第八章

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 3 「何が……一体どうなっているんだ」  僕はようやく扉から視線を外し、振り返る。  目前に、あの大きな男が立っていた。あの夏、吸血鬼と呼ばれた殺人鬼。食べる為に僕の友達であるニックを殺し僕らに襲い掛かった恐怖の対象。  そんな大柄な男は、涙で、鼻水で汚れている顔を益々くしゃりと憤怒に歪め、そして僕に向けて包丁を振りかぶる。 「おにいちゃん!」  と、同時に僕の元へ、丁度僕と大男の間に入るように、現状に気が付いていないであろう笑顔のマリアが割って入った。  それは一瞬の出来事だった。  恐怖のあまり笑いそうになる。今、自分がどんな顔をし、彼女を見ているのか分からない。  男の一撃はマリアの肩に直撃し、彼女は悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。  飛び込んできたマリアの表情は笑顔からそして不意に背後からきた強烈な痛いみに驚き、そして苦痛に歪み、大きな瞳から涙が零れる、そんな一連の動きを僕は目の前で見るしかなかった。  ドサリと彼女が倒れたあと、悲鳴は3つあがった。痛みに泣き叫ぶマリアと、彼女を間違って傷つけてしまった大きな男、そして僕だった。 「やめてくれ! 見たくないんだ!」  泣き叫ぶ僕は地面に崩れ落ち、痛む頭を押さえる。  マリアの顔が思い出されて忘れられない。  この二人も泥だ、ホムンクルスに間違いない。  これは既に起きた出来事なのだ。だというのに、地面に突っ伏しヒクヒクと体を痙攣させるマリアは一向に泥に還らない。大男は、あの時と同じように悲鳴を上げ、そしてどこぞへと走って行った。 「いたい。いたいよ……」  マリアの声は弱々しくなっていく。  生が消えていく、虚ろな瞳で僕を見つめる。  あの時、助けに来てくれた隊員に介護されている時、彼女は僕を見ていた。見ていたと思う。あの赤い瞳で僕に「死にたくない」と訴えかけていた。  これはあの時の記憶だ。僕は再び見ているだけなのだ。 「フラスコを……」  頬を伝うのは涙だ。呼吸がし難いのは、嗚咽を出して泣いているからだ。視界が涙で歪む。思い出したくない事をこうも鮮明に映像だけではなく、肉体として、たとえ泥で出来ていたとしてもリアルに作られてしまった。  あの時のケイも同じだったのだろうか。  葬儀で刺された挙げ句、焼死体で発見された叔父を見たのだろう。そして彼女はその叔父を――……たとえニセモノだとしても撃ち殺したのだ。 「フラスコを割らないと……」  僕はケイのように強くない。だから、次第に生気を失っていくマリアを二度も殺す訳にはいかなかった。
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