはり無表情のまま「ケガしたくないでしょ」と一言。ニックが言い返す前に踵を返して颯爽とその場を立ち去ってしまった。
「ムカつく女だな」
ニックはそう吐き捨てるように言うが、それでもなんとなく不気味なのか彼女を追おうとはしない。
ふと、いつの間にか僕の足元には黒い猫がいた。猫は責め立てるような金色の目で僕をじっと見つめ、そして一言鳴いた。
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